THE KIYOSHI HAYAKAWA FOUNDATION

第十回アガサ・クリスティー賞選評

選評 北上次郎

そえだ信『地べたを旅立つ』に最高点をつけてから、自分で驚いた。本当にこれが最高点なのかよ。というのはこれ、冗談のような作品だからだ。ロボット掃除機になってしまった男が主人公なのだが、このあとがぶっ飛んでいる。小学五年生の姪っ子を守るために彼女が住む小樽に行かなくては、と考えるのだ。たしかにロボット掃除機だから動くことは出来る。しかし、思うかね、そんなこと。お前、掃除機だよ。素晴らしいのはこれ、それだけの小説であることだ。掃除機男のロードノベルなのである。
もちろん掃除機だから「旅」は円滑には進まない。次々にアクシデントが起こり、そのたびに掃除機男は悪戦苦闘。時々充電(!)したり、老人と「会話」したり、いやあ、その細部が楽しい。しかし自分で最高点をつけておきながらこんなことを言うのもなんなのだが、いくらなんでも選考会でこの作品が票を集めることはないだろうから、そのときは選評でこの作品に対する愛を語ろうと思っていた。私はお前が好きだよ、と。ところがびっくり。他の選考委員の方にも好評だったのである。これがいちばんの驚きであった。
宮園ありあ『ミゼレーレ・メイ・デウス』も面白かった。十八世紀後半のフランスを舞台にした長篇で、膨大な登場人物が交錯する作品だというのに、読みやすいというのがまずいいし、探偵役のジャンジャックと公妃マリーアメリーのコンビもいい。欠点は、印象に残るシーンが少ないこと。たとえば友人ランベールとの交友や、親の愛を知らないジャックの不幸な幼い時代などを映す回想シーンが幾つかあれば、物語に厚みが出て、奥行きが生まれ、きりりと引き締まっていたに違いない。
蝋化夕日『エゴにのみ通ずるヒュプノ』は、アイディアは面白いものの、ややこねくりまわしすぎた感があり、織田弘助『誰が何と言おうと』は、いくらなんでも長すぎる。もっと刈り込んだほうがよかった。園田幸治『時空を超えた約束』は、読むのがちょっと辛かった。


選評 鴻巣友季子

今年も最終候補にはバラエティに富む作品がそろった。この幅の広さがアガサ・クリスティー賞ならではだなと思う。主催の早川書房としても出版したいものが何作もあったとのこと。
さて、大賞受賞作は前代未聞のといってもいい「掃除機ミステリ」である。
作者のそえだ信さんはこれまでも歌謡喫茶を舞台にした連作ミステリなどで本賞の最終候補に残ってきたが、今回の『地べたを旅立つ』はひときわユニークで、遊び心に満ちている。スマート機能搭載のロボット掃除機に刑事が憑依して、少女を守るために奮闘するのだ。
「ある朝、落ちつかない夢から醒めたとき、鈴木勢太は一台の小さな機械に変わってしまっている自分に気がついた」
たとえば、序盤にこんなくだりがあり、ぷっと吹きださせる。カフカの『変身』から、夏目漱石の某作にまで、ちょっとした目配せも楽しませてくれた。奇想天外な設定ながら、筆運びは手堅く、心地よいドライブがある。ミステリ界のニューウェーブとして活躍してください。
優秀賞が出せたことも喜ばしい。宮園ありあさんの『ミゼレーレ・メイ・デウス』は、十八世紀、フランス革命前のパリを舞台にした、絢爛たる歴史ミステリだ。ルイ十六世の従妹である未亡人の公妃と、フランス陸軍大尉でパリ王立士官学校教官の探偵コンビが、オペラ座を舞台とする殺人事件に挑む。
多彩な登場人物たちを配し、よく造りこまれた世界観が仮構の物語をしっかり支えている。オペラ座のカストラートも効果的な役割をはたしていると感じた。やや型通りな印象をあたえる描写や展開もあったので、今後の課題としていただければと思う。
織田弘助さん『誰が何と言おうと』は、河川敷での死体遺棄事件をめぐるミステリ。二十四歳の作者だが、文章が非常にうまいと思った。刑事を含めて数人出てくる探偵役は役割に重複感があり、整理したほうがよかった。また、学校をとりまくミステリだったのが、ある女性のライフストーリーのようになって終わる構成にやや無理を感じた。
園田幸治さんの『時空を超えた約束』は、タイムワープ装置を取り入れて大胆な展開を見せており、ある種の荒唐無稽さは頼もしい。しかし登場人物たちがなぜそういう愛憎関係に陥っているのか、また、痴漢のシーンを冒頭の導入にもってきた意図も不明確だった。
蝋化夕日さんの『エゴにのみ通ずるヒュプノ』は、メタフィジカルSFミステリとでも呼ぶべき、複雑なコンセプトをもった作品。二重人格や意識の統合体など面白い要素がたくさんあるが、“事件”が起きるまでが長すぎでは。性的少数者への言及や学園ものとしてのセンスも少々古い気がした。


