THE KIYOSHI HAYAKAWA FOUNDATION

第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員批評文

「個と共同体」

   鹿島茂(フランス文学)

  私は自分の体験したことのないことを依頼された場合には例外なくこれを引き受けるのを原則にしていますので、ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の選考委員も、(少し考えてからですが)引き受けることにしました。これまで、観劇を習慣とすることもなかったし、いわんや劇評というものもほとんど書いたことはなかったので、いさぎよく原則に従ったというわけです。しかし、他のジャンルの経験から行くと、どんなジャンルであれ作品に対して評価を下すには、ある程度のカンというものが働かなければなりません。日本で上演されているすべての舞台芸術を見ることはできない以上、「選択」をしなければならないからです。ところで選択にはカンが不可欠です。しかし、カンは数をこなさないと身につかないという真理がありますから、選考委員会に臨むにあたっては大きな不安が残りました。自分はまだ数を自慢できるほど多くの演劇を見てはいないと感じていたからです。しかし、どうやらそれは杞憂だったようです。他の選考委員の方々が出してきた候補作と私のそれに大きなズレは感じられず、選考に入る前からある種の共通理解のようなものができあがっているのがわかりました。

 候補作として推したのは『冒した者』と『木の上の軍隊』の二つですが、その選考理由を語るまえに、三、四十年ぶりに演劇シーンの中に放りこまれた浦島太郎の感想を一言述べておきたいと思います。

 まず驚いたのは女性観客の多さです。三、四十年前の新劇の観客といえば、明日は舞台に立ってやろうという野心を抱いた演劇青年・演劇少女ばかりでしたが、 いまはみな「純粋観客」に徹した女性が客席の大半を占めています。男性客はランチ時のフレンチやイタリアンのような居心地の悪さを感じざるをえません。

 しかし、勘違いされては困りますが、私はこれがいけないといっているのではありません。慣れてくるにしたがって、女性客中心の観客がなかなかの見巧者であることがわかってきたからです。やはり、数をこなしているうちに自ずから鑑賞眼が備わるのでしょうか、面白かった舞台とそうでない舞台では、アンコールの拍手にはっきりとした強弱が感じられます。観客のレベルは思っているよりもはるかに高いし、女性客に人気のある劇団や劇作家・演出家はそれなりのレベルを保っています。

 しかし、そうした点は認めた上で、女性客の多さが良くも悪しくも今日の演劇シーンの決定要因となっていることは指摘しておかなければなりません。つまり、今日の演劇は、観客の大半は女性であるという大前提から出発し、脚本作りから、キャスティング、制作、演出、広報、劇場選び、日程その他すべてを、この前提に沿うかたちで進めなければならないのです。そして、そうした努力がまたこのトレンドを一段と加速させているのです。

 したがって、候補作を選ぶ場合にも、この前提というものをある程度は考慮に入れざるをえないということです。つまり、前提を「受け入れた」作品に一票を投じるのか、それとも前提に「反した」舞台づくりをしている作品を選ぶのかという選択です。ただ、そうはいっても、演劇もまた商業的に成立しなければならない以上、100%「反した」作品は存在しません。ただし、どちらの方向を目指すのか、そのベクトルの割合くらいは明らかになっていなくてはいけないと思います。

 私は候補作を選ぶに当たって一つの基準にしようと考えたのは、前提を「受け入れた」割合40%以下であって「反した」の割合60%以上という配分です。現状を全面的に肯定したり追認したりするところからは時代を更新するような画期的な作品は生まれてこないからです。しかし、前提を無視した舞台づくりをすれば、いくら玄人筋に受けても「次がない」のは自明ですから、「反した」の割合が大きくなり過ぎるのもまた考えものです。ほどよい割合の良質な作品を選ぶのが最も賢明ではないかと思いました。

 もう一つの基準は、その作品が「古典」足りうるか、ということです。演劇はすべてのライブ芸術と同じく、「一回性」を基本としています。スタッフ全員の力が最高度に結集したときにのみ傑作が生まれるのですが、しかし、その一方では、小説と違って、将来においてそれを上演しようと志す人に向かって「開かれて」いなければならないという性格ももっています。傑作の上演に立ち会った人の記憶が、あるいは逆に、自分なら別の舞台づくりをするぞという反発の感情が、再演、再々演の情熱をかきたてるのですが、いずれにしろ、そうした再演、再々演の情熱を生み出す作品のみが「古典」として生き残っていくことになります。

 こうした基準を設定すると、おのずから、候補作は搾られてくることになりますが、私は、今回、これらに加えてプライベートな第三の基準として「個と共同体」というものを勝手に想定しました。というのも、これこそが現代日本が直面している最大の問題ではないかと思っているからです。つまり、日本の伝統的共同体の基本である直系家族(親が子どものうちの一人を跡継ぎとして、親・子・孫の三代の家族が同一空間に住む)が完全に崩壊してしまった現代において新しい共同体の有り様を模索することが最も喫緊の課題となっているからです。演劇は、最も敏感に同時代の問題意識と同調する芸術ジャンルである以上、こうした新しい共同体の模索を大きなテーマにした作品が出現しないはずはないと思います。

私の選んだ二つの候補作は、以上の三つの基準をクリアーしている作品です。

 まず、葛河思潮社『冒した者』。これは、戦後の住宅難のために東京郊外の大きな屋敷に共同生活を営まざるをえなくなった九人の「強いられた共同体」をテーマに、三好十郎が「個と共同体」の関係を正面から問うたという作品ですが、私は原爆や敗戦、冷戦下でアメリカの核の傘の元での独立といった当時の時代状況と切り離しても、この作品には十分に現代の本質に迫るものがあると感じました。というのも、直系家族どころかその後に来た核家族さえ崩壊した後、いまや、 漂流する個の共同体としてシェア・ハウスというものが現れてきていますが、『冒した者』はこうしたシェア・ハウスに含まれる問題をすべて先取りするかたちで扱っていると思ったからです。

 すなわち、日常レベルでは多少の自己犠牲を払いつつなんとか共同体を維持していた人たちが、須永という闖入者の出現によって、自我のぶつけ合いから「万人の万人に対する闘い」へと至るという構成は、「面倒くさいこと」は嫌いで、「やりたいこと」をやるという現代日本人の心性から必然的に派生するであろう共同体の危機を見事に浮き彫りにしています。椅子だけを舞台に置いて、それぞれの出演者に、自分とかかわりのない場面では、いてもいないふりをさせるという 長塚圭史の演出もこうした現代日本の人間関係を象徴するのに成功していると感じました。殺人という「非日常」に入りこんだ須永が一番まともな人間に見えてくるという劇のパラドクサルな勘所も的確に押さえられています。

 もう一つの候補作であるこまつ座&ホリプロの『木の上の軍隊』も「強いられた共同体」という点において通底したものを含んでいます。というのも、沖縄に進攻したアメリカ軍から逃れるために木の上で二年間の潜伏生活を余儀なくされた二人の日本兵を扱ったこの作品を見ているうちに、私は、沖縄問題や戦後処理といった主題よりも、ゆくりなくも柳田國男が『山の人生』で描いた日本先住民たる山人の生活を想起したからです。海や平地からの侵入者に対して山の奥に逃げ 込まざるをえなかった日本先住民はそこで必然的に平地にいたときとは違った共同体をつくりあげることになりましたが、しかし、やがて彼らが山を降りて平地人と交わるにしたがって、その共同体も崩壊せざるをえなくなります。

