THE KIYOSHI HAYAKAWA FOUNDATION

第十二回アガサ・クリスティー賞選評

選 評 北上次郎

受賞作となった西式豊『そして、よみがえる世界。』は、欠点も多い作品である。特殊設定ミステリーであるから、その特殊な世界の成り立ちをまずは読者に説明しなければならないのだが、これがもたもたしているので、出だしの部分が大変に読みにくい。さらに、謎の男の独白が途中で何度も挿入されるものの、思わせぶりなだけで、これは不必要であったと思う。

にもかかわらずこの作品を迷うことなく受賞作に推したのは、その欠点を上回る美点があったからだ。主人公の牧野が参加するプロジェクトの中身が判明してから物語が俄然面白くなるのだが、特に、ラストの展開が素晴らしい。冒頭の、仮想現実における「戦いごっこ」は何だったのよ、と思いはじめたときに、その仮想現実でまた戦いが始まるのだが、それが予想とは違ったかたちになるのが秀逸。この逆転のアクションがサイコーだ。さらに、エリカと霧谷が○○して××するところは、なんだかよくわからないものの、とにかくすごい!

リアルすぎて薄気味悪いところや、こういう社会になったときのディテールをもっと描いてほしかったことなど、他にもいろいろ気になるところはあるのだが、最終候補作の中でこれがいちばん愉しかったことは事実で、選考委員の全員がこの作品を推したのも、そういうことであったと思う。

他の三作はどれも一長一短あり、強く推せなかった。小塚原旬『再審請求、受理』は、古代ローマ時代を舞台にして法廷ミステリーを書くという意欲作で、たとえば女性弁護士ルシアが男奴隷二人と知り合ったエピソードは印象的なのに、ルシアの像が浮かんでこないのは、見せ方の工夫が足りないからである。

辛島優『綺麗』は、謎がきれいに解かれてすっきりするものの、印象が薄いのは物語が古いからだろう。もっと現実を無視してもかまわない。破天荒で、物語が壊れていてもいい。そういう刺激的な物語を読みたい。

個人的に惹かれたのは、江戸川雷兎『アッシュタウン・ファンク』。鹿児島を舞台にしたご当地ハードボイルドで、愉しい。この結果に懲りず、また挑戦していただきたい。


選 評 鴻巣友季子

今年最終的に受賞を競りあったのは、西式豊さんの『そして、よみがえる世界。』と、小塚原旬さんの『再審請求、受理』でした。

『再審請求、受理』はローマ帝国のユダヤ属州を舞台に、ナザレのイエスの裁判のゆくえを描いています。花の都ローマから切れ者の女弁護士が乗りこんできて、やり手弁護士の父と対決。父と娘の会話体が歴史小説のそれっぽくなく軽すぎるというご指摘もありましたが、わたしはこれは時代劇口調のステレオタイプをあえて打破する試みではないかと思い、面白く読みました。

イエスは神殿という組織の権威を否定し、神が子に注ぐ親の愛として律法を読み解いたために罪人とされた、という解釈があります。これに既得権益者たちが猛烈に反対し、自己保身に走るさまには、まさに今の社会的構図が垣間見えます。また、市民の反感情を派手に煽り風評で被告人をつぶそうとする父弁護士のやり方と、それに扇動されてイエスを「十字架にかけろ!」と群集が叫ぶさまは、昨今の悪しきキャンセルカルチャーの側面も映しだしていました。パトス対ロゴスの戦いにおいて後者の弁論の力をもっと前面に押しだせば、秀逸な法廷ミステリになったでしょう。ぜひ書き続けてください。

『そして、よみがえる世界。』はポストヒューマニズムものとしても迫力満点の一作でした。事故によって首から下が不随になった脳神経外科医が主人公で、遠隔操作技術で困難な手術をやりおおせます。序盤に出てくる仮想空間でのバトルゲーム・シーンから引き込まれ、一気に読みました。ヴァーチャルボディ、アバター、コピー、ロボットなど、人間の生を引き受ける「複製」の物語でもあるのですが、その中核にいる少女のオリジナルの歌い手としての人生観をもう少しくっきり打ち出し、キャラクターを支えることができるとよかったと思います。受賞、おめでとうございます。

『綺麗』は、まさに「きれい」という一語を多彩に変奏しながら展開していくミステリで、大胆な密室トリックが使われています。物理学専攻の女性が登場し、量子力学の多元世界の解説などが出てきますが、その多元性と四人の男女の生き方をどこかで重ね合わせられたらよかったのではと思いました。若いころの彼らが居酒屋でとりとめもなく話すシーンなど、青春小説としても魅力的でした。

