THE KIYOSHI HAYAKAWA FOUNDATION

第八回アガサ・クリスティー賞選評

選評 北上次郎

オーガニック ゆうき『入れ子の水は月に轢かれ』の単独受賞の決意を固めて選考委員会に臨んだが、他の選考委員の賛同を得ることが出来て喜ばしい。オーガニック ゆうきさんは『うないドール』という作品で、昨年も最終候補に残ったが、粗削りながらも印象深いシーンを描きだして鮮烈であった。しかし、『うないドール』はあまりに粗削りなので、その魅力は捨てがたいものの、私も強く推しきれなかった。その『うないドール』から一年、今回の『入れ子の水は月に轢かれ』は見違えるほどうまくなっている。あるいは、水路を巡る謎解きはまだ冗長だと指摘する向きもあるかもしれない。それは認めなければならず、この作家の今後の課題だろうが、たった一年でこの作家が大きく成長したのも事実なのだ。
暗渠の上に建てられた水上店舗というシチュエーションがいいし、駿がその暗渠の中を流れるくだりで、兄がくれたキーホルダーのライトをつけると大きなネズミが見えた──というのもリアルだ。いちばん印象的なのは、水上店舗の窓が月明かりを反射して光っているというラストで、まるで建物が生きているかのようだ。この鮮やかなイメージは素晴らしい。
まだけっして完成形ではないが、この作家はもっともっと大きくなる。そういう予感を抱かせてくれる作家と出会えたことを喜びたい。
他の候補作にも触れておけば、どれも水準以上の出来であったことは書いておかなければならない。碓氷霜子『氷焔』はラストの余韻もよく、ミステリとしてまとまっている。木山穣二『折れたタンコツ』は三代にわたる話を、過去と現在をクロスさせながら描いていくわりに読みやすく、この人の実力を感じさせる。福田悠『願いをかなえる完璧な方法』も、人物造形がよく、読ませる力は十分だ。ただ、これらの作品には安定感はあるものの、新鮮さが欠ける点は否めない。それが残念だ。

選評 鴻巣友季子

本賞では、デビュー前のアマチュアと、ときには多数の著書のあるプロが、同じフィールドで競うことになるわけですが、とくに去年今年と、その傾向が顕著になっています。当然ながら、技巧面、完成度などでは大きな差がつきます。それは毎回、選考会の争点にもなることです。書く苦しみはプロもアマも同じとはいえ、仕上げにもっていくスキルや経験値の支えがある前者の作には、斬新な題材、意表をつく展開、構成の卓抜さ、文章の巧さ、こういったものの先にあるもの、巧いお話以上のものを求めたいと思います。
さて、今年の最終候補ですが、それぞれ独自の作品世界に引きこむ力をもっており、楽しませてもらいました。
『氷焔』は快か不快かというと、正直なところ、題材も展開も結末も快の対極にあると言えますが、磁力となるえぐさがあり、ぐいぐい読ませる。幼女の殺人レイプ事件、かつての連続幼女殺人事件、高速道路での交通事故……。最も太いテーマは「法vs.正義」という問題で、そこから、犯人の詐病と責任能力の判断や、復讐の是非という重い問いが発せられます。これだけずらりと並んだ究極の問いを受け止めるだけの、創作の核のようなものを見出せなかったのが惜しまれます。
『折れたタンコツ』は、福岡県の三池と北海道の「神張」における過去の炭鉱事故をめぐるミステリ。三代にわたる炭鉱マンの生活と、四代目で道庁職員になった男性の市政腐敗との闘いが、いくつもの時間軸を行き来しながら描かれる労作です。労働者と資本家の対立は四代目にも持ち越されており、終盤を少し急いだ感はありますが、わたしは受賞作とともに四作中で最も高い点をつけました。
受賞作『入れ子の水は月に轢かれ』の作者は、昨年も『うないドール』で最終候補に。どちらも沖縄の秘史に迫る力作で、前作は戦時中、防空壕に使われた「ガマ」(洞窟)、本作は、現在那覇の暗渠下を流れるガーブ川の上に建つ水上商店街を題材にしています。受賞作の主人公は、ゲリラ豪雨の事故のトラウマから「マンホール恐怖症」になっている青年。よそ者の彼が那覇に住み着き、沖縄にベトナム(戦争)の相似形、冷戦の縮図を見出しながら成長していく。作者自身の一年での成長も目を瞠るばかりでした。
『願いをかなえる完璧な方法』は、どんな願いもかなえるという寺の御本尊をめぐる時代劇ミステリです。流れに淀みがなく、会話は手慣れていて、文体も安定しています。その先に踏みだす時ではないでしょうか。ラストがあっけなくぱたぱたと閉じてしまったのがやや残念でした。