『木の上の軍隊』はたった二人の兵隊からなる隔絶された共同体を描いているにもかかわらず、こうした日本先住民が征服者に同化してゆかざるをえなかった過程を私に連想させました。そして、その過程はまさに沖縄という土地の宿命だったにちがいありません。というのも、「山の人生」と並ぶもう柳田國男のもう一つの代表作である「島の人生」に描かれたように、沖縄こそが本土の山地とならんで日本の古層を成しているからです。

 そして、このように考えると、藤原竜也の沖縄人新兵と山西惇の本土人上官という「共同体の成員」の構成も大きな意味をもってくることになります。というのも、日本人のルーツはまさしく、この二人の共同体の成員の融合から生み出されたものにほかならないからです。

 ミクロの状況を扱いながらマクロの状況を想起させるという演劇の原点に回帰した見事な作品だということができるでしょう。

 

「個と共同体」の問題にからむものとしては、候補作に推薦はしませんでしたが、劇団イキウメの『片鱗』をとても興味深く観ました。ある地方都市の住宅街の一角に父と娘の一家が引っ越してきて、住人たちのホームパーティーに招待されたことがきっかけとなって、住人相互に曰く言い難い齟齬が生まれ、最後は家族同士が「絶対に許さないからね」と激しくいがみ合うようになるという不気味な設定の芝居ですが、それを田の字形の四つの正方形の行き来だけで処理するという演出も冴えていました。人は、その本質からして共同体を形成せざるをえないが、どんな共同体であれ、それが成立したと同時に外部の人間を排除しはじめ、また内部の人間相互も監視しあうようになるという共同体特有の不都合な真実が否応のない説得力で迫ってきます。前川知大のイキウメはいま一番注目に値いする劇団かもしれません。

 この「個と共同体」というキー・ワードに照らすと、意外な側面が見えてくると思われるのが受賞作のNODA・MAp『MIWA』です。というのも、 『MIWA』は美輪明宏という「個」の中に潜む多重人格の集合体を一つの共同体(なんと一人共同体! 24人のビリー・ミリガンならぬMIWA=九人の美輪明宏)と捉え、その共同体のそれぞれのペルソナを「外化」してつくりだしたキャラクターたちの集団劇だからです。したがって、たんにMIWA(宮沢りえ)と安藤牛乳(古田新太)が鏡像関係にあって入れ替え可能であるばかりでなく、それぞれの登場人物が他の登場人物と同じように鏡像関係にあって入れ替え可能だということになります。この意味で、『MIWA』は万華鏡(カレイドスコープ)の原理にもとづいてつくられているものと見なすことができます。

 ところで、カレイドスコープというのは、すべての壁面が鏡であることを原理としますが、もう一つ、真ん中が空虚になっていなければなりません。そうでなければ、互いの鏡面が反射しあわないわけですが、しかし、そうなると、この中空の鏡面体はじつになにかに似ていることにならないでしょうか? そう、戦後、天皇を象徴にして作られた日本の共同体、真ん中がすっぽりと抜け落ちている戦後版天皇制共同体によく似たものなのです。MIWAとは、美輪明宏の象徴であると同時に、戦後日本の象徴でもあるのです。

 もちろん、『MIWA』は、表面的に眺めれば、そのような深層構造は観客には気づかれないような「楽しい」構成になっていますから、今日の演劇の「前提」を侵犯するものではありません。しかし、一見、迎合しているように見せかけて、その実、舌を出してみせる作者・演出家のしたたかさがはっきりと感じられましたので、自身のあげた候補作ではないにもかかわらず敢えて一票を投じた次第です。

 というように、選評という概念からは少しずれた文章を書き連ね、自分が勝手に持ち出した「個と共同体」の問題に引き寄せてそれぞれの作品を深読み的に論じてきました。しかし、考えてみると、演劇の醍醐味というものは、舞台の上で血肉を備えて俳優たちが演ずる「現実」の彼方に、それとは別の「象徴的現実」、 つまりある種の「彼岸」が出現したときにのみ傑作となりうるのですから、こうした私のプライベートな観方もあながち的外れではないのではないかと思いまし た。いずれにしろ、作者や演出家の意識とは関係なくこちらの心に届いてくる無意識的な「なにか」があるのを感じたとき初めて観客は劇場に頻繁に足を運ぶようになるのではないでしょうか?

 つまり、演劇というのは、エンターテイメントという要素のほかに、やはり、観た者に対して、たとえ無意識のレベルであっても、何らかの問題提起を行うという姿勢が感じられなくてはならないということです。

 その問題提起というのは基本的になんであってもかまいません。しかし、劇作家と演出家それに出演者たちが自己表現という当然のファクターのほかに自分たちが生きるこの現代とどうつながっているのかその点について考えを巡らしていないと、劇の核になるようなものは生まれないのではないでしょうか。

 演劇の世界とは無縁の人間がこんな生意気なことを言うのはおこがましいかと思いますが、女性客が客席の大半を占めるという前提に「反した」ドラマツルギーを包含した作品がもっと出現してきてもいいのではないかと思った一年でした。


二〇一三年は『MIWA』で決まりだった

小藤田千栄子(映画・演劇評論)

『悲劇喜劇』賞の選考委員四名は、各人二本ずつ候補作品をあげた。私は、富山県の公共劇場が製作したミュージカル『ハロー・ドーリー!』と、劇団民藝の『八月の鯨』を推薦したのだが、いちばん驚いたのは、四名があげた計八本の作品に、全くダブリがなかったことである。

 ということは、とても良い作品がたくさんあったと言うことも出来るし、あるいはまた、どの人も推薦したくなる作品、つまり、もう、これしかないでしょうという決定的な作品がなかったとも言えるのだ。

 もちろん私は、ミュージカルなら『ハロー・ドーリー!』、ストレート・プレイなら『八月の鯨』を強硬に押すつもりでいたのだが、選考委員・高橋(豊)さんの、さりげない〈ひとこと〉で、あっさりと転んだ。高橋さんは、二〇一三年を代表する演劇は『MIWA』でしょうと言いきったのである。

 ああ、そうなのか。演劇賞の選考とは、時代そのものと密接な関係があるのかと、私は初めて気がついたのである。いつもはミュージカルを中心に取材し、演劇賞のことなど、ほとんど考えたことがなかったので、ここで初めて教えられたのだ。

 となると、『ハロー・ドーリー!』が、いかに素晴らしい仕上がりであり、日本初演の快挙と言っても、かのブロードウェイでは、なんと一九六〇年代の作品なのである。

 そして『八月の鯨』は、民藝のスタッフ・演技陣が素晴らしく、とても感動的な舞台ではあったけれど、日本初演ではないし、一九八〇年代には、映画版が大評判だった作品でもある。昨年も再上映があり、いまだに岩波ホールの、看板映画でもあるのだ。

