THE KIYOSHI HAYAKAWA FOUNDATION

第三回アガサ・クリスティー賞選評

選評 有栖川有栖

 タイプの異なる五編の候補作に一長一短があり、各委員の意見も分かれて選考には長時間を要したが、最後には『コンダクターを撃て』を受賞作とすることで一致をみた。
 雪の山荘で起きた毒殺事件の謎を十五年後に関係者が推理し、意外な真相が掘り出される―というアガサ・クリスティー風の本格ミステリだ。毒殺トリックという地味なテーマに食い下がり、よく書き抜いている。中盤の単調さ、ツイストの説得力の弱さなどの不備もあるが、「まっすぐなミステリで楽しいわ。これになさい」というデイム・アガサの声が聴こえた気がして、他の委員とともに授賞に賛成した。なるべく早く第二作を読ませていただきたい。
 他の候補作について短くコメントする。
『セオイ』は、人間の人生を改変する能力〈セオイ〉を持ち込んだ特殊設定ミステリ。その力の源泉や限界などが明らかではないので、物語の土台が弱い。時間SFやファンタジーとしても高水準にあるとは思えなかった。
『佳人の死』は、公安警察と学生運動家の闘争をスパイ小説風に描き、舞台は平成の初めと二十年後に跨る。意外性を狙った部分が不発なのは残念。隠語まみれの会話だけで公安マニアは喜ぶかもしれないが、エンターテインメントとして突き抜けたところがなく、「だから今これを書く」という作者のスタンスや同時代性も伝わってこなかった。
『摂氏九十九度のアンビエント』は、子供殺しを扱ったバッドテイストな作品。二回三回とプロットに捻りを加えているのはよいのだが、狂気の描き方に深みがなく、構成が未整理で冗長になっていた。
『VINTAGE ケンブリッジの切り裂きジャック』は、奇怪な通り魔殺人に留学中の白洲次郎が挑む。実在の人物が交錯し、ペダンチズムや洒落っ気が微笑ましいのだが、筆力が伴っていないため、中腰でフレンチのディナーを食べているよう。暴走ぶりに魅力も感じるので、化けて欲しい。

選評 北上次郎

 私が最高点をつけたのは、世奈佳三氏の『セオイ』。ただし、欠点の多い作品なので推し切れなかった。やや破天荒すぎるので他の選考委員の賛同を得られなかったのも止むを得ない。
 しかし、印象深い一枚の「絵」を作り上げることが小説だと私は考えている。読み終えたあとにその「絵」が残り続けること―それこそが小説を読むことの醍醐味だと考えている。ミステリであってもその事情はかわらない。その観点から考えると、とても印象深い絵がラスト近くに立ち現れるこの長篇は素晴らしい。その一点で私はこの長篇を支持する。出来れば、改稿して世に問うことを期待したい。
 いちばん読ませたのは、森岡伸介氏の『佳人の死』。現在と二十年前を交互に描く構成が決まっているし、入り組んだ話を整理する仕方もうまい。交番に弁当を届ける老婆の挿話に見られるように、何気ないディテールもそこそこうまい。国内の公安活動を描くスパイ小説として水準の出来は保っている。問題は、新鮮さに欠ける点だろう。新人賞に応募するなら、もう少し破綻があってもいいから突き抜けてほしい。それが惜しまれる。
 桃永夏兎氏の『VINTAGE ケンブリッジの切り裂きジャック』は、黄金比やらせんの話は面白いが、残念ながら前半を引っ張る力が弱い。昨年の受賞作に似たトーンを持つ作品だが、そこまでの強烈さもなく、比較されるのも損。
 秋元雅人氏の『摂氏九十九度のアンビエント』は、いかにも長すぎるのではないか。不必要なくだりが多すぎる。そのために物語に切れがない。もっと整理して刈り込めばよくなると思う。
 受賞作の三沢陽一氏『コンダクターを撃て』は、『セオイ』の次に高得点をつけた作品なので、この長篇が受賞することに異論はない。とても興味深く読んだ。一気に読ませて飽きさせない。ただし、この文章はどうか。これは好みでわかれるかもしれないが、こういう大仰な文章は好きではない。

