THE KIYOSHI HAYAKAWA FOUNDATION

ハヤカワ「悲劇喜劇」賞

第四回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞のお知らせ

第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞贈賞式を開催

第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員批評文

第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考結果

第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞のお知らせ

第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞贈賞式を開催

第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員批評文

第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考結果

第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞贈賞式を開催

第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員批評文

第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞のお知らせ

第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考結果

ハヤカワ「悲劇喜劇」賞創設のお知らせ

第四回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞のお知らせ

公益財団法人 早川清文学振興財団と株式会社 早川書房は2013年1月に『ハヤカワ「悲劇喜劇」賞』を創設しました。この賞は選考委員と批評・評論家の劇評意欲を最も奮い立たせる優秀な演劇作品を顕彰するものです。
これまで第一回は『野田(NODA)地図(MAP) 第18回公演「MIWA」』、第二回は『二兎社第39回公演「鴎外の怪談」』、第三回は『彩の国シェイクスピア・シリーズ第30弾 さいたまネクスト・シアター第6回公演「リチャード二世」』が、それぞれ受賞されました。
ひきつづき、2016年に上演された現代演劇を対象に、第四回『ハヤカワ「悲劇喜劇」賞』の選考、贈賞を行います。2017年1月に選考会を行い、受賞作を決定します。

主催
公益財団法人 早川清文学振興財団
株式会社 早川書房
 
 
今村 忠純(日本近代文学 大妻女子大学教授)
選考委員
鹿島  茂(フランス文学者 明治大学教授)
 
小藤田千栄子(映画演劇評論家)
 
高橋  豊(演劇評論家)
辻原  登(小説家)
 
 
問い合わせ先
公益財団法人 早川清文学振興財団 事務局
〒101-0042 東京都千代田区神田東松下町46-5
電話(03)3252-3111   FAX(03)3252-3115
e-mail:info@hayakawa-foundation.or.jp
 
 
 
株式会社 早川書房 広報室
〒1010-0046 東京都千代田区神田多町2-2
電話(03)3252-3111   Fax.03-3252-3115
e-mail:yorimitsu@hayakawa-online.co.jp


    
 

 

 

 

 

※一部日本語環境で表記できないため、「鴎」を新字で表記しています。

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第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞贈賞式を開催

2016年3月25日、第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の贈賞式と祝賀会を明治記念館で開催しました。
第三回受賞作『彩の国シェイクスピア・シリーズ第30弾 さいたまネクスト・シアター第6回公演「リチャード二世」』は、蜷川幸雄氏率いる若手演劇集団「さいたまネクスト・シアター」と平均年齢77歳の「さいたまゴールド・シアター」の競演による出演者総勢60名を超える舞台。贈賞式にはスタッフ、キャストなど89名の皆さんにご出席いただきました。
 
会場の大型スクリーンに受賞作のハイライトシーンが映し出されて拍手喝采が湧き贈賞式が開始されました。
まず、選考委員を代表して辻原登氏から講評が述べられたのに続き、受賞者を代表して公益財団法人埼玉芸術文化振興財団理事長 竹内文則様に、当財団代表理事 早川浩より正賞の楯と副賞100万円が贈られました。
(選考委員全員の批評文は当サイトに別途掲載しています)。



竹内様の受賞のご挨拶に続き、出演者からも「さいたまネクスト・シアター」を代表して内田健司様、「さいたまゴールド・シアター」を代表して重本惠津子様が登壇され、受賞の喜びを語られました。

蜷川氏と親交のあるイギリスの劇作家トム・ストッパード氏からも祝辞が届けられ会場で披露されました。

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第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員批評文

『リチャード二世』
──ネクスト・シアターとゴールド・シアターの豪華な共演

小藤田千栄子(映画・演劇評論)

 二〇一五年=蜷川幸雄演出の舞台は六本あった。『ハムレット』『リチャード二世』『海辺のカフカ』『青い種子は太陽のなかにある』『NINAGAWA・マクベス』『ヴェローナの二紳士』である。この六本のなかには、再演の舞台もあるし、それ以上に複数回にわたっての上演作品もある。特徴は、いつも新しい演出を見せてくれることである。そのたびに、ああ、こういう作り方もあったのかと、教えられること多々の舞台ばかりである。
 

いきなり圧巻のタンゴ■

 なかでも飛びきりは『リチャード二世』であった。チラシやパンフレットを見ると〈さいたまネクスト・シアター第六回公演〉と記されている。だからこれは若手中心のネクスト・シアターの公演なのだが、ゴールド・シアターの方たちが、力強く共演していて、この共演ぶりが、作品自体の魅力を、さらに大きくしていたのが特徴であった。
 急いで追加すると、二月末に再演版を見せて頂いたら、チラシにもパンフレットにも〈さいたまネクスト・シアター×さいたまゴールド・シアター〉となっていた。つまり二つの劇団の共演と、はっきりと示されていたのである。この変更は、ゴールド・シアターの頑張りの、ひとつの証明であったとも言えると思う。
 ところで、文庫本『リチャード二世』(松岡和子訳/筑摩書房)の巻末には、上演年表が掲載されているが、上演の少なさに、あらためて驚く。私など来日公演を、いちど見たことがあるくらいである。ゆえに、ほとんど初めて見た『リチャード二世』なのだが、なんとオープニングから圧倒されてしまった。
 上演されたのは、彩の国さいたま芸術劇場のインサイド・シアター。三方に客席が作られ、残る一方向が、普通の劇場でいうホリゾントになる。そして、このホリゾントの奥から、主として俳優たちは登場する。
 まずは〈ウィンザー城の玉座の間〉から始まるのだが、平土間舞台の奥から、いきなり多数の人物が、なんと車椅子で登場したのには驚いた。「これはいったい何?」と、見ているだけでアセってしまったほどだが、よく見ると車椅子に乗っているのは、ゴールド・シアターの方たちのようだ。演劇の舞台に、こんなにたくさんの車椅子が登場したのは初めてのことと思えるが、さらによく見ると、その車椅子を押している人たちもいる。
 その押している人たちは、比較的若いので、ネクスト・シアターの方たちかしら、などと思いながら見ていた。するとどうだろう、車椅子の人たちは、みんな立ち上がって、押していた人たちとカップルになり、タンゴを踊り始めたのだ。振付=佐野あい。
 この一瞬の驚きよ! 車椅子での登場も驚きであったが、瞬時にしてのタンゴには、さらなる驚きがあった。
「これってナニ?」──こんな舞台は見たことがない。こんなシェイクスピアは見たことがない。最初のうちは、あっ気にとられ、「これってナニ?」状態で見とれていた。しかも全員が礼服なのだ。男は、黒紋付に袴姿。女性は黒留袖というのか。ようするに第一礼装である。イギリス宮廷の話なので、礼服という設定か、などと思いながら見ていた。
 たしか蜷川さんは、「芝居は最初の三分間が勝負」みたいなことを言っていたのを思い出す。どの作品かは忘れたが、インタビューに答えて、そのような発言をされていたのが、強く印象に残っている。このインタビューを読んでから、蜷川さんの芝居の、その始まりには、いつも注目していた。
 常に工夫がこらされていて、ハナから見入ってしまうのが特徴だが、こんどの『リチャード二世』には、ホントに驚いた。みなさん、ダンサーではないので、踊りが上手とは言えないが、なんだかとても魅力的だったのである。タンゴという音楽自体の魅力、加えて和装にての動き、そして俳優たちの踊りという三つの要素に支えられて、この『リチャード二世』は、オープニングから私たちの心を捉えてしまった。
 多分、何年の後にも『リチャード二世』が語られるときは、「あのタンゴが……」と、みんながクチにするであろう。それほどまでに魅力的であり、圧倒的なタンゴでもあったのだ。いったい、あの人たちは、どんなふうに、そしてどれくらい、タンゴのレッスンをつんだのであろう。
 