 というようなわけで、二本とも、二〇一三年を象徴する作品とは言い難く、高橋さんの発言に賛成して、あっさりと転んだわけである。

 だが推薦した責任というのはあり、『MIWA』にふれる前に、『ハロー・ドーリー!』と、『八月の鯨』について、少々、記させていただく。

 

『ハロー・ドーリー!』の快挙

 このミュージカルのブロードウェイ初演は、一九六四年。トニー賞では主要部門をほぼ独占。時代を代表するミュージカルとなった。よく知られているように、原作はソーントン・ワイルダーの『結婚仲介人』。日本では、新劇系のレパートリーだった。

 これがミュージカルになって、ブロードウェイで大評判という話が伝わってきた。だが、この頃はまだ、普通の人が、ツアーでニューヨークに行くなんて時代ではなかったので、「見たいわねえ」という、大それた夢さえ抱くことはなかった。

 そしたらなんと、来日公演が発表されたのである。一九六五年九月。なんと東京宝塚劇場で、ほぼ一カ月の公演。さらに主演女優は、メリー・マーチンというではないか。

 ブロードウェイのオリジナルは、キャロル・チャニングだったが、メリー・マーチンは、『南太平洋』や『サウンド・オブ・ミュージック』のオリジナル・キャストであり、私たちミュージカル・ファンは、ブロードウェイのオリジナル・キャスト盤を、ずっと聞いてきた、そういう人なのである。

 そういう人が来日して、東京宝塚劇場で、ほぼ一カ月公演するという。もう私たちは、舞い上がってしまい、通いつめたものだが、それは素晴らしい舞台だった。そして、かのブロードウェイとは、こういう舞台を、いろいろな劇場で、毎日、上演しているのかと思うと、もう想像を絶する世界だった。

 だがこの来日公演には、いくつかの裏話があったようなのだ。いずれも記者発表されたことではないので、話半分で受け取ってもらいたいのだが、まず日本の製作会社が、翻訳上演の許可申請をした。そしたら「いや、日本語ではやらなくていい。こちらから行きますから」という返事があり、それが来日公演に結びついたというのだ。

 その来日公演のパンフレットには、〈アメリカ国務省派遣文化使節団〉と記され、さらに〈東宝ミュージカル国際公演〉と記されている。文化使節とか、国際公演とかは、なんともカッコいい言い方だが、私は当時から〈国務省派遣〉が気になっていた。もしかしたらこれは、ベトナム慰問が本命ではないのか、と。

 なぜそんなことを気にしたのかというと、当時、私は、映画雑誌のバック・ナンバーをよく読んでいて、朝鮮戦争のとき、ハリウッド・スターが何人も、戦場慰問に行っていたことを知っていたからである。だから今回も、と思ったのだ。

 だが『ハロー・ドーリー!』の来日公演が、ベトナム慰問と関係があったとは、いまもってどこにも発表はされていない。だが、いろいろな人に聞いてみると、やっぱりベトナム慰問が本命であったようだ。

 まあ、それはともかく、このような作品が、ずっと翻訳上演されることなく、バーブラ・ストライサンド主演の、映画版DVDが、ときに話題になるくらいだった。

 だが、このような作品を、なんと富山県の公共劇場オーバード・ホール(富山市芸術文化ホール)が、日本で初めて翻訳上演をしたのである。初演は、二〇一二年二月。あまりの評判に、二〇一三年八月に再演。富山に続いて、東京でも上演した。会場は東京芸術劇場・プレイハウス。

 富山のオーバード・ホールは、五年計画で、ミュージカル上演を企画していて、『回転木馬』『ハロー・ドーリー!』『ミー&マイガール』、そして『ハロー・ドーリー!』の再演と続いてきているわけだが、いつも仕上がりの良さで、注目を集めている。

『ハロー・ドーリー!』に関して言えば、やはり主演に、地元出身の元宝塚スター=剣幸を配したことが、いちばんの成果。宝塚時代よりも、さらにうまくなっていることに驚く。

 共演者は、ほとんどオーディションで、地元出身の俳優も参加している。そして圧巻だったのは、パレードのシーンで、地元高校の吹奏楽部が出演したこと。ホリゾントの奥から、高校生たちが大挙して登場したときは、それはもう大喝采だった。公共劇場だからこそ出来るのだと思ったことだった。

 振付・演出=ロジャー・カステヤーノは、ダンサー出身で、日本での仕事も多いらしい。訳詞・演出=寺崎秀臣は、東宝系の人だが、この両者の、演出上の役割分担が、とてもうまくいっているように見えた。

 さらに意欲的な作りと思えたのは、劇場に銀橋を設定したことだ。この作品は、ブロードウェイでも銀橋ありの演出なのだが、客席を百席くらいか、犠牲にしての銀橋作り。公共劇場だからこそ出来る作りであった。宝塚ほど派手ではないけれど、ミュージカルの華やかさを盛り上げたのだった。

 

民藝『八月の鯨』さすがプロの仕事

 作=デイヴィッド・ベリー/訳・演出=丹野郁弓で見せた劇団民藝『八月の鯨』は、私には、いくつもの発見があった舞台だった。

 よく知られているようにこの作品は、もう若くはない姉妹が、アメリカ・メイン州沿岸の島で、ひと夏を過ごす話である。毎年八月には鯨が来るので、それを見ましょうという設定である。

 姉のリビー=奈良岡朋子、妹サラ=日色ともゑ。姉は目が不自由で、いつも、いらつき気味。よって姉妹の夏の暮らしは、妹のほうがリーダー・シップを取るという、そんな暮らしである。妹の友人(船坂博子)と、修理工(稲垣隆史)が出入りする。

 そんな暮らしのなかに、ロシアからの亡命貴族とかいう老人マラノフ(篠田三郎)が登場することで、ほんの少しドラマが動く。物語といえば、これだけなのだが、やはりポイントは、老人マラノフの素性に、姉のリビーが疑惑を持つところだろう。

 実に端正な舞台作り。動きひとつにも目が行きとどいている演出。奈良岡朋子・日色ともゑほか、民藝演技陣の確かさ。プロの仕事だなあと、つくづく思ったものである。

 そして客演の篠田三郎が、まさに適役だった。亡命貴族って、多分、こういう人なのだろうと、ふと思わせる存在の確かさ。気品さえあって、二枚目サンとはいいものだなあと、あらためて思ったことである。

『八月の鯨』は、ひと言でいえば、まさにプロの仕事であった。素人の新鮮さも、ときにはいいが、やはり舞台は、プロに作ってもらいたいものである。

 

『MIWA』の奥の深さについて

 野田秀樹の舞台を見て、すっきりと理解できたことなど、ほとんどない。いつも、あれって何だったのだろうと、多くの疑問符を持ちながら見ていて、それでも見ているときは面白いので、ついつい見入ってしまう。私の場合は、この繰り返しだった。そして分からないときは、いつも思う。野田秀樹は、演劇の世界で、多分、いちばん頭のいい人なのだから、分からないのは私がバカ。ほとんどこれで決着がついてしまうのであった。