選評 清水直樹(ミステリマガジン編集長)

クリスティー賞は、二〇一一年の第一回から数えて、今年で第十回を迎えた。これまでの選考では、多様な才能の書き手に出会い、デビューに立ち会うことができたが、今後もミステリ界の充実と発展に寄与できるよう、賞の充実を図っていきたい。
さて、今回も本賞ならではのバラエティに富んだ五作が最終候補に残った。織田弘助『誰が何と言おうと』は、児童虐待をテーマにした社会派ミステリ。大学時代に同じ社会学のゼミで学び、それぞれ社会に出た学生たちが、ある事件をきっかけに再び顔を合わせる。心に傷を抱えた登場人物たちが、それぞれの立場で事件に関わっていくという、このジャンルの話としては定番の展開だが、丁寧に書かれていて好感が持てた。けっこうな数の登場人物たちもよく描き分けられていて、話に入り込んで読めた。二十四歳の書き手の作品として今後への期待という点も含めて、私は最高点を付けたが、選考会では登場人物が多すぎるし全体に長すぎるなどの指摘があり、受賞には至らなかった。
宮園ありあ『ミゼレーレ・メイ・デウス』は、十八世紀末フランス革命前夜のヴェルサイユで起こった殺人事件をめぐる歴史ミステリ。公妃マリーアメリーと陸軍大尉ジャンジャックという身分違いの二人が捜査にあたるバディもので、当時の歴史的背景・風俗なども詳しく書き込まれていて、個人的にもこのジャンルの小説が好きなので、最後まで楽しく読んだ。『誰が何と言おうと』とどちらに最高点を付けるか悩んだこともあり、優秀賞の受賞には納得。主人公二人のその後を描いた続篇もぜひ読んでみたい。
そえだ信『地べたを旅立つ』は、ある事件をきっかけにしてAI内蔵のロボット掃除機に憑依した刑事を主人公にした異色の冒険ミステリ。人格が無機物に転移するというのは、SFとしても記憶にない設定で、正直なところミステリとしてこの作品をどう評価すべきかに悩んだ。視点が変わることで世界の見え方が変わる面白さは、SF的な面白さだと私は思う。だが、小説として文句なく面白く、興奮して読んだことは確かなので、大賞受賞に何の異論もない。
蝋化夕日『エゴにのみ通ずるヒュプノ』は、謎の巨大怪物によって壊滅状態に陥った日本を舞台に、その怪物に対抗するため作られた学園で起こった殺人事件を描く。SF的な設定における不可能殺人という、一連の新本格ミステリの系譜に連なる作品。大きな欠点はないが、オリジナリティの面で正賞に推すには決め手に欠けると感じた。園田幸治『時空を超えた約束』はタイムトラベル・ミステリ。ストーリー自体は楽しめたが、人物の行動が説明過多な部分など、ノベルゲームのシナリオを読んでいるような印象を受け、高い評価は付けられなかった。

アガサクリスティー賞

悲劇喜劇賞

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