セクシーなボーイズ・ドラマ■

 物語は、十四世紀末の、イギリス宮廷における王位交代劇である。イングランド王リチャード二世は、まずは従弟のヘンリー・ボリングブルックを追放する。この後、リチャード二世の後見人でもあるボリングブルックの父=ジョン・オヴ・ゴーントが没すると、全財産を没収してしまうのだ。リチャード二世自身の、アイルランド討伐のための軍資金にしたのだ。追放先で、この一件を知ったボリングブルックは、大軍を率いて、リチャード二世を追い詰めていく。そしてリチャード二世の退位へとつながっていくのである。
 はっきり言って、これは王位交代の政治劇だと思うが、蜷川版の『リチャード二世』は、なんと言っても若い男優たちの魅力、さらに言えば、セクシーなボーイズ・ドラマの魅力にあふれていた。
 リチャード二世を演じたのは内田健司。パンフレットに掲載の資料によれば、二〇一一年よりネクスト・シアター所属だそうで、初舞台は『血の婚礼』とある。だが私が最初にビックリしたのは『カリギュラ』のときだった。これは正確には「2014年・蒼白の少年少女たちによる『カリギュラ』」と書くらしいのだが、カリギュラって、こういう少年だったのかと、見入ってしまったのだった。
 いや、少年というのは、ちょっとヘンかも知れないのだが、内田健司は、いつだって少年のイメージであり、繊細で大胆。服など、着ていても着ていなくても、そんなことは、どっちでもいいという感じの俳優であった。これは多分、俳優の個性ということになると思うが、『リチャード二世』のときも同様であった。
 この人は、すぐにあっさりと上半身裸になるシーンが、いくつもあったが、それが実にサラリとしていて、清潔感にあふれ、なんと細身な! と見とれてしまうのであった。しかもこの姿で、いきなりのタンゴである。もう見とれるしかないであろう。
 ボリングブルックは竪山隼太。パンフレット掲載の資料によれば、劇団四季にいたことがあるようで、『ライオンキング』には、ちょっとビックリ。いったいどの役を演じていたのだろう。蜷川作品では『ガラスの仮面~二人のヘレン~』(二〇一〇年)『ボクの四谷怪談』(二〇一二年)などに出ていたらしいのだが、私はこの『リチャード二世』で知った。
 この二人が最初のほうで、いきなり和装を脱ぐと、なんと黒燕尾姿になるシーンがあった。この早替わりも驚きだったが、男二人の黒燕尾が、タンゴを踊り始めたのだ。こんなこと、シェイクスピアの戯曲には、どこにも書いてない。でも、舞台では、いきなりのタンゴで、これがまたなんともステキなのだ。この二人って、どういう関係? とも思うほどのステキなタンゴだった。
 ボリングブルックとは、いちどは追放されるのだが、戻って王位につき、のちにヘンリー四世となる人である。ロイヤルの、はっきり言ってエライ人のはずなのだが、こちらもまたセクシーな作りで、そうなのか、『リチャード二世』とは、若い男二人のボーイズ・ドラマであったのかと、思わぬところで教えられてしまったのであった。
 しかもこの二人は、特にリチャード二世のほうは、よく脱ぐのだ。実にあっさりと上着を脱いで、上半身裸になる。細身の王様で、身体つき自体が繊細さを表現しているようでもあった。そしてこの芝居は、リチャード二世とボリングブルックが対面するとき、最も魅力を発揮する。
 そうなのか、『リチャード二世』とは、ボーイズ・ドラマなのだと確信したりもしたのだが、それも、かなりセクシーなボーイズ・ドラマと思えたのであった。
 このような美少年二人にからむゴールド・シアターの俳優たちがまた健闘であった。特に、ボリングブルックの父親=ジョン・オヴ・ゴーント役の葛西弘には感心した。さらに『リチャード二世』には、いくつものゴールド・シアター向きの役柄があるが、みなさん見事なセリフ術で、こちらは懸命に聞いてしまうのだった。
 原作の文庫本を読むと、セリフの長さには、かなりビックリ。私など途中で、ひと休みの感じだったが、みなさん、この長いセリフをこなしていたのにも感心した。
 インサイド・シアターの舞台の使い方にも工夫がこらされていた。ホリゾントの奥は、こちらが思っている以上に深く(もしかしたら、本舞台以上に広いのでないだろうか)、その奥からの登場が、ドラマ自体に深みを与えているのだった。
 魅惑のタンゴは、オープニングだけではなく、エンディングにも登場して、『リチャード二世』の総仕上げとした。再演のパンフレットには、四月の海外公演(ルーマニア国立クライオーヴァ劇場)も発表されていたが、海外の方々が、この日本味の『リチャード二世』を、どんなふうに見るのかと、それもまた楽しみになってきたのであった。
 