 もちろん、いつもどおりでもいいのだが、『MIWA』の場合は、少し違っていた。それは多分、モデルになっている美輪明宏に関心があったからだと思う。

 美輪明宏のことを最初に知ったのは、もう大むかしになるが、中原淳一が編集していた雑誌『ジュニアそれいゆ』に出ていたからである。一九五〇年代の中ごろだったと思う。銀巴里でシャンソンを歌っている美少年という紹介だった。そのときの名前が〈丸山明宏〉だったのか、あるいは〈丸山臣吾〉だったのか、それは記憶にないのだが、とにかくきれいな人で、学校でも「きれいな人ねえ」と、みんなで見とれたものであった。

 ついでながら記すと、当時の中学生や高校生にとって、中原淳一の雑誌『ジュニアそれいゆ』を読むことは、それ自体が、とてもオシャレなことであった。

 そして何年かたち、銀巴里で丸山明宏のシャンソンを聞いたことがある。雑誌で見たとおりの、細身で、きれいな人だったが、歌うときの声の強さにビックリしたのを憶えている。

 以後『メケメケ』や『ヨイトマケの唄』などのヒット曲、舞台でのいくつもの名演などのことは知っていたが、こういう人を舞台で語るなんて、いったいどうするのだろうと、大いに関心を持った。野田秀樹なので、普通の評伝劇には、しないであろう。では、どんなふうに。ほとんどの人が、この点に大きな関心を持って、劇場に行ったと思う。

 物語展開を、何も知らないで見に行ったので、颯爽MIWAとして、宮沢りえが登場したときは、ああ、そうだったのかと、早くも感心した。その美しさ。デザインされたブルーの学生服の、着こなしのよさに見とれたのである。〈美少女は、美少年に似ている〉という言い方があるそうだが、まさに美少年であった。

 そして、もっと驚いたのは、いま現在の美輪明宏にそっくりな、もうひとりのMIWAが登場したときである。金髪=古田新太の、怪異な名演。予習ナシで見に行ったので、〈二人一役〉にはビックリし、もうこれで、この芝居は成功と思ったほどである。

 しかも生まれついての両性具有ということらしく、アンドロギュヌスは、近所の商店の名前=安藤牛乳として登場するのだ。古田新太は、ホンモノの美輪明宏よりも、さらに濃いめのキャラクターとなっていて、これがまた私たちを引きつける。〈二人一役〉の、あまりの違いに、引きつけられてしまうのだ。

 もうこのあたりで、ほとんどの観客は、野田秀樹の、作戦の巧みさに引き込まれ、ただただ見とれるしかない状態に追い込まれる。長崎生まれの宿命、長崎での少年時代、遊郭との関わり、そして長崎原爆。

 野田秀樹=長崎生まれ=長崎原爆=『パンドラの鐘』などが、私たち観客のアタマの中で渦まいていくが、作劇および見せ方の抽象性で引きつけておきながらも、美輪明宏の実録的な面も、巧みに挿入していくのが、この芝居の面白いところだった。

 それは二つに絞られる。まず第一は、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』を思わせる店に集約される。実在した『銀巴里』とは、私が知る限り、かなり違うのだが、美輪明宏=銀巴里の、総体としてのイメージなのであろう。ここで野田秀樹が、作家〈オスカワアイドル〉として登場する。このネーミングには、もう笑うしかない。これを思いついたときの野田秀樹も、さぞや嬉しかったことであろう。

 もうひとつは、日活の青春スターだった赤木圭一郎との関係である。美輪明宏と赤木圭一郎との関係は、知る人ぞ知るの世界だったらしいのだが、撮影所の時代性、あるいは、この青春スターの事故死の描写などから、古い映画ファンなら誰だって、モデルは誰なのかが分かるようになっている。赤木圭一郎の事故死は、当時の映画界の、とても大きな事件だったのだから。

 選考委員会で、高橋さんに教わったのだが、タイトルの『MIWA』には〈M〉と〈W〉が入っていることがポイントだそうである。〈MAN〉と〈WOMAN〉。両性具有。私など、単に美輪明宏だから〈MIWA〉だと思っていたのだ。高橋さん、深い。

 というようなわけで、いくぶんかは私自身の、往時のなつかしさもあって、見入ってしまった舞台だったのだが、見終わると野田秀樹とは、やはり〈長崎〉なのだと思えてくる。原爆の描写の、抽象的でありながらも、あのしつこさ。繰り返しての描写。神話性をおびての、こだわり。長崎生まれの宿命をさえ感じた舞台だった。

 そして長崎生まれの宿命は、美輪明宏にも重なっていく。かつて美輪明宏は、天草四郎の生まれ変わりと言っていたような気がするが、長崎へのこだわりは、野田秀樹と共通するのではないかと思う。

 そして最後に、美輪明宏自身の、声の魅力を記しておきたい。細身のわりには(昔は、ホントに痩せた人だった)声の強い人だなあと、ずっと思っていたのだが、いつのまにか貫禄アリの人となり、だが声の強さは、そのままだった。

 その声を、この舞台では、実にうまく使い、声が聞こえてくると、MIWA=美輪明宏になるのが見事だった。美輪明宏コンサートのときのような、華やかな舞台装置ではないので、さらに声自体が際立つのだった。


野田秀樹の新たな転換を『MIWA』は予告する

高橋豊(演劇評論)

 表題の『MIWA』のアルファベット四文字の中に、すべてが入っている。「M」(MAN)でもなく「W」(WOMAN)でもない(あるいは「M」であり「W」である)生を選び、「A、I」(愛)を求め続けた。「聖なる怪物」美輪明宏の軌跡そのものではないか。

 二〇一三年は、美輪「再発見」の年として記憶されるだろう。前年の大晦日にNHKの紅白歌合戦に“初出場”、「ヨイトマケの唄」を歌い上げ、大きな反響を呼んだのが、いわば皮切りだった。

 春から美輪は江戸川乱歩原作、三島由紀夫脚本の『黒蜥蜴』を再演、主演して全国を回ったが、NHKはその稽古の様子を含め、半年間も追い、特別番組「真夏の夜の美輪明宏スペシャル」を放送した。

 秋のコンサート「美輪明宏/ロマンティック音楽会2013」で、美輪は「今、世の中は、あの忌まわしい第二次世界大戦の前あたりに似てきています」と、第一部で長らく歌わなかった自作の反戦歌を主軸として構成、第二部で平和の有難さを感じる愛の歌を特集した。

 フランス人監督パスカル=アレックス・ヴァンサンによるドキュメンタリー映画「美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して~」が、日本公開された。美輪本人によく密着取材していて、愛と闘いの記録を明らかにしている。

 そして、大トリとして登場したのが、NODA・MAPの舞台『MIWA』である。野田秀樹の作・演出。野田が現存する人物をモチーフに新作を発表するのは、初めてのことだった。