選評 鴻巣友季子

 今年は警察を舞台にとりいれたものが多く、スタイルとして伝奇SF、スパイ小説、本格ミステリ、サイコキラーもの、歴史哲学ロマン……と様々な形に仕上げ、一定の水準をたもっていました。頭抜けた作品がなかったとも言えます。採点を集計してみると、全候補作が中間ゾーンに入ってしまった。このとき総合点が最も高かった作品には、抜きんでた評価(9段階の7以上)を付けた委員がいなかったため、授賞は見送られました。
 結局、賛否意見の分かれた『セオイ』と『コンダクターを撃て』の二作が残り、後者に決まりましたが、実は最初の総合点は僅差ながら受賞作が最も低かったのです。しかし大風呂敷を広げず身近な素材を丁寧に扱っていること、エピソードの慎重な積み重ね、運に左右される難点はあるもののトリックの面白さ、やや修辞に走る面はあるものの自分の文章を築こうとする姿勢などが評価されました。標準的に仕上がったものより、短所があっても、書き直しと推敲を重ねて良くなると感じさせました。
『佳人の死』は過激派の事件を題材に、公安警察と捜査協力員の「タマ」を中心に描く力作ですが、刑事部に「ジ」部、ヘロインに「あったかいの」、警察庁に「もっとうえ」といった隠語のルビを多用するのは逆効果。ルビ技は日本の翻訳文化ならではの武器とはいえ、濫用にはご注意を。『摂氏九十九度アンビエント』は序盤からunreliable narratorの気配をうっすら漂わせ、母という名の病を描いて引きこみますが、母の虐待動機に些か無理があり、最大の難点は詰めの謎解きに出てくるオルター・エゴ的なものでした。『セオイ』は奇抜なタイムワープもので、強く推す声もありました。他人の人生を引き受ける〈セオイ〉の世界観の作り込み不足の観があり、日常と超常の接合にもう一息の工夫を期待。
『VINTAGE ケンブリッジの切り裂きジャック』はヴィトゲンシュタイン、ソシュール、ヴェルヌなどを鏤めた良い意味でキッチュさのある作品ですが、誤字脱字が多く、読めない部分があったのと、文学、哲学などの引用がやや取ってつけたようなのが残念です。誤字脱字と引用の二点については、今年の他の候補作の多くに共通することです。エピグラフ、引用、引喩には、自分の中でぐっと抑えて抑えてそれでも滴り落ちる「黄金の雫」だけを使ってください。

選評 小塚麻衣子(ミステリマガジン編集部)

 三回目にして選考会は紛糾した。それだけ各候補作の実力が拮抗していたのだ。話し合いの末、アガサ・クリスティーという名を冠した賞にふさわしい作品として、『コンダクターを撃て』を全員一致で受賞作とした。
 さて、その受賞作は、雪の山荘の毒殺事件を時効になる十五年後に当時の容疑者たちが掘り起こすという正統派の端正な本格ミステリ。とくに犯人が毒殺にいたる過程の綿密な描写と何度も思考実験を繰り返したであろう精緻なトリックが光った。著者のミステリに対する誠実さが透けてくるような作品だ。ゆくゆくは大クリスティーにならって、登場人物たちの変幻自在な心理ドラマなども取り入れていけるとよいと思う(おそらく著者の志向としては潜在している)。
 惜しくも落選した『セオイ』も捨てがたい魅力があった。人生の分岐点を選び直させることのできる〈セオイ〉という特殊能力を持つ主人公が、やがて世間を騒がす連続見立て殺人事件に巻き込まれていく。〈セオイ〉の能力を説明するエピソードの積み重ねが巧く、キャラクター立ちもよかった。ただ前半と後半で連続殺人が作品のトーンをどぎつく変えており、無理に絡めてミステリにしなくてもよかったのではとも思ってしまった。
 あとは簡単に。『VINTAGE ケンブリッジの切り裂きジャック』は、文章も推理の過程もメチャクチャなのに読まされてしまうのは作品の持つチャーミングさゆえ。著者には「落ち着いて!」と心からアドバイスしたい。『摂氏九十九度のアンビエント』は、信頼できない語り手の不穏な筆運びは良かったが、主人公の特殊な職業設定が活かしきれておらず、もったいなかった。『佳人の死』は、情報量が多く、それらを練り込んだ構成もしっかりしていたが、社会派のテーマに対して、なぜいまこの時代設定なのかという疑問が拭いきれなかった。
 ところで今回、複数作にクリスティーやその作品が登場する謎の目配せがあった。嬉し
くないわけではないが、あの、クリスティーがそうだったように、もっと自由にいろんなミステリを書いて下さっていいんですよ?