宝塚新世紀に名作の誕生■

『リチャード二世』についで、もうひとつ強力に推薦したかったのは、宝塚雪組のオリジナル・ミュージカル『星逢一夜』である。脚本・演出=上田久美子の大劇場デビュー作だ。宝塚歌劇団には、『ベルサイユのばら』で有名な植田紳爾以下、二十五名の演出家がいるが(『宝塚歌劇100年史』より)、上田久美子は、いちばん若いほうから二番目になる。
 宝塚は、二〇一四年の百周年の賑わいを経て、昨年=二〇一五年は百一周年、つまり新世紀の始まりと位置づけ、いくつもの秀作を発表した。私見では、雪組の『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』、宙組のロンドン・ミュージカル『TOP HAT』、月組のフランス・ミュージカル『1789―バスティーユの恋人たち─』、そして雪組のオリジナル『星逢一夜』などが秀作であったと思えるが、なかでも宝塚オリジナルで健闘の『星逢一夜』を推薦したい。
『星逢一夜』の前に、上田久美子は、宝塚バウホールほかでの小劇場ミュージカルで、二本の作品を発表している。まずは月組の『月雲の皇子―衣通姫伝説より―』(二〇一三年)で、これは古事記に取材した兄弟皇子の物語。バウホールのみでの公演でスタートしたのだが、あまりの好評に、急遽、東京公演が決まったというデビュー作である。
 ついでの作品は宙組『翼ある人びと―ブラームスとクララ・シューマン─』(二〇一四年)で、タイトルどおり、あのブラームスとクララ・シューマンの、淡い恋物語である。この素材は、アメリカ映画『愛の調べ』(一九四七年)で有名だが、音楽が華麗で、有名曲がいっぱい。基本はラブ・ストーリーなのだが、節度ある関係が、宝塚ロマンによく似合って、幸せな観劇となった。
 そして登場したのが『星逢一夜』である。星逢(七夕)の夜に出会った、九州の小藩・三日月藩の子供たちの話である。子供時代の描写が、まず引きつける。
 村の子供たちは、みんな集まって夜空の星を見ている。リーダーは、藩主の息子・天野晴興だ。夜空の星をみることで、子供たちの心は、ひとつになっていた。雪組のスターの方々(早霧せいな、咲妃みゆ、望海風斗ほか)が、全員、子供時代も演じ、肩上げをした着物の着こなしが、なんだかとても可愛い。
 やがて藩主の息子は江戸詰めとなり、八代将軍・吉宗に引き立てられる。その理由が、まずは宝塚らしいので感心した。つまり名家の息子でもなく、さらには剣術の名手でもなく、「彼は星をみる」と言うのだ。星をみるとは、多分、天候をみるということなのだと思うが、これがいかにも女性劇団らしいロマンに繋がっているのである。
 やがて三日月藩では、一揆が起きる。詳しくは語られないが、多分、吉宗時代の政治の問題、つまり厳しい年貢の取り立てが理由と思えるが、その一揆を収める役目を、主人公が負わされるのである。しかも一揆のリーダーは、かつて一緒に星を見ていた親友である。
 宝塚の舞台に、農民一揆が出てきたのは初めてだと思うが、かつての親友同士の対決がドラマの山場を作り、さらにうまいと思ったのは、このドラマの決着のつけ方であった。
 もちろん、主演カップルの、せつないラブ・ストーリーもあるが、なんと終幕でドラマは、物語のスタートに戻り、みんな子供時代に戻っての幻想を見せてしまうのである。全体的にロマンチック色に染めあげて、宝塚の最良の面を見せたオリジナル・ミュージカルであった。
 宝塚の演出家は、ほとんどが脚本家を兼ねているが、次回作が、さらに期待されている新進である。


傑作との遭遇・未遭遇

鹿島茂(フランス文学)

 まず、二〇一五年は大学からサバティカル休暇をもらい、フランスに滞在する期間が長かったため、例年より日本で芝居を見る機会が少なかったことをお詫びしなければなりません。そのため、重要な作品を見逃していた可能性があり、『悲劇喜劇』賞審査員の資格に問題ありといえるでしょう。
 しかし、そうした観劇機会の少なさにもかかわらず、全般的な印象を述べさせてもらえば、やはり今年は豊作な年ではなかったな、という感想を抱かざるを得ません。
 原因の一つは、ここ十年ほど演劇シーンを賑わしてきたスター劇作家に中だるみ感が出て、いまひとつ優れた作品に巡り会えなかったことにあります。
 一例を挙げると、岩松了作・演出、Bunkamura『青い瞳』(シアターコクーン)。自衛隊の海外派遣が現実となっている時代ですので、帰還兵の日常復帰というテーマはとてもアクチュアルなものなのですが、作者の心の中で結晶する何かが欠けていたのか、焦点が結ばれないままに終わったという感がありました。
 これに比べると、蜷川幸雄演出の公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団『リチャード二世』(彩の国さいたま芸術劇場インサイド・シアター)は持ち前の鬼面人を驚かす演出が「決まった」ばかりか、言いたいことがはっきりと観客席にまで伝わってきました。それは、限界ある人間の生の中で、たとえ漸近線的にであろうと永遠なるものにどこまで近づけるのかという、芸術家ならだれしも思い描くであろう夢です。それを蜷川幸雄がこの作品に託しているということがはっきり伝わってきました。さいたまネクスト・シアターとさいたまゴールド・シアターを直前になってドッキングした効果が見事に現れている舞台でした。自身、車椅子で演出を手掛けている蜷川幸雄が、ゴールド・シアターの俳優たちを車椅子に乗せて舞台を縦横に駆け巡らせるというスペクタクルが冴えに冴えていました。
 演出の面では、前半を抑え気味にしておいた効果が後半になって大きく出て大団円を迎えるというセーヴ演出が成功していて、『リチャード二世』という、上演回数が少なく、ある意味、とても地味な芝居を傑作に仕立てています。演出次第で、戯曲の中に眠っていた芸術性が目覚めるという奇跡を目の当たりにした思いです。私自身は、若手の劇作家の作品を推すという方針を取ったので、候補作に挙げてはいませんが、『悲劇喜劇』賞にまことにふさわしい作品であると思います。
 では、次に、私が推した作品の選評に移りたいと思います。
 一つは、前川知大作・演出、劇団イキウメ『聖地X』(シアタートラム)を推しました。これは、二〇一〇年初演で数々の賞を受賞した『プランクトンの踊り場』の再演なのですが、しかし、前川知大は自己模倣を避けるため、作品をいったん解体して再度組み立てるという方法を取り、自作の中からもう一つ潜在的に存在していた自作を取り出すという試みに挑戦しています。
『聖地X』のテーマはドッペルゲンガーですが、これこそ今日的な問題だと思います。そう感じるのは、アルツハイマー症の人が多くなり、彼らが日々ドッペルゲンガーの世界を生きていることがあるかもしれませんが、より切実なのは、若い人たちの間にドッペルゲンガー的不安が広がっていることです。アイデンティティ・クライシスという言葉がありますが、現実はすでにそれを通り越していて、自己分裂のつくり出すドッペルゲンガー的状況がいたるところで発生しているのです。
 演技陣も、浜田信也、安井順平、伊勢佳世、盛隆二、岩本幸子、森下創、大窪人衛といった「イキウメ」のレギュラーメンバーが勢揃いで、よく練り込まれたセリフのやり取りが緊張感を持続させています。
 新作を重視するという本賞の方針に敢えて逆らって本作を推したのは、再演とはいえ、まったく別作に近い印象を与える演出の冴えを高く買ったからにほかなりません。演劇的カタルシスからいったら、間違いなく、本年度ベスト・ワンの舞台でしょう。
 芸術に対し、前川知大作・演出、カタルシツ『語る室』(東京劇場シアターイースト)はそのタイトル通り、幾重にも入れ子構造になった時間をエッシャー絵画のように扱った意欲的作品ですが、なんというか、本来なら一気にフォーカスしていくべき時間の「焦点」のようなものが現れてこないという思いを強くしました。どこがいけなかったかというと、われわれの日常の中に潜む闇のようなものがいっこうに現出してこないからでしょう。成功した前川作品には例外なくこれがあり、思わず肌に粟を生じるような感覚を抱くものですが、『語る室』はエッシャー的な自己言及性にこだわるあまり、この点を逸していて、残念ながら完成度は『聖地X』に及びませんでした。
『悲劇喜劇』賞の候補作としてもう一つ推したのは、古川健作・日澤雄介演出、劇団チョコレートケーキwithパンダ・ラ・コンチャンの『ライン(国境)の向こう』(東京芸術劇場シアターウエスト)です。矢作俊彦の『あ・じゃ・ぱん』という小説でも日本が昭和二十年八月一五日に降伏せず、東日本がソ連に、西日本がアメリカとイギリスにそれぞれ占領されて冷戦ないしはゲリラ戦を行うというパラレル・ワールド的な設定が使われていましたが、本作では、日本は北日本(ソ連の傀儡の日本人民共和国)と南日本(アメリカの傀儡の日本国)という分断国家となっています。しかし、本作では焦点を某県の小松という二軒の家しかない小村落を舞台にして、その二軒が北日本と南日本に分断されたら、村人はどのような行動に出て、どのような思考を働かせるのかという興味深い実験を行っています。
 近藤芳正、戸田恵子、寺十吾、高田聖子をはじめとする出演者たちの出色の演技で、緊張感はどんどん高まっていきますが、昔の映画『ロリ・マドンナ戦争』のようなラストを予想していた私には、最後のオチは少し甘いような気もしました。おそらく、もし北日本と南日本が本当に対峙していたとしたら、清野菜名演じたスターリニスト少女「村上花子」が党派の論理を冷酷に貫くはずで、両家は最後の一人まで殺し合っていたにちがいありません。
 ところで、私が冒頭で述べたように今年は審査委員の資格なしとしたのは、劇団チョコレートケーキの『追憶のアリラン』を見逃しているからです。見なかった芝居のことは語れませんが、見ていたら候補作に推した可能性は十分にあります。
 さて、以上で推薦作のことは終わりにして、他の審査委員の方々が推している作品で私が見たものについてコメントを加えておきたいと思います。
 まず、井上ひさし作、鵜山仁演出、劇団こまつ座『マンザナ、わが町』(紀伊國屋ホール)は演劇として最高のレベルに達している作品で、初演を優先するという原則がなかったら受賞作となっても当然の傑作です。土居裕子、熊谷真実、伊勢佳世、笹本玲奈、吉沢梨絵の全員の演技が素晴らしいのですが、とくに謎の日本人「サチコ斎藤」を演じた伊勢さんは出色で、さすがは劇団「イキウメ」の看板女優と唸りました。
 次に上田久美子作・演出、宝塚歌劇団雪組『星逢一夜』(宝塚大劇場)ですが、私はこれを宝塚大劇場で見てきました。そういうと、いかにも宝塚通のようですが、何を隠そう、私にとってこれが宝塚初体験だったのです。実は、いまある雑誌に宝塚を創った小林一三の伝記を連載しているので宝塚歌劇を大劇場で見なければ話にならないと考えて、遠路、宝塚まで足を運んだのですが、それはあくまで大劇場と宝塚なるものを体験すれば演目はなんでもいいという体のものだったのです。ところが、なんとしたことか、『星逢一夜』の素晴らしさに仰天してしまいました。とくに、早霧せいなのアウラには圧倒されました。彼女は間違いなく宝塚の新しいスターに育っていくことでしょう。私はそうと知らずに「スター誕生」に立ち会ったことになります。
 メルヴィル作、高橋正徳演出、文学座アトリエの会『白鯨』(文学座アトリエ)は、メルヴィルのあの大小説をどのようにして二時間半の戯曲にまとめるのか大いに興味がありましたが、少し期待外れに終わりました。白鯨の幻影がいっこうに現れてこないからです。エイハブ船長役にカリスマ性が感じられなかったのが原因だと思います。
 最後に、二〇一五年で気になったことを書き留めておこうと思います。それは、商業演劇ばかりではなく、実験的な小劇場でも平日のマチネ公演が増えてきたことです。消息筋の話では、熱心な観客というのが専業主婦のほかに定年退職した往年の芝居好きの男性しかいないため、どうしてもこうなるのだそうですが、この傾向は演劇界にとってはなはだ危険な兆候ではないかと思います。この調子でいったら、十数年後には観客はいなくなってしまうからです。
 観客の再生産には、若い人を劇場に呼び込むことが不可欠ですが、平日がマチネだけというのでは初めから再生産を放棄してしまったに等しく、これでは先細りになるのも当然だという気がします。
 ちなみに、パリでは、小劇場は平日でもソワレを二回転、三回転させて、勤めが七時以降にしか終わらない人も観にこられるようになっています。
 バーチャル・リアリティ全盛の世になればなるほど、演劇が盛んになるのは確かなので、演劇人は平日のマチネという安易な道は取らずに、なんとか若い世代を育てていってほしいと思います。
 いずれにしろ、観客がなければ演劇は成立しません。人口減少が避けられない御時世だからこそ、観客の再生産を第一に考えなければならないのです。