 同じ長崎県出身だが、美輪が戦前の一九三五年生まれ、野田が戦後の五五年生まれ、と二十歳の違いがある。野田は、美輪をモチーフとすることで、被爆体験など「昭和」と向き合い、同性愛者への差別に屈しない「愛」と「人生」を描き出すことができた。これまで、野田が作品で真っ向から取り上げなかったテーマに挑んでいる。果敢な「越境者」美輪の軌跡が、野田を大いに触発したのだ。

 もちろん、野田は美輪の半生をそのままなぞってはいず、オリジナルなMIWAなのだけれど、美輪の自叙伝『紫の履歴書』からは大きく外れてはいない。その上で、野田らしい自在な発想(妄想といってもいい)が至るところで見受けられる。

 冒頭、「前世」での性別決定の場面から始まる。手塚治虫の少女漫画の傑作『リボンの騎士』の出だしを連想させるが、野田は「踏絵」を選び、長崎の隠れキリシタンの受難史までつながらせている。

 「男でも女でもない」性を選びたいMIWA(宮沢りえ)は、「男であり女である」アンドロギュヌスの安藤牛乳(古田新太)と共に、地上へ落下した。

「聖なる怪物」美輪の聖性、ピュアな部分を演じるのが宮沢で、現在の金髪の美輪と容姿が近い安藤牛乳を演じるのが古田だ。怪物はMIWAの心に棲み、随時、出現する。

 二人の俳優が「MIWA」を担う設定が面白く、彼が幼いころから抱いたジェンダーの違和感をうまく表現している。 宮沢の優しい「安藤牛乳!」の呼びかけに、古田が野太い男声で言葉を返す。

 夢の遊眠社時代のように、軽やかに物語りは展開し、時空は複雑に交錯する。最も圧巻なのは、戦後の銀座のソドミアンバーのショータイムで、お客のアメリカ兵たちが、いつの間にか、飛行機の操縦席のように集まって来て、長崎への原爆投下シーンを再現する場面だ。

 十歳のMIWAは、浦上天主堂から家に忘れ物を取りに帰っていた。堀尾幸男の簡素な舞台装置で被爆の瞬間が描かれる。世界中の光を集めたような白い光と轟音の中で、薄く大きい布が日常生活の人々を覆っていく。そして一瞬にしてキノコ雲の形になる。静かな怒りを込めた被爆直後の長崎の街の描写。

「この爆弾は、日本人への天罰だ」と言い放つアメリカ人新聞記者に、MIWAはこう反論する。

「ここは隠れキリシタンの街だった。命がけであなたたちの神様を愛した街だ。それでもその日は天主堂で懺悔をしていた。懺悔室の前に二十人の人たちが並んでいた。その真上にピカドーンだ」

 長崎出身の野田が、原爆のことに触れたのは、NODA・MAP『パンドラの鐘』(九九年初演)が最初だった。太平洋戦争開戦前の長崎と古代王国を意図的に交錯させながら、核エネルギーという「パンドラの箱」を開けた現代人を批判して、二〇世紀の総括とも言える傑作である。「鐘」は長崎に投下されたファットマンがモデルで、美術の堀尾は、中に大量に照明を仕込み、閃光を放たせた。

 〇三年初演の『オイル』は、原爆を投下された日本人の視点から書かれた『パンドラの鐘』の続編とも言え、投下したアメリカ側の勝者の歴史に強烈な異議申し立てを行った。

 今回の『MIWA』は、両作品に比べると、原爆の比重は決して大きくはないが、静謐で心に染みる場面となっている。被爆直後の街でMIWAはつぶやく。「紙は華氏451度、布は華氏764度、神様は、いったい、華氏何度で自然発火するんだろう? 神様が自然に燃えていた。それで、これ幸いと、ここには悪魔ばかりが集まってくる。ここもまだ僕の妄想の海の底ひ?」。痛切な問い掛けで、実在の美輪の徹底した反戦・平和への思いの原点はここにある。

「愛」に生きる物語なのに、「死」が身近に迫る作品でもある。

 MIWAの中に怪物・安藤牛乳が棲んでいることに気付いた人に、恋人となる若手映画スター赤絃繋一郎(瑛太)がいる。繋一郎はMIWAに「君は、いつも二つの声を持っているね」「僕には聞こえる。男でもあり女でもある過剰な激しい、うっとうしいまでの声。それとは別の、男でもなければ女でもない、消えてしまいそうなはかない声」と音楽で生きることを勧めた。宮沢が美少年・美青年を演じているから、恋が違和感なく、受け入れられる。その繋一郎が交通事故死してしまうのだ。

 同じように、MIWAの中のアンドロギュヌスに気付いた人に、戦後文学界のアイドル、オスカワアイドル(野田秀樹)がいる。実は彼も内部にアンドロギュヌスが存在し、MIWAに「君と僕は同じ海の底で暮らしているからさ」と告げる。MIWAが継母のことを歌った「ヨイトマケの唄」で歌声が復活したころ、オスカワアイドルが別れにやってきた。「三島由紀夫」と名乗り、「オスカワアイドルは僕の中の化け物だった」と語り、東京・市ヶ谷の方に去っていく。三島が自衛隊東部方面総監部に乱入し、割腹自殺したニュースがラジオから流れた。

 肝心の安藤牛乳も、路上で亡くなっていたのが見つかった。彼は、大好きな母親に「男を愛していることをなじられて首を絞めて殺害」、逃走していたのだ。MIWAは「私がアンドロギュヌスになってやる」と扮装を始める。幕切れは、開幕した舞台で歌う宮沢のMIWAの後姿に美輪の「愛の讃歌」の歌声が重なる。

 これまでラストシーンで、野田はさらに観客に謎を投げかけるか、安易な感情移入を拒否するか、一筋縄でいかない終わり方が多かった。ところが、今回は、素直に美輪へのオマージュとなっている。そのことが逆に新鮮で、野田がこれからさらに変貌していく分岐点となる舞台ではなかったのかと思わせる。〝転換〟を予感させるのだ。

 野田は今年のNODA・MAPの年賀状で、昨年の年賀状が親友の中村勘三郎の急逝にショックを受け、「日本一元気のない年賀状」を出したことを詫びた後、『MIWA』という作品で、「見ている人々を楽しませることが、日本一好きだった男」=勘三郎へのオマージュとなったと思うと記している。「そして、そのことで私の創作に対する態度も変わることができた気がします」。

 野田は、美輪を通して、エンターテイメントとして舞台に力を注ぎ、決して観客の期待を裏切らなかった歌舞伎役者、勘三郎へもオマージュを送っていたのだ。

 〇一年に、野田は歌舞伎座で初めての歌舞伎作品『野田版 研辰の討たれ』を脚本、演出。歌舞伎では珍しい観客からのスタンディングオベーションという大反響を受けた。以後も勘三郎と新作歌舞伎を手掛けている。

 もちろん『MIWA』は、第一義的に美輪へのオマージュである。自分の愛や思いを裏切らず、道を切り拓いていった彼の生き方への共感がある。エディット・ピアフの「愛の讃歌」は、勘三郎が愛していた曲だったというが、本作では「ヨイトマケの唄」など美輪の歌もたっぷりと楽しめる。