選評 藤田宜永

碓氷さんの『氷焔』は、違う事件を追う二組の刑事が、ふたつの事件の接点に気づくという魅力的な設定で、捜査も丁寧に書かれている。しかし、裏で糸を引いていた人物の描写が少なすぎる。もう少し存在感を出しておく必要があったのではなかろうか。〝被害者〟たちが結託するのは面白いが、彼らの行動の不自然さ(元レディースの動きなど)が気になった。重い題材を扱っているのだから、じりじりと進む復讐劇にした方がテーマに合っていたように思えた。
木山さんの『折れたタンコツ』は力作である。炭鉱の歴史もきちんと書き込まれ、文章にも問題はなく、意外性もあった。ではなぜ、今ひとつ推せなかったのか。おそらく、物語や登場人物の描き方が素直すぎたからではなかろうか。主人公の権力に対する姿勢も、女たちに対する態度もとてもシンプル。このシンプルさは作品全体に及んでいて、作者が真摯に物語を紡ぎ出している顕れだと好感を持ちつつも、強したたかさが欠けている気がした。そういう見方はちょっと厳しすぎるのかもしれないが、これだけ書ける人だから、突破口さえ見つかれば、さらに魅力的な世界を作り出せるに違いない。
福田さんの『願いをかなえる完璧な方法』を僕は推した。面白い設定、無駄のない文章、人物描写、筋の運び……どれを取り上げても、この作品が一番完成度が高く、時代小説だが、欧米の洒落たミステリに通じるテイストを持っていると高く評価した。しかし、受賞には至らなかった。以前、松本清張賞の候補になり、当時の選考委員たちの評価も総じて高かった作品を改稿したものだということが影響したとは思わないが、福田さんはすでに他の名義で書かれているプロである。この賞は、プロでも応募できるのだから、そんなことを考慮に入れてはいけないのだろうが、新人賞である以上、〝新風〟の方が勢いがあり、完成度の高い作品が涙を呑むことがある
ということだ。しかし、福田さんは世に問える場所を持っている。腰をすえて、いい仕事をしてもらいたい。
オーガニックさんの『入れ子の水は月に轢かれ』はまさに今回の〝新風〟だった。ミステリとしての穴はかなりあるし、文章もあらい。が、愉しく読めた。タイトルが示しているような不思議な魅力もある。近代小説は〝深さの神話〟に支えられてきたところがあるが、最近は、漫画やアニメの影響か、フラットに描くことを良しとする作品が増えた。この小説も、戦後の沖縄の闇の部分を扱っているが、素人探偵チームが事件を解決していくような、いい意味での軽さがある。「未来を買いたい」と強くこの作品を推した選考委員の情熱に心を動かされ、受賞に賛成した。大いに期待しています。

選評 清水直樹(ミステリマガジン編集長)

 第八回の今年もバラエティに富んだ四作が最終選考に残った。まず、時代小説『願いをかなえる完璧な方法』はリーダビリティが抜群で完成度が高い。〝願いをかなえる寺〟という謎を提示し、エピソードを連ねて、最後に大きな解決があるという王道の展開だが、依頼人たちが小さな罪をかぶったり便宜を図ったりすることで、より大きな罪に関わるという、複数犯人ものの変形としても読める。それを時代小説の枠組みで書いていて新鮮な印象を持った。私はこの作品に最高点を付けたが、やや小さくまとまり過ぎているという意見には頷ける部分もある。今後、さらに書き続けることでステップアップを期待したい。
『折れたタンコツ』は、三世代の炭鉱夫を主人公にした社会派ミステリ。取材を入念に行ったことを感じさせる仕上がりで、丁寧に書かれていて好感が持てる。ただ、ラストは気になった。メインの舞台の神張市のモデルである地方自治体の実情は、非常に厳しい状況にあり、それを応募作のようなラストにしたのは、社会派ミステリとしてはいささか楽観的過ぎる印象が否めない。
受賞作となった『入れ子の水は月に轢かれ』は、昨年も最終候補に残った『うないドール』と同じ作者の作品。前作同様、沖縄が背負ってきた歴史の重みを感じさせる内容。前作の背景が、太平洋戦争の沖縄戦であったのに対し、今作は戦後沖縄の状況とベトナム戦争が裏テーマとなっている。評価すべきは、沖縄の描写の濃密さ。重要な舞台である那覇の水上店舗は、まさに見てきたように臨場感たっぷりに書かれていて、思わず引き込まれた。謎解きに関わる部分、キャラクターの整理など、まだまだ改善の余地があると思うが、沖縄独特の〝熱気〟を纏まとった作品のユニークさは特筆に値する。今後の可能性も合わせての受賞に異論はないだろう。
『氷焔』は、異常犯罪者と悪徳弁護士に対し、被害者の犯人グループが復讐をするという構図の作品で、よくまとまっている。だが、読んでいて犯人グループの動機に関わる部分がどうしても気になり、積極的に評価できなかった。