ハヤカワ『悲劇喜劇』賞選評

辻原登(作家)

 芝居を愛好すること人後に落ちないつもりだが、いつまでも素人愛好家に過ぎない私が、おこがましくも選考委員を引き受け、今回も選考会の末席を汚してしまった。内心忸怩たるものがある。
 しかし、二〇一五年はシェイクスピア劇を三本観る機会に恵まれた。
 二月二十八日(土)に『ペリクリーズ』(加藤健一事務所、演出・鵜山仁)を本多劇場で。四月十六日(木)に『リチャード二世』を彩の国さいたま芸術劇場インサイド・シアターで。八月一日(土)に『トロイラスとクレシダ』(演出・鵜山仁)を世田谷パブリックシアターで。
 三作とも堪能した。
 鵜山仁という演出家は大活躍だが、随分昔、彼が多分、イタリアの演劇大学かどこかに留学していて、帰国して最初に手がけたピランデルロの『作者を捜す六人の登場人物』を文学座のアトリエで観て、こいつは凄い、と讃嘆した記憶がある。
 シェイクスピア劇以外では、七月二十五日(土)に『かがみのかなたはたなかのなかに』(作・演出・長塚圭史)を新国立劇場で。九月三十日(水)に別役実の『あの子はだあれ、だれでしょね』(演出・藤原新平)を文学座アトリエで。十一月二十三日(月)に『ラスト・イン・ラプソディ』(作・美苗、演出・原田一樹)を俳優座劇場で。そして、十二月六日(日)に『痕跡』(作・演出・桑原裕子)をシアタートラムで。
 二〇一五年はこれで終わり。何だ、それだけしか観てないのか、と言われるかもしれなが、僕にはこれが精一杯。ただ、今年二月二十三日(火)に『リチャード二世』(再演)を観ることができた。
 去年は、選考会の席上でも、授賞式の会場でも来年は年間最低二十本は観る、と宣言(宣誓)し、約束したのに、これでは……。
 しかし、しかし、とにかく僕はネクストシアターの『リチャード二世』とKAKUTAの『痕跡』にはいたく感激した。近年、観たものでは『マニラ瑞穂記』(秋元松代)と『鼬』(真船豊)が出色だったが、『リチャード二世』と『痕跡』の素晴しさはそれに匹敵する。
『リチャード二世』は蜷川幸雄の演出が冴え返っていたし、俳優たち(ネクスト・シアターの若手たち、そしてゴールド・シアターの面々)の技量と熱、─僕は特にリチャード二世を演じた内田健司に類い稀な才能と不思議な役者の魅力、オーラを感じた─、そして落してならないのは松岡和子の翻訳! 流麗かと思えば詰屈、シェイクスピアの魅力が日本語で増強された。
 とにかく『リチャード二世』を一年も隔てずして、全く同じスタッフで観ることができたのは幸運だった。いい本を再読する喜びと似ている。それにまた、リチャードの台詞、「むだに時間を使うた報いで、今は時間めがおれを使ひをる」(坪内逍遙訳)を再演時には頭に入れておいて、「私は時を浪費した、そしていま、時が私を浪費している」(松岡和子訳)に重ねて聴く喜びも加わった。
 内田健司にはいつか、できのいい翻案劇で『ドン・キホーテ』を演じてもらいたい。
『痕跡』は、これまで僕が観て来た新作劇の中でベスト・ワンかもしれない。劇曲の構造が、精緻な中国の鳥籠のように編まれている。俳優の動きと台詞が、ドラマ(籠)の中をジグソーパズルのピースが自在に動きながら、徐々に組み合わさっていくかのように動いて、謎を解き、テーマを浮かび上がらせる。ラストには静かな、胸にしみるカタルシスが待っている。桑原裕子という若い才能をこれから追いかけてみようと思う。
 二〇一六年は十五本は観るぞ!