 野田の前作『エッグ』が戦前の東京オリンピックと細菌ワクチンの「七三一部隊」を扱い、そのまた前の『ザ・キャラクター』が地下鉄サリン事件を生んだ若者たちの心風景の奥底へ迫っていたのに比べると、テーマが弱いとの声も聞くが、だれもが知っている怪物・美輪を取り上げて、ここまで深く人間像に切り込んだ野田を大いに評価したい。

 ほとんど出ずっぱりの宮沢の瑞々しい演技が光る。現実の美輪を追いかけるのでなく、野田の劇世界の「MIWA」を造形している。直前に唐十郎作、蜷川幸雄演出『盲導犬』に出演したが、特記すべきは、三谷幸喜作・演出の『おのれナポレオン』で病気のため降板した天海祐希の代役を、わずか二日間の稽古で見事にこなしたことだ。「男気」のような芝居への情熱が感じられる女優なのだ。野田作品では『透明人間の蒸気』、『ロープ』など演劇賞を獲得した舞台が続いていて、今、日本現代劇のミューズと言えそうだ。

 古田は、前出『盲導犬』で宮沢と共演したばかり。ともすれば「怪演」の評が付いて回るけれど、今回の安藤牛乳は、金髪の装いの派手さとは別に、心に傷を持ち、予想外の行動を取る辛抱役をじっくりと見せた。美しい宮沢とタッグを組んだことで、MIWAの世界が大きく広がった。

 銀座のシャンソン喫茶の店主、半・陰陽など演じる池田成志がいい。時間軸が自在に飛び、劇中劇もあるなど、複雑な劇構造の中で、複数役を演じて、しっかりと芯を通して見せてくれる。

 女性なのに美少年クラブに勤めていた「負け女」役の青木さやかが面白い。人生に負け続けても挫けず、なお先を見詰めていて、「キューバに行こう」が口癖の女を生き生きと演じていた。

 MIWAの心を射止める人気スター役の瑛太も好演。特記すべきは、アンサンブルの俳優たちの見事な動きで、ショータイムだったのが、いつか米軍機の操縦席に代わり、原爆を投下、日常生活を営んでいた市民たちが犠牲となっていく。機敏な身体表現で、最小限の小道具で展開してみせる。

 野田の近作『ザ・キャラクター』や『エッグ』を含め、モッブ・シーンで演出の冴えを感じる。

 スタッフでは、堀尾の美術にはすでに触れたが、小川幾雄の照明に鋭さがあり、ひびのこづえの衣裳が、宮沢のスレンダーな学生服が大人の女のドレスに代わっていくなど、変化を楽しめる。高都幸男の選曲・効果で、美輪の歌が最大限、生かされた。木佐貫邦子の振付も的確である。

*     *

 悲劇喜劇賞の候補として『MIWA』の次に挙げた、さいたまゴールド・シアターの『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』について、少しだけ書きたい。

 作・清水邦夫、演出・蜷川幸雄のタッグで初演されたのが一九七一年。劇団現代人劇場の最後の舞台である。

 手製爆弾を投げたとして青年が裁かれている法廷に、老女たちが爆弾を手に乗り込んで占拠。裁判官や検察官を逆に裁き、孫の青年まで「期待に応えなかった」と処刑してしまう。「政治の季節」にふさわしい過激な異議申し立ての芝居だった。

 初演は、若い俳優たちが老女を演じた。蜷川は台本通り、高齢者で舞台を作りたいと願った。〇六年に中高齢者の演劇集団「さいたまゴールド・シアター」が発足、蜷川は試演を経て、一三年、「鴉よ――」を本公演した。平均年齢七十四歳のメンバーが演じることで、初演にあった不自然な誇張は消えた。清水が病気療養中のため、蜷川が台本に手を入れ、きちんとあの時代を総括できるような舞台とした。

 演劇集団はパリで初の海外公演も果たした。演出の蜷川は、美輪と同じ三五年生まれで七十八歳。その旺盛な活躍ぶりに心から拍手を送る。


「正論」で、いこう

今村忠純(日本近代文学)

筋金入りの「正論」

「正論」で、いこう。筋金入りの「正論」で、いこう。それは深い洞察と思索、叡知あっての「正論」である。それが私の「正論」でもありたい。賢者はほんとうに「正論」をいわないのだろうか。人を説得するのには、これが「正論」と思わせないことが大事なのだろうか。しかしやはり「正論」で、いこう。「正論」は、ゆるぎない真理を導く、と信じたい。

 第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の候補作品を選ぶのに際して、私は文字どおりこの「正論」を論点にして、次の二つの科白劇を選考会に示した。

「長い墓標の列」(新国立劇場)

「兄帰る」(二兎社)

 福田善之の「長い墓標の列」から考えていく。

 まずいちばんに山名庄策の「正論」をかき消してしまったあの「ひどい時代」のあったことが明らかになる。村田雄浩の演じた山名庄策の知性と情熱が圧殺される。かつて大学の山名の講座に学び、くもりない目をもついまは新聞記者の千葉順(北川響)は、その山名に対して声をふりしぼるようにいっていた。

 

─先生。知識階級は、たしかに暴力の前には無力でした。しかしその正論は、あくまで、正しかったのです。

 

 あくまで、正しかったという、その「正論」とは、そして山名庄策とは、何者だったのか。劇場で観ただけでは片づかない劇がある。「長い墓標の列」は、そのような「正論」の劇である。そこから始めなければならない。

「長い墓標の列」は、東京帝大経済学部教授河合栄治郎の粛学事件を劇化したものとして広く知られている。

 およそ三百八十枚のこれの初稿が『新日本文学』の昭和三十二年七月号と八月号とに分載された当初から、この事件を知る関係者ばかりではなく、大学内外における派閥抗争もからみ、実態がそれと思い出させ、あらためて興味をひくことにもなっていった。この初稿がこの年ただちに早大劇研で上演されている。上演時間五時間半。改稿版の上演は、後述するようにあくる年の昭和三十三年。

 劇で河合栄治郎に準えられる山名庄策は、「問題を特定して(マルキストと)の提携は可能」であり、「日本の社会主義勢力は、この時代に一致してファシズムにあたるべきでしょう」と説いていた。いっぽう山名の講座に学ぶ学生の一人にはこうもいわせていた。「甘えさ山名イズムは、人格主義的理想主義的社会主義なんて。しかし、マルクシズムの崩壊したあとのおれたちにとって、これを信ずるしか道はねえな」。

 昭和十四年、理想主義的リベラリストの大学教授山名庄策は自説をゆずらず、大学では文部省からの勧告を受けて山名を休職処分とし、その著書も発売禁止になる。しかし屈せずに山名は研究に没頭する。が、昭和十九年二月、自己の「思想体系」の確立の途上で病に倒れる、というのがこの劇のプロットである。

