THE KIYOSHI HAYAKAWA FOUNDATION

第十一回アガサ・クリスティー賞選評

選評 北上次郎

選考委員が全員最高点を付けたのは、アガサ・クリスティー賞史上初めてである。逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』はそのくらい抜けていた。女性だけのスナイパー部隊の一員として成長していくヒロインを中心に、過酷な戦争の直中を駆け抜けていく日々を、臨場感たっぷりに、ディテール豊かに描いていくのだ。特にラスト百二十枚は、それまで溜めていたものが一気に爆発するから素晴らしい。アクションの緊度、迫力、構成のうまさは只事ではない。しかも最後の最後に、おお、これは書けない。
背景は独ソ戦、スターリングラード攻防戦と、要塞都市ケーニヒスベルクの戦いを描くものだが、女性狙撃手という実在した人物を登場させて、壮大な歴史を背景に、個的なドラマを作り上げるという、とても新人の作品とは思えない完成度に感服。
やや長すぎることと、タイトルが平板であることが気になるが、戦場を舞台にしたシスターフッド冒険小説として広範囲の読者の心を掴む作品だと信じる。

個人的な次点は、小塚原旬『嘴くちばしと階きざはし』と、森バジル『探偵の悪魔』。前者は烏を語り手とする作品で、楽しく読めた。特に、熊鷹との死闘は迫力満点であり、鳥が鳥を食べるシーンは鬼気迫っていて、この作者の筆力を感じさせる。しかし今回は受賞作が強すぎたので、推しきれなかった。後者も、楽しい作品だった。いろいろな悪魔がいて、悪魔のルールがあって、それを使って殺人と推理が展開するという作品だが、その「論理のお遊び」がめちゃくちゃ楽しい。
「保険業の悪魔」とは一週間以内に再契約ができない、とか細部のルールがケッサクなのだ。問題は、クランチ文体だろう。この作品にクランチ文体を使う必然性はない。話が面白いだけに、惜しまれる。
根本起男『プラチナ・ウイッチ』と、初川遊離『ビューティフル・インセクト』は、残念ながら他の三作より落ちるというのが私の見解である。


選評 鴻巣友季子

今年も非常にレベルの高い最終候補作がそろいました。
そして毎度のことながら、作風やジャンルもバラエティ豊かです。これは本賞が「アガサ・クリスティー」の名前を冠しながら、対象作品を「広義のミステリ」としているところにも起因しているでしょう。本格ものはもちろん、SF、ファンタジー、ホラー、冒険小説、ディストピアもの、パニックスリラー、変身譚(!?)、あるいはそれらを融合した型破りで独創的な作品が世に送りだされました。一時、「賞には統一的なカラーがあるべきでは」と悩んだこともありますが、この包摂性こそが「アガサ・クリスティー賞」なのだと自信をもって言えます。
あなたが「広義のミステリ」と思うものを、どしどしご応募ください。

さて、今年の大賞作品ですが、超弩級の戦争小説『同志少女よ、敵を撃て』に決まりました。第二次大戦の「独ソ戦」を舞台にした小説で、実在した女性だけの狙撃訓練学校と部隊を描いています。
伝説の女狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコや、いまコミック版が話題になっているスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』を想起する方もいると思います。期待を裏切らないでしょう。
狩りの名手の少女セラフィマ。彼女の個人的な復讐心に始まった物語は波乱のなかで、隊員同士のシスターフッドも描きつつ、戦場になだれこみ、壮大な展開を見せます。胸アツ。選考委員全員が満点をつけました。

『プラチナ・ウイッチ』は、素晴らしくイヤなイヤミスです。邪悪な方へ邪悪な方へとどんでん返しが続く終盤で味わう悪寒、そして五作の中ではいちばん現代の生活実感がある作品として、私は高く評価しました。佳作が出せれば出したかったです。
『ビューティフル・インセクト』は、ロンドンのスラム街を舞台にしたシリアル・キラーもの。文章に安定感もあり、語りの力量を感じます。気になるのは、なぜ舞台にロンドンを選んだのかということ。街の場末の情景や色合いや臭いをもっと生々しく感じさせてほしかったと思います。
『嘴くちばしと階きざはし』は、人間と鳥たちの世界を並行して描いており、鳥が探偵役になります。異種を描くことで、モータリティや殺しの本質について考察することになり、読ませます。中ごろから、鳥が鳥であることの特異性が活かされなくなってきた感があったのが惜しまれます。
『探偵の悪魔』は、コミカルでファンタジックなミステリです。クランチ文体と呼ばれる独特な文体が面白く、アイデアも良いのですが、全篇このスタイルだと読み疲れるのも確かでした。