劇の力は、世界を変える

今村忠純(近代文学・近代劇文学)

『マンザナ、わが町』■

 一九四一年十二月七日の日本軍による真珠湾奇襲攻撃は、当時のワシントン、オレゴン、カリフォルニアの西海岸三州に居住していたおよそ十二万の日系人の運命をがらりと変えてしまった。
「ジャップはジャップだ。アメリカ市民であろうとなかろうとジャップに変わりはない」「ジャップは卑劣なイエロー・モンキーだ。ジャップは人間じゃない」
 ルーズベルト大統領は、行政命令第九〇六六号、および第九一〇二号に署名する。この日をさかいにして日系人の西海岸から内陸への強制立ち退きと転住は合法化され、WRA(War Relocation Authority/戦時転住局)の手によってただちに実行にうつされる。
 日系人の仮収容所(Assembly Center)は、転住所(Relocation Center)へ、さらに強制収容所(Concentration Camp)にそのまま移行していったのだった。
 カリフォルニア州オーウェン郡マンザナ、シエラネヴァダ山脈のつらなりにそびえたつホイットニー山の山裾に拡がる広大な砂漠地帯、そこにつくられたマンザナ強制収容所もその一つになったのだ。
 井上ひさしの『マンザナ、わが町』の舞台は、日系人の強制収容が開始されたばかりの一九四二年三月下旬のそこでの五日間の物語になっている。
 バラック住宅の松板材でつくられた粗末な部屋には、五人の女性が送り込まれる。劇は、その五人の女性たちのいわばリーダー格になるソフィア岡崎がオトメ天津をうながして朗読劇「マンザナ、わが町」上演にむけての稽古を始めているところから幕があがる。二人の読み合わせから、マンザナがどのような町であり、なぜこの劇を収容所内で上演することになるのかもすぐ私たちは理解することになる。
 もっといえばこういうことである。『マンザナ、わが町』とは、この劇の題名であるとともに朗読劇の題名でもあった。朗読劇の稽古がいわば劇中劇になっており、この部屋に送り込まれた五人の女性、その一人一人の境遇を明らかにするものになっていく。というのも同じ日系人であっても、一世と二世とでは、対日、対米のありかた、その思想(感情)が屈折し、異なっている。だから、強制収容施設が日系人の自治によって運営されるものと説く朗読劇が、かれらのリトマス紙になっていくという、そのような劇の仕掛けがこの劇のポイントにもなっていたのだ。そこからゆきつく問題は、この朗読劇を書いたのは誰かというのにほかならない。
 そして日系人を名のっていたサチコ斎藤こそが朗読劇の作者であって、じつは、彼女はアメリカ国務省から派遣された人類学を専攻する中国系アメリカ人、エミリア・メイ・チャオリンであり、彼女は中国人(アジア人)の視点からも日本人とはいったい何者なのかについて考えていたのだった。
 人種差別というよりもさらにそのことから生じる排除と区別とたたかい続けてきた日系人一世と二世、その一人一人の半生が、そこからも浮かびあがるのだが、同時に日本人のアジアの人々への差別と蔑視も相対化される。この論点も重要なので、けっして忘れてはならない。「すてきなソフィア」「夢見るリリアン」「子を恋うオトメ」「ふしぎなサチコ」「花のジョイス」「この五人」と名づけていた全二幕六場のこの劇は、その一場一場のくもりない鏡に一人一人の来しかたがきれいに映し出されていくことになる。
 朗読劇「マンザナ、わが町」に出演する演技者の一人でもあったソフィアは、この劇の稽古を繰り返していくなかで、演技者に演出家として何を伝えなければならないのかについて深く教えられることになる。同時にこの朗読劇に出演する一人一人の女性は、演技者としてばかりではない、いわば全人的な人間性に目覚めることにもなっていくのだ。
 ソフィア岡崎のミゾラ強制収容所行に抗議し、マンザナ強制収容所所長にこれを断念させた四人の行動は、もう一つの新しい朗読劇「マンザナ、わが町」の誕生を約束する。エピローグにあたる「この五人」の第六場がそれである。蛇足かもしれないのだが、やはりここでソフィアの声を引用しておかなければならない。

 所長に抗議するみなさんの声、勁くて美しい、とてもいい声だった。心の中にあるものを素直に声にして出す……、みなさんは見事に正気を保つやり方を見つけ出したんだわ。それなのにわたしの演出プランは、みなさんをただせわしなく動かしたり、生花をつくらせたり、どこか狂っていた。そこで新しいプランは、こうです。ここはたしかにひどいところ。でも、いまのわたしたちにはここしか住むところがない。だったらみんなして、できうるかぎりいい町をつくるほかはない……。

 そこであらためてソフィアの合図で朗読劇の稽古を再開するのだが「日本人の血を引くすべての人びとのまほろば」というこのせりふの書き変えを提言したのが、作者のチャオリンその人だった。「人間の血を引くすべての人びとのひろば」と。劇の力は、人間を世界を変える、ということである。
「何人も正当な法の手続きによらなければ、その生命、自由、または財産を奪われない」。アメリカ合衆国憲法修正第五条に背かないものであることを、このあるべき朗読劇の誕生が担保していたのにほかならない。
『マンザナ、わが町』の鵜山仁演出の初演は、こまつ座第二十九回公演で一九九三年、それからじつに二十二年が経過しての同じ紀伊國屋ホールでの再演だった。鵜山演出は冴えわたっていた。五人の女性一人一人の半生の輪郭がはっきりとした。いってみればこの劇には五人の半生が詰まっていた。説明せりふのちからをいかに劇の言葉にするかが勝負になっていた。聴かせる劇にした。
 カリフォルニアの農場の移動労働者として海を渡った亡き夫太郎吉の一生を語り続ける女流浪曲師オトメ天津の熊谷真実の熱度の高い切れのいい節まわしと演技、心あふれるものを抑えながら、しずかにやがて鋭く「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌い上げていくリリアン竹内の笹本玲奈、レストラン・シアターで歌うその声をじっと聞いている新聞記者ソフィア岡崎の、りりしくまっすぐなその土居裕子を観客は見ていたはずである。彼女の頬はぬれていたと思う。
 サチコ斎藤というマジシャンに扮したチャオリンは、いちばんの難役だったと思われるのだが、伊勢佳世は、自分の生い立ちをものしずかにうち明けるチャオリンと、おもしろおかしく、しかも生真面目にサチコ斎藤を演じ分ける、その変身のギャップが見所だった。帰米二世の日系女優ジョイス立花の役どころは明瞭だった。ハリウッド映画の企画が真珠湾攻撃で「下田脱出」から「日本潜入」にさしかえられ、やはり日本人は「蝶々夫人」の類型としてしか扱われないことをジョイスの吉沢梨絵からあらためて私たちは知ることになった。
 