 大学側は対外的な(当局への)配慮から山名に辞表の提出をもとめ、辞職すれば出版法違反の起訴も取り下げて家族の生活も保障しようと交換条件を出す。ところが山名は「私は、弱いことはそれだけで罪悪だと思っています。弱さは責められなければなりません。なぜなら、弱さを認めることは人間の進歩を否定することだからです。歴史の否定だからです。思想の否定です」といいきるのだ。山名の講座に学んだ城崎啓と花里文雄、この二人も大学の自治の危機に抗議し、辞表を提出するものの、大学側の慰留をうけて翻意、山名と城崎の師弟は対立する。「失礼は承知のうえで申しあげています」と城崎は山名にことわっている。ことわったうえで、城崎は山名を論破するのだ。藩閥政府のつくりあげた国家に「近代」日本のデモクラシーはない、「資本主義が、社会主義か、そんなことばっかりいっているインテリ」「現実は、そういうインテリ共の手の届かないところにある」「日本の暗黒は、大きい」と。古川耕史の演じる城崎の厳格な自省が、その転向や戦後民主主義のありかたを示唆している。

 つっぷしてすでにまったく動かなくなってしまった山名にむかって城崎は次のようにいう。「先生、私は、ですから自分が、犯人であることを、その責任を、回避しようとは思いません。私が、犯人であるとすれば、私は、自分が犯人であることを、自分で引きうけて生きよう、と思うだけです。(長い間)私は歩きつづけなければ」。

「長い墓標の列」という劇でいちばん大事にしたい城崎のこの言葉から私がすぐに想起したのは、木下順二の「風浪」の佐山健次の造型だった。西南戦争前夜の熊本で佐山健次は、さまざまな思想的遍歴をへて明治政府の「暴力」に異をとなえ、西郷軍に身を投じる決意をかため、そこでようやく「道の開くるか、絶ゆるか、そらァその時の話たい」といっていたのである。城崎のように悩みに悩みぬき、「歴史」が人を殺し、自分が「犯人であること」を表明していたのが、じつは(「風浪」の)逆説的な意味においては佐山でもあったのだ。山名は、城崎に「明治維新の歪みは、私もつねに問題として来たところです」といっていたではないか。

『新日本文学』版(初稿)の第四幕(エピローグ)には、改稿版の城崎啓にあたる小河原啓はもはや登場しない。したがって「犯人であることを、自分で引きうけて生きよう」という小河原(城崎)のせりふもない。新屋信三の「出征を送る宴」で、新聞記者の千葉がいわば窓口になり、山名の講座から戦地に送られた学生たちの「長い墓標の列」がレポートされているのが初稿であり山名の「同行二人」の御詠歌がつづく。花里にいたっては「大学に帰つたものの小河原・葦原ラインに邪魔されて東北大に飛ばされちゃったじゃないか……仙台で貰つた女房がヒステリーで悩まされてるらしいですよ」というのだ。花里とともに山名の講座の助手だった新屋信三は、改稿、斧鍼の過程で初稿から姿をけした人物だった。

 木下順二が「風浪」の初稿を完成させたのは昭和十四年であり、河合事件が問題化した年にあたる。改稿に改稿を重ねたこの「風浪」のぶどうの会上演は昭和二十八年。このときに岡倉士朗の演出助手をつとめたのが竹内敏晴である。この竹内敏晴こそが、昭和三十三年のぶどうの会上演の改稿版「長い墓標の列」の演出家だったのにほかならない。そしてこの三百八十枚から二百三十枚への福田の改稿は竹内の助言に従ってのものであった。この改稿版が新国立劇場上演台本になっている。

 当初は自らの思想と学問に殉じたヒロイックな山名と、大学復帰を明言し「現実」を生きようとする小河原とが対照される、そしてこの二人が「ひどい時代」のそれぞれの「インテリ」を代表するものだったとすれば、改稿されたこの劇は、小河原から城崎にただ名前があらためられただけではすまなかった。そこに自分が「犯人であること」を認め、あらあらしく生きぬこうとする、または死地におもむく(「風浪」の)佐山が投影されていたのである。

 はたして宮田慶子演出の新国立劇場の「長い墓標の列」は、そのような「伝説」を背負って上演されていたのにちがいなかった。明治維新からの「近代」日本の「歪み」、その決着が河合事件なのだった。

 けれんをおさえ、ひたおしに「正論」でいく劇、にふさわしい空気が小劇場にはりつめており、光の射さない研究室、書斎と本棚の高い壁とが山名の「叡知」を担保する。さらに舞台正面の奥に上手から下手にくだる山名家へ通じる長い坂道は、そのまま長い墓標の列を表象する。

 山名庄策の講座に学ぶ(あるいは、学んだ)助手、学生たちに新国立劇場の演劇研修所の修了生たちを起用した機知も忘れないでおきたい。城崎啓、新聞記者の千葉順、花里文雄(遠山悠介)など。山名と山名の講座に学ぶ学生群像は、そっくり研修所のスタッフと研修生との関係にも見えてきたのだった。

 すぐれた劇は、観る人にさまざまな想像(創造)を喚起する。六〇年安保前夜に上演された、そのような時代の区切りにこの劇をおいてみることで、日本の現代演劇地図を読みなおすことも可能である。

 初稿(第三幕、第四幕)の発表された『新日本文学』の昭和三十二年八月号に、開高健の「パニック」が掲載されていたことも付言しておく。

 

「兄帰る」まっしぐらの「正論」

 横領した二千万円もの会社の金をギャンブルで使い果たし行方をくらましていた兄が、十六年ぶりにとつぜん姿を現した。みるもあわれなホームレスの服装をして帰ってきた。「今度こそやり直します、今度こそ、今度こそ……」という、心をあらためてまじめにはたらくというのだ。そこで兄の職さがしが始まる、しかし話がなかなか先にすすまない、というのが永井愛(演出も)の「兄帰る」(二兎社)である。初演は一九九九年、岸田國士戯曲賞。

 兄の幸介(鶴見辰吾)が居据ったのは、弟の保(堀部圭亮)とその妻真弓(草刈民代)のいかにも快適なモダンライフを思わせる新築一戸建、真弓は小学校五年の息子を、夏休みを利用してオーストラリアでのファームステイ(農場、牧場体験)、語学留学に出したばかり。

 どうも幸介はうさんくさい、何か魂胆があるのではないかと、真弓はうすうす感じているのか。保が真弓と結婚したのは幸介が家を出てからのこと、だからこれが幸介との初対面。にわかにこの家の、中村家の家族問題、家族関係が透けて見える。幸介の出現がリトマス紙になる。

 姉の百合子は、はなから幸介を信用せず、さっさと追いだしにかかろうとするし、幸介の就職の世話をもちかけられた叔父も叔母も、いってしまえばうすよごれた私利私欲と保身、それのかけひきに身をすりへらしている。こそこそとたちまわり、ちいさなウソでとりつくろい、首尾よく取引先の食肉問屋に幸介を押しこんでしまおうというのが、ダンボール屋の重役におさまっている叔父の中村昭三である。「そうかそうか、うん、そうかぁ」と、空とぼけていて、いつもぬけめない。

