THE KIYOSHI HAYAKAWA FOUNDATION

第五回アガサ・クリスティー賞選評

選評 東 直己

昨夏に思いがけず腰椎圧迫骨折というアクシデントに見舞われ、長距離の移動が叶わず(デブですいません)、今回はやむなく書面での参加となった。誠に残念なことであったが、候補作を読み味わう幸せは十分に味わうことができた。
クリスティー賞の選考は昨年に続き二度目となるが、今回は全体的にハイレベルだったという印象が強い。中でも私が最も推したのは『桜咲く頃に』だった。物語の組み立て、文章の運び、新人らしからぬ筆致で安心して読み進むことができた。気象予報官という職業をより詳しく知ることができたこと、新しい知識を得たのも楽しいことであった。今回惜しくも賞を逃したが、このまま書き続けていけば、将来に期待がもてる人だと感じた。
受賞作となった『うそつき、うそつき』はチャーミングな設定で、独自の世界観の中で遊ばせてもらった。
『サイレント キラー』は水準に達しているが、惜しいことにいま一つ踏み込んだ魅力が感じられなかった。ただ、あのような世界を構築する筆力には感心した。
『ミセスMと西瓜の謎』は入り組んだ物語が最後まで飽きさせず、若い男女の人間関係も複雑に絡み合い、面白く読んだ。
『セイブ・ザ・クイーン』は趣向が勝り、非常に不自然なわざとらしい世界観と思えた。人によってはこういう作品が面白いのだろうが、残念ながら私の肌には合わなかった。
以上、ざっと感想を述べてみたが、前述したようにそれぞれに明確な世界観が出来上がっており、全体的に高水準で粒ぞろいであった。クリスティー賞も五回目となり、やはりこうした企画は継続が大切なのだとしみじみ感じたことであった。他の選考委員の感想を生で拝聴することができなかったのはかえすがえすも残念であったが、候補作から発散されたミステリへの情熱ははなはだ熱く、今後への期待を抱かせるに十分なものであった。

選評 北上次郎

『うそつき、うそつき』は素晴らしい。なぜ首輪をするようになったのか、ということの歴史あるいは背景については書かれていないが、これは確信犯だろう。むしろ眼目は、そういう時代になったら人々の暮らしはどうなるか、ということのほうにある。主人公のもとに、首輪を外したいと思う依頼者が次々に現われるが、そのさまざまな事情とドラマを描くことがこの長篇の眼目であるのだ。連作ふうな構成はつまりきわめて意図的なものであり、奇想天外な話を、これほど自然に、しかも描写力と造形力をもって描き切ったことは素晴らしい。最初に出てくる少女ユリイの挿話も、切実なラストも、群をぬくうまさだ。新人賞応募作品という条件を外し、今年読んだ本というラインに並べても強く印象に残る作品であった。この作品に満点の評価をして選考会に臨んだが、他の選考委員の賛同を得て受賞したことは喜ばしい。
『セイブ・ザ・クイーン』も印象に残る作品だ。こちらは『バトル・ロワイアル』にインスパイアされた作品だが、付与したさまざまな設定がうまい。実によく考え抜かれている。さらに、最初四人の協力関係を破綻させておいて次に優姫と梓の協力を成立させるという展開もいい。つまり構成がいいのだ。キャラが徐々に立ち上がってくるとこの物語に引き込まれていくものの、人物描写がやや類型的な前半と、ナイトが思ったほど活躍しないことなどの欠点が惜しまれる。
『サイレント キラー』は老人介護の現実が物語の背後にあって身につまされるし、文章も読みやすいが、新鮮さに欠けるのが難。『ミセスMと西瓜の謎』は本筋とは関係ないところの細部がなかなか読ませるものの、少々読みにくいのが疵。『桜咲く頃に』は気象予報官を探偵役にした連作だが、最初の二本はなかなか読ませるものの、気象とは徐々に離れていく後半がやや辛い。もう少し時間をかけて練り直せばいい作品になるのではないか。