『白鯨』■

『白鯨』は、もちろんハーマン・メルヴィルの『白鯨』の劇化である。セバスチャン・アーメストというイギリスの俳優で、舞台や映画に出演しており、また演出家・脚本家としても知られている。「カリガリ博士」や「天井桟敷の人々」といった世界の映画史に残る名作などを、舞台のパフォーミング・アーツとして生まれ変わらせてきたという実績もある。
『ANJIN』(ホリプロ制作)で、小林勝也がセバスチャン・アーメストと共演したことが、今回の文学座アトリエの会での『白鯨』上演のきっかけになった。
?ジョン・ヒューストン監督の『白鯨』は、私の世代で知らない映画ファンはいないはずで、おそらく小林勝也もその一人ではないか。もちろん小林勝也がエイハブ船長である。グレゴリー・ペックのエイハブ、たしかレオ・ゲンがスターバック……、これもセバスチャン・アーメストの名作映画劇化シリーズの一連にある作品だったのではないかと思われる。
 文学座アトリエ公演にむけてのスタッフ、キャストの連帯は、おそらくメルヴィルの『白鯨』上中下(八木敏雄訳、岩波文庫)にたちもどり、その再読、そしてセバスチャン・アーネスト台本(小田島恒志訳)の解体から始まっていたのではないかと思われる。もっといえばそこから文学座アトリエの会仕様の、もう一つの『白鯨』が生まれたとはいえないかということである。演出は高橋正徳。美術は乘峯雅寛。
 映画からも連想されるのだが、一種のトランスフォーメーション・ドラマ、つまり次々とシーンが変わり、一人が劇中で何役にもいれ変わり、いってみれば出演者すべてが物語の語り手ということにもなっていく。
 それがもっとも顕著にあらわれるのは、これから上演する『白鯨』に出演する役者たち一人一人が『白鯨』に旧くは『創世記』『ヨナ書』から『ハムレット』『ヘンリー四世』『失楽園』など、もちろんメルヴィルその人が引用している文献をあげていく。つまりこれは役者たちの連帯がつくりあげた劇であるということの表明であったのだ。
 裸舞台である。ロープ、布や銛、板切れなどが、次々とマストや帆にともづなやボートになっていく。布が風をはらむ。たとえば、イシュメイル(釆澤靖起)が初めて対面することになる、そしてイシュメイルをエイハブ船長のピークォッド号に乗船させる運命にみちびくことになる銛撃ち、全身をタトゥーでおおったクィークエグ(藤側宏大)と同室になるばかりではなかった。ロープをはりめぐらすことによってつくられた一つのベッドに枕を並べて一夜を送り、大海原にむかう同行者になるのだ。
 台風のさかまく波にのみこまれ二枚の帆が解ける、二本のロープを持ってふみとどまっていたクィークエグが、イシュメイルを残して暗い海に投げ出されてしまうのだ。クィークエグの棺が海上を流れ去る。同行者は命綱ともいえるロープから手を離した。
 ピークォッド号は、海に沈み、残された船乗りたちが捕鯨ボートに乗り込んだ。エイハブは、近づいてくる白鯨に身体ごと銛を投げる。
 この劇の語り手が、最後に生き残ったイシュメイルであった。文学座版からやはり私はたえずジョン・ヒューストンの『白鯨』のワンシーン・ワンシーンを思い出さないではいられなかったのだが、それでもなお映画版『白鯨』とはまったく異なる感覚で劇づくりの可能性を発見することができたのだ。アトリエの空間は、客席から船底をのぞきこむことのできるような空間であり、また帆柱を高く掲げ、帆走する船上から大海原を望むこともできる空間である。台風にぶつかった船は、大波にのみこまれ、波しぶきがあがり、波間に隠れてしまう。『白鯨』は、アトリエの空間の機構に、もっともふさわしい劇として選ばれていた。
 文学座アトリエの会のこの劇に連なるような作品、と書いていけば『白鯨』のチームがつくりあげたようなアトリエの会の舞台を、私たちはすでに二、三の作品に想起することができるはずである。アトリエの会の明るいその可能性を二〇一五年末の、十二月公演の『白鯨』に発見できたのは幸せだった。
 

『リチャード二世』■

『リチャード二世』は、彩の国さいたま芸術劇場のインサイド・シアターで上演された。彩の国シェイクスピア・シリーズ第三十弾で、さいたまネクスト・シアターとさいたまゴールド・シアターと、あわせて六十名以上の競演が、見るものの目を奪った群像劇である。ネクストとゴールドの融合が、ふしぎな化学反応をおこし、まだ出会ったことのない『リチャード二世』という歴史劇の舞台を現出させた。
 オープニングは、あかりの入った舞台奥から大勢の車椅子のゴールドの俳優たちが、ネクストの俳優たちに誘導されながらざわざわと大挙して正面にむかいまっすぐに進んできて、ぴたりととまる。やがて車椅子のゴールドの俳優たちの手をとったネクストの俳優たちとともに、タンゴのリズムに合わせて一斉に踊りだす。
 まずこうして幕開きの黒留袖。紋付袴の貴族、従者たちがウィンザー城の玉座の間に一堂に会するところに、電動車椅子でリチャード二世が群衆を割るようにして舞台に現れる。このプロローグが圧巻だった。
 蜷川マジックは、オープニングが、一気に観客を舞台にひきこんでしまう、いわばハレの光景から始まる。
 十四世紀末、ちょうど一四〇〇年にリチャード二世は、三十三歳で息をひきとるのだが、撲殺された、窒息死させられた、餓死したなどの諸説がある。
 松岡和子訳のちくま文庫版の巻末にある『リチャード二世』関連年表を参照しながら、あらためてそうした基礎情報を確認し、『リチャード二世』を読み返してみる。
 リチャード二世は、歴代英国王きってのハンサムボーイで、これまた若いハンサムな寵臣を側にはべらせていたという。この英国王のとりまきのイエスマンがにこやかに見守るなかで、これもまた軽快なタンゴのリズムにのせて踊りだす。こうしたリチャード二世の享楽的で放縦、贅を尽くした生活を象徴するようなふるまいは、たちまちリチャード二世を転落させる。
 ウェールズの海岸をのぞみ、荒波にもまれながらリチャード二世が、尾羽うちからしてアイルランドの遠征から帰国する場がある。いずこからともなくわきあがり、襲いかかるような高波に身をよこたえ、やがてさかまく波間に没してしまう。ボリングブルック(ヘンリー四世)へと譲りわたされる王冠の行方を暗示させるシーンにもなっている。これがいわば歴史の輪廻であるというように。
 追放されていたボリングブルックが、大軍を率いて帰国する。派手好みのリチャード二世とは対照的に従兄弟でありながら冷徹なボリングブルックとの暗闘が繰り広げられ、ボリングブルックによる王位簒奪のなまなましい現場が公開される。王冠が空中に飛んで中空をさまよう、やがてこれがボリングブルックの頭上に静止する。また照明でつくられた十字架にリチャード二世が横たわる。ゴルゴタのキリストが準らえられているのだ。リチャード二世の現世のふるまいが浄化される。裸舞台なのだが、こうした蜷川幸雄の周到果敢な演出が目覚ましい。
 ボンフレット城の牢獄につながれたリチャードのせりふを聞きながら、私たちはこの歴史劇が、蜷川幸雄の歴史劇スペクタクルにたちあがっていくプロセスを、あらためて理解することになる。聖書やシェイクスピアの韻文劇に疎遠であっても蜷川演出の意図も、シェイクスピアの言葉も十分堪能できると思われる。これはなにもこの『リチャード二世』の蜷川演出にかぎらないことなのだが。
 エピローグは、ウィンザー城内、王位についたボリングブルックが、おおぜいの貴族、従者に祝福される。オープニングと同じようにタンゴの群衆が舞台いっぱいに拡がり、歴史の更新を知らされる、ヘンリー四世の治世の始まりが告げられる。見事だ。