 しかし真弓にとって、そんなかけひきはまったく無用である。真弓はけっして何事もつくろわず、「正論」と「本音」でまっすぐに事をすすめていく、それが真弓の理屈のすべてなのだった。だからPTA仲間のシングルマザー、金井塚みさ子の気づかいも真弓にとっては余計なお世話ということになる。菅平での野球部合宿の世話係であってもそこに息子は参加しないのだから、手伝いはいらないというのが真弓であり、金井塚は自分の息子が参加しなくても手伝いに行くといいはるのだ。真弓には妥協がない。

 しかし、そんな真弓の言葉と心と行動にハレーションが起きる。真弓のまっしぐらの「正論」がゆらぐ。

 百円ショップを開店する、三千万円のその資金を調達するのには連帯保証人の印鑑証明書と実印が必要である(百円ショップと三千万円の借金というとりあわせが、どことなく切なくおかしい)、そこで幸介はこっそりと、堂々(!)とホームレスの服装(扮装)で保の家の玄関のチャイムを押したのだった。

 はじめからしまいまでの幸介のこの自作自演にまきこまれ、家族一人一人の本性があぶりだされる。幸介はそれを観察しながら印鑑証明書発行カードをしまっている場所を血まなこでさがしていた。それがとうとう真弓にバレてしまったのだ。

 このかけひきと顛末が幸介を自縄自縛に陥らせる、真弓はフリーライター、といってもエステサロンの体験取材やケーキのおいしいあの店この店、といった広く顧客をつかむための広告文案を書いているのにすぎない。しかし真弓の「正論」は、クライアントの希望にかなうおもねりや、いいなりをけっして許さない、幸介はそんな真弓にこういいはなつのだ。

 

――その程度の正論で、偉そうに説教するんじゃねえよ!

――嘘つきがどれだけ努力してるか知ってるか? 嘘つきは、絶え間なく技術を研いている。ひ弱な正論吐くだけじゃ、立ち向かえはしないんだ……

――能なしの物書きが、借りモンの正論で気取りやがって。この部屋は何だい。人の作ったもん飾り立てて、そこで自分のつもりかよ。お前こそペテン師だ。どこまでも借物だ。本当に正論を通したことなんか、一度だってないんだろう!

 

 にわかに幸介はいなおり、雄弁になる。「正論」に自らを追いこんだ真弓が幸介の恫喝にひるみ、身ぶるいする。これはしかし「正論」の是非を問うのではなかった。問題は「正論」のまかりならぬ世の中にある。草刈民代には、きっぱりと気持ちのいい真弓の「正論」がとても似合っていた。

 自分の隠しごとがこれでバレずにすむと知ったあとの小沢正春の「周りが真面目な人ばっかりだと、ハメ外したくなるんじゃないですか? いい人だったけど、やっぱり甘やかされていたんですよ……」と幸介を評する分け知りの小心の言葉がとてもつらい。

 多くの現代の劇が、批評が、あるいは世論が、「借りモンの正論」をふりかざしていないかどうか、そしてとくにあの三・一一以降において――と思わず知らず私が書いてしまったのはけっして「借りモンの正論」ゆえではない。

 この劇をいっそ分かりやすくいってしまえば最上質のブールヷール。それは日本の現代演劇が永いあいだもつことのできなかったソフィスティケイトされた風俗喜劇のおもしろさである。ブールヷールに必要なものは諷刺、皮肉であり、陽気であること、人間通であること。そこに永井愛の苦くシンラツな批評眼が光る。おそらくこれほど手のこんだブールヷールを本場にもすぐに思いだせない。この劇を推賞したゆえんである。

 道楽で借金を重ね、女をつくり、妻と子供三人を残して家を出た宗太郎が二十年ぶりで帰ってきた、これが菊池寛の「父帰る」だった。観るものに(親子の)情愛を訴え、同情心を起こさせること、それを「人生第一」にしたのが「父帰る」。これの反歌が「兄帰る」である。

 

「MIWA」「正論」は、一つではない

 さてそこで、第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の野田秀樹(演出も)「MIWA」(NODA・MAP)である。一言でいってしまえば「正論」とは何かを根底からうたがわせる劇、それがこの劇である。吉本隆明にならえば、異端と正系のかたわらで、これをいかにみきわめるかということにもなる。

 人には未生以前の物語がある。赤子は泣きながら厳粛に生まれてくる。劇の言葉もまたおなじである。測りがたいその人の気持が言葉とかたちになる。

 美少女のような美少年、宮沢りえのMIWAと古田新太のアンドロギュヌス/安藤牛乳の二人一役の発見を、この未生以前から視覚化してみせたところにこの劇の答えは決していると私は思った。MIWAとアンドロギュヌスの二人は、一人であって、別のもう一人ではない。つまり「正論」は、一つではない。そこでマリアと踏絵(男女の性別は踏絵を踏むか踏まぬかによって決定する)を奇想する畏るべき野田秀樹の融通無碍のチャンネルから、神の子イエスならぬ神の子MIWAが降臨する。

 そうか、MIWAは神の子だったのかと納得すると、この「MIWA」は、イエス(MIWA)とその弟子たち、幼恋繋一郎/赤木圭一郎、オスカワアイドル/オスカー・ワイルド/三島由紀夫と、そして天草四郎時貞から被爆地長崎をへて、こんにちにいたる、つまり戦前・戦中・戦後の受難の歴史物語だったのかとあらためて私は知ることになる。「正論」のまかりならぬ世の中とたたかうこと、それが生きることの別言である。さらに長崎の言葉がほんとうに心地よく美しい。MIWAのうたうシャンソンがいつのまにか讃美歌になっている。

 

翻案劇・原案

 青木豪の「鉈切り丸」いのうえひでのり演出(パルコ・東京グローブ座)は、「リチャード三世」のあざやかな翻案劇であり、その可能性を実験的に試みて、現代演劇のジャンルの拡大に有力なヒントを与えてくれた。ただし、かつていのうえその人の演出したことのある井上ひさしの「天保十二年のシェイクスピア」のように、井上シェイクスピアと呼ぶよりほかはない、つまり翻案劇の通念をあっさりとくつがえした井上劇のあったことを思いださざるをえなかった。蜷川幸雄演出の二〇〇五年版「天保十二年のシェイクスピア」以降、翻案劇のハードルは高くなっていると思う。

 その井上ひさし原案の蓬莱竜太作・栗山民也演出は「木の上の軍隊」(こまつ座・ホリプロ)だった。琉球処分から琉球藩へ、藩を廃して沖縄県、さらにくだってアメリカ統治をへての日本復帰のその年、一九七二年に井上ひさしのニュースソングがあった。「沖縄名所は 守礼の門/基地そのままの 守米の門/核かくし持つ 守核の門/本土の企業の 守銭の門/アニマル商社の 守益の門/暴力団流れ込む 守暴の門/いつの日か成る 守礼の門/ああ! 沖縄! 守悲の門!」。沖縄人と大和人の木の上の軍隊の二人の口から、つまり沖縄の言葉と大和口(標準語)によって、歴史のねじれをさらに語ってもらいたかったと私はつよく思ったのだが、また沖縄問題はどうしても一筋縄ではいかないのだが、巨大な榕樹のはなつ霊気は劇場内を十分につつんでいたのだった。