選評 鴻巣友季子

今年の選考会が過去最高に長引いたのは、どれも手放しがたく、慎重な精査と討論が続いたからです。それぐらいレベルが上がってきています。第一に、各作品とも文章そのものが良質でした。例年、言葉づかい、口調、文体などテキストに関する点で引っかかる作品もあるのですが、今年はどれも自然に読めました。とくに第三回に続いて最終選考に残った藍沢砂糖さん『セイブ・ザ・クイーン』の文章面での上達は目覚ましいものがありました。
気象予報官を探偵役に据えた『桜咲く頃に』は、まさにテクスチャーの良い、構成の端正な七篇の連作ミステリ。一篇ごとに大きく盛り上げていくダイナミズムがもう少し加わるとドライブ感が出るのでは。『サイレント キラー』も、高齢化社会における老人介護施設をうまく活かして書かれていました。手堅い作風ですが、今書かれるべきフォーカル・ポイントがもっと明瞭になると良いですね。
『セイブ・ザ・クイーン』は基本的には『バトル・ロワイアル』系譜のデスゲームで、ミステリ色は強くありませんが、迫力のある筆致でぐいぐい読ませます。「離脱」というコンセプトを導入し、駆け引きの妙味を添えました。作者は強いモチーフを持っているようなので、文章、文体面が調ってくると、今後がぜん強みを発揮するでしょう。『ミセスMと西瓜の謎』は大学のミステリ研究会で過去に発行された同人誌を題材にするという、一見地味なミステリですが、凝った入れ子構造の佳作です。同窓生をめぐるフレームストーリーがあり、「西瓜」という同人誌掲載の作中作ミステリがあり、その中に出てくる落語「黄金餅」がある。最後のアームチェア・ディテクティヴのどんでん返しもなかなかです。殺意の有無とそのありかを敢えてぼかし、登場人物ほぼ全員にある種の悪意をもたせ、それが明確な方向性なく渦巻いているさまは、じつに不気味です。しかしその「曖昧であることの怖さ」はもっと明瞭に浮かびあがらせる必要があると思います。受賞作の『うそつき、うそつき』は孫悟空ばりのウソ摘発の首輪を装着させられた近未来の管理社会を描くディストピア小説です。首輪の仕組みのディテールもよく描きこまれ、次々と登場する「依頼人」のバックグラウンドもおもしろく、連作短篇的なテンポの良さもある。時間軸を二つ設定していますが、少し近すぎる感があり、もっと広くタイムスパンをとることで、さらに深い情感を生みだせるでしょう。何と戦っているのかわからない漠然とした不安感が良いので、前段にも書きましたが、「漠然としている嫌な感じ」をもっとヴィヴィッドに伝えてください。ラストで主人公が見る景色を見た瞬間、私は涙が止まらなくなりました。

選評 清水直樹(ミステリマガジン編集長)

最終選考作五作のうち、時代を近未来に設定したものが二作あった。『うそつき、うそつき』と『セイブ・ザ・クイーン』であり、今回はこの二作が高評価を得ていた。それに加えて、東氏が推した『桜咲く頃に』、正統的なミステリである『ミセスMと西瓜の謎』、つまり五作中四作に受賞の可能性があったが、選考の結果、『うそつき、うそつき』が第五回の受賞作に決定した。
近未来ものの二作は、いずれも大きな変化が起こった社会を設定し、その状況下でストーリーが展開される。受賞作となった『うそつき、うそつき』は、嘘発見器としての首輪の着用が義務付けられたある国の物語。だが、社会の問題点や未来の人類の姿を描くといった、いわゆるディストピアSFではなく、主眼はあくまでその社会で主人公がいかに悩み、成長していくかにある。そして、その瑞々しい描かれ方がなによりもいい。凝った設定もミステリとして回収されており、瑕は感じられなかった。受賞作にふさわしい作品と評価した。
近未来もののもう一作は『セイブ・ザ・クイーン』。女王制の敷かれた架空の日本で、ある都市を舞台に新女王の座をめぐってデス・ゲームが繰り広げられる。同じ近未来ものでも受賞作と読み味は異なり、サスペンス、アクション小説として読ませる。その分、ミステリとしては弱く、受賞には届かなかった。
『ミセスMと西瓜の謎』は、バランスの良さは候補作随一だったと思う。作中作の仕掛けもよく書かれており、受賞作とどちらを推すかは最後まで悩んだ。だが、欠点は少ないものの、特出したところ、新味に乏しいのが気になり、最終的には次点とした。
『サイレント キラー』は、老人を主人公にしたユニークな作品。介護保険制度など現代社会が抱えている諸問題を盛り込んでいて読ませる部分もあるが、本来、主眼となるべきサスペンス性が弱いのが気になった。
『桜咲く頃に』は、気象予報官を探偵役にした連作短篇集。個々のエピソードはうまくまとまっているが、それぞれに重いテーマを孕んでいるにもかかわらず、謎に奉仕しすぎで扱いが軽く感じられた。

アガサクリスティー賞

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