選評 法月綸太郎

『同志少女よ、敵を撃て』は独ソ戦に出征したソ連軍の女性狙撃兵を描いた雄篇。敵味方・男女といった単純な二分法ではなく、憎悪と差別(抑圧)が常に複数交差する戦場のリアルを鮮明に可視化、女性同志らとの共闘を通してストイックな主人公の成長を描ききっている。冒険小説らしい血湧き肉躍るスリルと狙撃シーンの臨場感はもちろん、虚実取り混ぜた人物配置とその造型にも隙がない。白眉は大詰めのケーニヒスベルク戦で、入念な布石の下に繰り広げられるラストバトルの衝撃的な結末
にこの物語のすべてが詰まっている。文句なしの5点満点、アガサ・クリスティー賞の名にふさわしい傑作だと思う。初参加の選考会でも、この作品を推すのに全く迷いはなかった。

以下、評点の高い順に感想を。『探偵の悪魔』は特殊設定のアイデアが魅力的で、犯人指摘後の展開には目を瞠った。ただし謎解き小説としての説得力が弱すぎる。不満点は特殊ルールの体系的説明が不十分で推理のフレームが定まらないこと、重要な情報が後出しでアンフェア感が先行すること。読者を置いてけぼりにしないためにも、ワトソン役の語りを練り直した方がいい。
『嘴くちばしと階きざはし』は烏の一人称と理系トリックの組み合わせ、特に視覚情報の処理に創意を感じた。空中戦の描写も読ませるが、烏と人間の意思疎通は工夫の余地あり。魔性のヒロインに魅入られた「使い魔」どうしの協力関係を強調するなら、青年刑事が初見で「俺」に目をつけるのは気が早すぎる。
『プラチナ・ウイッチ』は人でなし一家が破滅するサイコノワールだが、手数が多いわりに平板な印象。トリッキーなどんでん返しが裏目に出て、ヒロイン娘とモンスター母の対決が不完全燃焼に終わったせいでは。
『ビューティフル・インセクト』は先の読めないオフビートな語り口に期待が募ったが、中盤を過ぎても上滑りな展開が続き、最後まで物語の平仄が合わない。カトリックの神父に妻子がいるのは「?」だし、ラストも風呂敷を畳みそこねた感じ。


選評 清水直樹(ミステリマガジン編集長)

今回から選考委員に法月綸太郎氏が加わり、再び四人での選考となった。いずれも可能性を感じさせるバラエティ豊かな最終候補五作だった。
大賞は、十一回の選考で初めて、選考委員全員が満点をつけ、満場一致で決まった。『同志少女よ、敵を撃て』は、第二次大戦の独ソ戦を舞台にした作品。女性のみで構成されたソ連軍の狙撃手部隊の一員となった少女の成長を描く。とは言っても単なる冒険アクション小説ではない。優れたミステリであると同時に、優れた現代小説と評価できる作品だ。ソ連は、参戦国のなかで唯一、女性兵士が従軍した国である。その女性兵士の視点から、スターリングラード攻防戦をはじめとする苛烈を極めた
戦闘と、仲間のスナイパーたちそれぞれの人間ドラマが描かれる。女性が戦場で戦い、生き抜くことの意味を突き詰めた、まったく新しい戦争冒険小説を読むことができた。多くの方に読んでいただきたい。

次点としたのは、『ビューティフル・インセクト』。文章は読みやすく洗練されていて、キャラクターもよく描けている。良質なコミックを読んでいるような味わいがあった。一方で、舞台を英国にした必然性に乏しく、ロンドンという街がもつ雰囲気が文章に込められていれば、より説得力のある作品になったのではないか。
同じく次点の『プラチナ・ウイッチ』は、現代を舞台にした社会派サスペンス。いわゆるイヤミスとして欠点の少ない作品。今回の選考作のなかで、もっとも現代社会と接点のある作品だったせいか、そのイヤさがより濃厚に感じられた。例年であれば、なんらかの賞に推していたかもしれない。
次点の二作に比べて、『嘴くちばしと階きざはし』はやや評価が落ちる。鳥同士の戦いは迫力十分に描けていて興奮して読んだ。だが、主要人物の女性の魔女的役割を考えると、ミステリというよりは、やはりファンタジーとして評価すべきではないかと私は思った。
『探偵の悪魔』は楽しく読める作品。特殊設定のアイデアは優れているものの、ほかの候補作に比べて、文章力、描写力など小説としての完成度で評価が低くなった。

アガサクリスティー賞

悲劇喜劇賞

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