魅惑的な蜷川シェイクスピア劇『リチャード二世』

高橋豊(演劇評論)

 演出家・蜷川幸雄は八十歳を迎えた。車椅子に乗り、酸素吸入をしながらの稽古場入りだけれど、俳優やスタッフに投げかける言葉は痛烈で、かつ的確だ。「もっと面白く腑に落ちる舞台を作りたい」といつも前向きである。
 傘寿の二〇一五年、蜷川は六本も演出している。うち四本が新演出である。公演順に挙げれば、『ハムレット』、『リチャード二世』、『青い種子は太陽のなかにある』、『ヴェローナの二紳士』と続く。再演は海外四都市も回った『海辺のカフカ』と十七年ぶりの『NINAGAWA・マクベス』だ。シェイクスピア作品が四本も並ぶのが蜷川らしい選択だ。
 さて彩の国さいたま芸術劇場インサイド・シアターで上演された『リチャード二世』である。シェイクスピア作、翻訳が松岡和子、演出補が井上尊晶。出演が、さいたまネクスト・シアターと、さいたまゴールド・シアターの約六十人。この演劇集団について少し触れたい。
 ゴールド・シアターは、彩の国さいたま芸術劇場の芸術監
督である蜷川の「年齢を重ねた人々が、その個人史をベースに、身体表現という場を提供する」という発案で、〇六年にスタート、現在、平均年齢は七十七歳に達する。取材しながらつい微笑んでしまうのは、それぞれが独自の世界観を持ち、蜷川にもきっちり反論すること。「俺もゴールド・シアターの一員なんだよ」と蜷川は苦笑する。
 ゴールド・シアターの舞台で最も感動したのは、清水邦夫作・蜷川演出の『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』だった。裁判所に老女たちが乗り込み、判事や検事を逆に裁いていってしまう。警察機動隊によって老女たちが粛清されていく極めて過激な「闘争劇」だ。一九七一年、蜷川が立ち上げた現代人劇場で初演された。若い俳優たちが老女役を務めていたのだけれど、ゴールド・シアター版は、高齢者が演じているため、生活感がきちんと出て、広がりがある。ラストに老女たちは若者に変身するのだが、かつて現代人劇場版を観ている私は思わず涙が出た。老女たちの切実な思いが最後にファンタジーを生んだのだ。本作の反響は良く、一三年にパリ、一四年に香港・パリと海外公演も行った。
 ネクスト・シアターは、〇九年に「次代を担う若手俳優の育成」を目的に発足。ゴールド・シアターに比べると、蜷川の厳しい目も光り、メンバーの出入りも大きい。
 だが、近年の蜷川の意欲的な試みは、ネクスト・シアターの舞台に多い。忘れられないのは一二年に上演した「2012年・蒼白の少年少女たちによる『ハムレット』」だ。稽古場に取材に行って驚いた。透明なアクリル板の板の床による二層の舞台で、俳優は上下二つの舞台を四つの切り穴から上下するしかない。透明な床だから大丈夫かなとも思ったが、取材中に俳優二人が穴から転落した。幸いケガはなかったけれど。本番になって、演歌デュオ「こまどり姉妹」が突然登場、歌い出したのにも驚いた。日本の「芸能人」「生活者」の彼女たちに対抗できる舞台をつくっているのか、と若い役者に覚悟を求めているのである。
 本筋の『リチャード二世』の話に移ろう。
 さいたま芸術劇場大ホール内の舞台に設置されたインサイド・シアターーで『リチャード二世』は始まる。車椅子に乗った高齢者が次々と登場し、そこで突然、タンゴが流れ車椅子から立ち上がった老若男女が踊り出す。圧倒的な迫力で、蜷川は「開幕三分間」で観客の心を掴んだ。
 かつて蜷川からこう聞いたことがある。「財布からお金を取り出す生活者のまなざしに耐える演劇をつくりたい。『三分間で生活を忘れさせて、非日常の劇の時間と空間に連れ去ること』がプロの演出家の自己責任と規定しました。観客が払った金額に見合わないような演技の役者には遠慮なく灰皿を投げつける。『生活者に恥ずかしくないのかよ!』」
『リチャード二世』は、「開幕三分間」原則を守り、狭い劇場空間での華やかなタンゴの輪で観客の心を捉えてしまう。しかも、ほとんどが和服だから、さりげなく入り込める。若手のネクストと高齢のゴールドの団員が入り混じっているのもいい。実に魅惑的なオープニングである。
 シェイクスピア作品で、『リチャード三世』は『ハムレット』と並んで男優たちが演じたがる役だが、『リチャード二世』は地味な歴史物とされ、日本での上演が少ない。
 リチャード三世は醜悪な容姿だが、野心にあふれ、「口先で奇麗事を言う今の世の中、どうせ二枚目は無理だとなれば、思い切って悪党になる」と悪党宣言をする。殺した敵の妻を口説き落とし、実の兄を陥れ、幼い子を惨殺し、奸計を重ねて、念願の王となる。だが、その王座はあっけなく破滅した。戦場での最期の言葉「馬だ! 馬をよこせ! 代わりに俺の王国をくれてやる」と名台詞を吐く。彼は自分が演技していることをはっきり認識していて、爽快な「悪党」なのだ。現代人も笑いと共に引き込まれ、人気演目となった。
 一方、リチャード二世は容姿にも恵まれ、既にイングランド王に就いている。宿敵である従兄弟ボリングブルック(後のヘンリー四世)を決闘直前に追放し、彼の父の全財産を没収してしまう。追放先でそのことを知った従弟は大軍を率いて反旗を翻す。戦果も人望もないリチャードは追い詰められ、王位を簒奪され、屈辱のうちに暗殺される。一言で言えば、脆弱で内省的な国王だった。
『リチャード二世』は全文韻文で綴られている。今回の松岡和子の新訳はよくその趣を伝えるもので、悲劇の王の心の嘆きを込めた叙情に満ちた台詞が続く。リチャードを演じる内田健司らがよく応えている。
 前半は比較的、静かに進むが、後半はリチャードが戦に敗れ、ウェストミンスター大会堂で諸卿が見守る中でボリングブルックに王冠を渡す屈辱を受けるなど、かなり劇的な展開となる。この切り替えも快い。
 いい台詞があることにも改めて気付かされた。王位と王冠の譲位を迫られた時のリチャードの言葉は痛切だ。「王冠は喜んで譲る、だが悲しみはまだ私のものだ。私の栄光や王位は奪い取れるだろう、だが私の悲しみは別だ。私は悲しみの王なのだ」。誌的イメージにあふれた「悲しみの王」リチャードである。
 ビジュアルの視覚的イメージも優れていた。冒頭のタンゴのシーンだけでなく、浪布が効果的に使われていたし、特に臣下らに裏切られて孤立感を深めたリチャードが、床に落ちた十字架型の光で半裸の姿をさらけ出すのは、息を呑むほど美しい。まさしくキリストに通じる。一瞬、思い出したのは、蜷川が敬愛していた舞踏家の土方巽(一九八六年没)が七二年、新宿で行った『四季のための二十七晩』の連続公演である。かつて蜷川に思い出を聞いたとき、「『二十七晩』の踊りは凄かった。頭に花を飾り、大八車にくくり付けられて半裸の土方さんが現れたときは、『受難のキリスト』にも見えて、ヨーロッパの知性に裏打ちされながら、日本の原風景を探す姿勢に共感しました」と語っている。
 今回のリチャードの半裸に、土方へのオマージュを感じたのは私だけだろうか。リチャードの内田に性別を超えるような魅力があり、ネクスト・シアターからスターが生まれる予感がある。
 もともとはネクスト・シアターだけによる公演だったのが、緊急にゴールド・シアターの出演が決まったと聞いている。とてもいい選択で、冒頭のダンス・シーンだけでなく、彼ら彼女らが登場することで、世界の深みが違ってくる。
 この狭い空間を活かしきった美術の中越司、技術監督・照明の岩品武顕も特筆したい。
 ハヤカワ『悲劇喜劇』賞受賞が決定した後、彩の国さいたま芸術劇場で『リチャード二世』が上演されたのは嬉しかった。普通ならありえない再演である。予定していた蜷川と若い劇作・演出家の藤田貴大と組んだ新作『蜷の綿─Nina's Cotton─』が、蜷川の体調がよくないため、公演延期となり演目が変更されたのだ。
 一六年四月、「国際シェイクスピア・フェスティバル」の招聘を受け、ルーマニアのクライオーヴァでの上演が決定している。『リチャード二世』はヨーロッパできっと大きな反響を得るはすだ。
     *     *
 選考会で私が推した二作品についても少しばかり触れる。
 私の第一候補は、同じ蜷川演出ながら『青い種子は太陽のなかにある』だった。
 その年を象徴するような作品にあげたいという気持ちが強く、一五年が蜷川八十歳と「永遠の前衛」だった劇作家・詩人の寺山修司(八三年に急逝)の生誕八十年だったため、本作を選んだ。
『青い種子は?』は、六三年に当時、二十八歳の寺山が執筆、未刊行のまま幻の音楽劇とされていた。五十年後の二〇一三年に発掘された。蜷川による初の舞台化だ。
 六〇年代の高度成長期、スラム街に近代建築のアパートが建設され始める。建築現場で朝鮮人の作業員が転落して死亡。現場監督らは、その死体をアパートの土台のコンクリートに埋め込んでしまう。目撃した工員の賢治(亀梨和也)は、その場所にチョークで太陽のマークを描く。恋人の弓子(高畑充希)に真実を明らかにしたいと告げるが、彼女は結婚を夢見て同意しない。
 やり場のない若者たちへの共感に満ちた作品だが、同時代を生きた蜷川は壮大なスケールの舞台とした。
 上演劇場がオーチャードホール。客席が二千を越え、クラシックやバレエ、オペラが専門の縦長の劇場だ。蜷川にとって初めて挑むスペースである。
 蜷川は傾斜舞台を作り、生々しく、かつ幻想的に物語を展開した。またも「開幕三分間」の魔力。ボッシュやブリューゲルらの絵を思わせる奇怪な人物やオブジェを登場させ、六〇年代の群像劇に移って行く。
 劇中歌を松任谷正隆が担当、寺山の混沌とした劇世界に、透明な叙情性のある歌を提供した。出演者では高畑が光る。読売演劇大賞の杉村春子賞を受賞している。
 大劇場での「目と耳の快感」などから、こちらを推したのだが。『リチャード二世』の方こそ、シェイクスピア劇の蜷川の本筋らしく、受賞は当然である。
 もう一本は、ケラリーノ・サンドロヴィッチ脚本・演出の『グッドバイ』だ。
 太宰治が入水自殺し、未完となった小説が原作だけれど、KERAが大胆に書き加えて上質なコメディーとなっている。
 雑誌の編集長(仲村トオル)は、疎開した妻子を呼び寄せるため、美女(小池栄子)を伴って、多くの愛人と別れる旅に出た。
 この美女が超個性派。大食いで、鴉のような悪声で、怪力の持ち主だ。男が愛人たちに「グッドバイ」を告げるはずの旅だったのが、逆に次々と彼女たちから別れを宣告される。
 KERAの演出は多層的で、愛人同士が話し合うさまをはさみ、スピーディーに展開する。美女が実は純情だったことが判明するなど、ドンデン返しが続き、客席からは笑いが絶えなかった。
 KERAのこれまでの作品は、根底にブラックな時代認識、未来予想があった。今回はそれとは違う突き抜けた笑いがある。
 本作は読売演劇大賞の最優秀作品賞、小池が最優秀女優賞を受賞している。
 