『アッシュタウン・ファンク』は軽快なハードボイルド・ミステリで楽しく読みました。主人公は小説稼業だけでは食べられず、人間観察やネタの仕込みも兼ねて「なんでも屋」(探偵業)を開業する。ハードボイルド探偵としての美学に説得力をもたせるには、彼のパーソナリティへの掘り下げがもっと必要だと思いますが、そこを抑制しているのはこの人が……だからでしょう。難しい設定ですね。次作に期待しています。


選 評 法月綸太郎

『そして、よみがえる世界。』は仮想空間と先端医療がテーマの近未来SFで、今回の四候補作中では一番の出来だった。導入部の説明パートはややもたつくが、中盤のホラー展開から理詰めの謎解きに転じると目から鱗のたとえ通り、手のこんだ設定がいっぺんに腑に落ちる。最初は取っつきの悪かった主人公・牧野の人物像に作劇上の必然性があること、またミステリとしてのフェアな結構を疎かにしない、律儀な伏線の張り方にも好感を持った。アリバイ工作のくだりは浮いているような気もするけれど、身体性に直結する伏線が利いているので許容範囲だと思う(法月註・選考時の評なので、刊行版とは異なります)。仮想空間内での身体性へのこだわりを通して障がい者医療・介助技術の未来をイメージする、という物語の芯が最後までブレなかった点も含めて、今回のアガサ・クリスティー賞にふさわしい作品と判断した。

以下、受賞を逃した三作について。『再審請求、受理』は「ナザレのイエス」裁判の知られざる逸話を描く奇想天外な歴史ミステリ。ローマ法とユダヤ律法の間隙をつく弁論術や「全員一致の死刑判決は無効」とする慣例等、前半は興味をそそられるし、人を食った落ちもこれでいいのだが、クライマックスの法廷バトルが腰砕けな印象。弁護側はもっと論理(詭弁)で攻めるべきだし、解説担当キャラがいてもよかった。昨年の『嘴(くちばし)と階(きざはし)』といい、着想と物語る力は水準以上なので、めげずに応募を続けてほしい。

不可能犯罪と物理トリックに注力した『綺麗』は、そつがなさすぎてインパクトに欠ける印象。事件関係者の扱いにムラがあり、大ネタが割れた後の処理も甘くて、犯行計画自体が破綻しているように見える。量子力学に関する蘊蓄もストーリーから浮いているのではないか。

『アッシュタウン・ファンク』は鹿児島市=灰の街を舞台にした軽本格ハードボイルドだが、人物配置とプロットがちぐはぐで最後までしっくり来なかった。灰密室の検証は警察が無能すぎるし、ラストのどんでん返しも主人公の行動に「そうせざるをえなかったのだ」という納得感が伴わない。メタな小説家設定も空振りの感あり。


選 評 清水直樹(ミステリマガジン編集長)

昨年の大賞受賞作『同志少女よ、敵を撃て』が、直木賞の候補になり、本屋大賞を受賞するなど、大きな話題となった。それをうけての第十二回のアガサ・クリスティー賞だったが、今年もそれぞれに読み応えのあるバラエティ豊かな四作が最終選考に残った。

私が最高点を付けたのは、大賞受賞作となった『そして、よみがえる世界。』。現在と地続きの未来を設定して、その世界で起こったいくつかの事件を描いている。「最先端医療」と「IT企業が作り出した仮想空間」がキーワードの作品で、まるでSF作家が書いたような映像喚起力を持っていて、まずそれに感心した。そう聞くと、「SFなのか?」と思われるかもしれないが、解かれるべき事件と謎はきちんと書けていて、ミステリとして成立している。いわゆるSFミステリではなく、しっかり構築された近未来と仮想世界での主人公たちをめぐるストーリーの面白さは抜群で、広義のミステリ、エンターテインメントとして高く評価した。

次点は二作。『綺麗』は、特殊状況での殺人を描いた作品で、その解決部分に関しては選考会で議論があった。確かに解決に強引な部分もあるが、私は物語の外枠である主人公たちをめぐる青春小説の部分を楽しく読んだ。まるで、かつてのトレンディドラマのような味わいで、それがなかなか良いのだ。そのあたりが評点が甘めになった理由である。

もう一作の次点は、『再審請求、受理』。イエスの裁判を題材にした歴史ミステリで、誰も書いたことのない題材でミステリを書こうという心意気は大いに買える。だが、読み手になじみのない時代を舞台にするなら、歴史背景はもっとしっかり書き込んだ方が、ストーリーに厚みと説得力が出る。また、メインであるはずの裁判場面のあっけなさは、やはり気になった。題材は面白いだけに再チャレンジを望みたい。

鹿児島を舞台にしたハードボイルド『アッシュタウン・ファンク』は、マーク・ロンソンとブルーノ・マーズのヒット曲を思わせる題名や、実在の曲名から採った章題など、オフビートな雰囲気作りはよくできている。ただ、全体的に書き込み不足な印象で、積極的には評価できなかった。

アガサクリスティー賞

悲劇喜劇賞

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