THE KIYOSHI HAYAKAWA FOUNDATION

第一回アガサ・クリスティー賞選評

選評 北上次郎

 ジョイ・フィールディングの作風を想起する『いたずら天使』は、ヒロインの心理的不安、動揺などを軸に描く心理サスペンスで、それなりに読ませる。問題はミステリとしての新しさとパンチに欠けることだろう。『カーニヴァル・デイ』は人間関係が好都合すぎる。ストーリーがどれほど奇妙奇天烈なものであってもかまわないが、人物造形に血が通っていないのは困る。読ませる力は認めるが、そこが推しきれない。
『ユーディット』は、戦前のドイツを舞台にした長篇で、やや読みにくいが、よく言えば独自の世界観を持った作品とも言える。ただし、これは歴史小説ではあってもミステリではないと判断した。
 私が惹かれたのは『顔のない女』。話はどうということはない。それをここまで読ませるのは構成がいいからだ。こちらもサスペンスで、『いたずら天使』と同様によくある話にすぎないが、こちらは見せ方に工夫がある。サスペンスを拒否する風情すらあるのだ。誉めすぎかもしれないが、天童荒太の山本周五郎賞受賞 作『家族狩り』に共通する怖さを連想した。背景の説明不足を他の委員から指摘されたが、それは確信犯だろう。陽介と温子が何も語らないのもその道筋を示し ている。綻びがないわけでもないので強く推しきれなかったが、これで諦めずによりいっそうの奮起を期待したい。
 受賞作の『黒猫の遊歩あるいは美学講義』は、コピーと模倣はどう違うのかということの考察を始めとするペダンチックな講義が読ませる。母親が娘の姿を見つけられなかったのはなぜか、というように謎が小さいが、ポイントは謎の大きさ、派手さではなく、その謎がいかに人間の営みを映し出しているかという点にある。たとえば第五話は、たしかに苦しい謎解きではあるけれど、そこに人間のぎりぎりの営みがあるという点で素晴らしい。個人的には苦手なタイプの作品だが、この素晴らしさは認めなければ なるまい。

選評 若竹七海

 言わずと知れたミステリの女王の名を冠する賞の第一回である。さぞや品格ある「楽しい殺人のおはなし」が…と思ったら、良くも悪くもクリスティーの名にと らわれない作品が最終候補に残ったのには驚かされた。例えば『カーニヴァル・デイ』。少子化対策のため、一日だけレイプが合法化された世界という設定への不快感はさておき、文章はうまいし勢いはあるものの、各シーンのつながりが悪く、設定のわりに読み終えた印象が薄い。『いたずら天使』は子どもの頃から母親を介した性的虐待にさらされてきた女の物語で、こちらは説明不足に加え文章も読みづらいが、徐々に緊迫感が増していくあたりは印象的だった。
『ユーディット』はナチスが台頭してきたヨーロッパを舞台とした歴史小説で、非常に興味深く読んだ。ただし、これだけのスケール、四百枚では短すぎたようで、話は味わいもなくどかどかと進み、映画のシノプシスを読まされているよう。また、父親を殺した真犯人が…という謎の伏線がきちんと敷かれていないなど、いろんな意味でミステリとしての配慮に欠けていた。
『顔のない女』はフランス・ミステリ的な味わいのある銀仮面テーマのサスペンスで、クラシックなあまりかえって新鮮に感じた。出版されるにふさわしい佳作だが、受賞作としての華々しさ、という点では地味で小粒。残念ながら、ポーをモチーフにした連作 『黒猫の遊歩あるいは美学講義』に一歩、及ばなかった。
 問題は、『黒猫~』でポーのあるミステリの犯人を明かしている点だ。確かに有名な作品だが、知らない人間のほうがどう考えたって多いわけで、ネタばらしは原作に対する敬意と配慮に欠ける。ただしそこさえ直せば、薀蓄さえさわやかに読ませる文章力、魅力的なキャラクターで織り上げられた楽しいミステリで、クリスティー賞にふさわしい作品だと考えた。

選評 小塚麻衣子(ミステリマガジン編集長)

 紛糾してもいいように、当日は釜肉ぶっかけうどん生玉子のせをかきこんで会場に臨んだのだが、予想に反して速やかな選考会となった。まず、飛び抜けたのが『顔のない女』と『黒猫の遊歩あるいは美学講義』。そこで、先に残りの三作についての 検討を行なった。以下、私の意見になるが、『カーニヴァル・デイ』は、随所に爆発的な勢いを感じた。印象的なシーンへ盛り上げていく力はあるが、ストー リーとしての繋がりが悪いので、納得のいかない感が最後までついてまわる。『いたずら天使』は、書きぶりは達者だが、古くさい印象がぬぐえなかった。ラス トをあのようにするなら、もっと信頼できない語り手ものにするなどの工夫もあったのではと思う。『ユーディット』は、先の読めない展開という点では一番 だった。でもそれは本作がミステリではないからかもしれない。フーダニットとしては謎解きがなく、冒険物というには主人公に都合がよすぎる。歴史知識の豊 富さと組み合わせた壮大な構想は評価したいが、あの枚数で描き切れるネタではない。
 つづいて、決勝ともいうべき、『顔のない女』と『黒猫~』の検討だが、私は当初『顔のない女』への評価は高くなかった。筆致は五作中もっとも巧みで、とくに冒頭に提示される謎の掴みはピカイチだったが、謎が完全には解かれず、伏線も回収しきれていないように思われ、消化不良だったのだ。だが、北上・若竹 両選考委員に、これはそういうじわじわとした理不尽な恐怖を楽しむものだと教えられ、納得した。受賞には及ばないが、たとえば文庫などで読みたい佳品だ。 『黒猫~』は、ポー作品の新しい解釈と別の古典と日常の謎を三つ巴にするという著者の意欲に好感が持て、しかもそれが嫌味なく成功している。キャラクター も立っており、文章もこなれていて、総合評価が高かった。ただ、ポーの作品のネタバレがあることは作者と読者に対するマナー違反。作品の出来不出来とは別 だが、これを解決するという条件付きでの受賞となった。