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第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考結果

2016年1月22日(金)、第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の選考会が、今村忠純、鹿島 茂、小藤田千栄子、高橋 豊、辻原 登の5氏により行われ、
『リチャード二世』に決定しました。
本賞は選考委員と批評・評論家の劇評意欲を最も奮い立たせる優秀な演劇作品を顕彰するもので、受賞作はその年のなかから1作品にあたえられます。受賞作には正賞として演劇雑誌「悲劇喜劇」に因んだ賞牌、副賞100万円が贈られます。3月25日(金)に、東京・信濃町の明治記念館にて贈賞式を行います。
詳しい選考経過、選考委員それぞれが推薦する作品の劇評は当ホームページおよび「悲劇喜劇」5月号(4月7日発売)に掲載します。

■受賞作の紹介

彩の国シェイクスピア・シリーズ第30弾
さいたまネクスト・シアター第6回公演

(主催・制作=公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団)

リチャード二世

蜷川幸雄率いる若手演劇集団「さいたまネクスト・ シアター」と、平均年齢77歳の「さいたまゴールド・シアター」の総勢60名以上の世代を超えた競演。本作はヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー四世)によって退位に導かれるイングランド王リチャード二世の憐れな顛末を情感豊かに描いた作品です。2月18日から28日まで彩の国さいたま芸術劇場インサイド・シアターでの再演が決定し、4月には「国際シェイクスピア・フェスティバル」の招聘を受け、ルーマニアのクライオーヴァでの上演が決定しています。

演出=蜷川幸雄/演出補=井上尊晶/作=W.シェイクスピア/翻訳=松岡和子/美術=中越司/照明=岩品武顕/音響=高橋克司/衣裳=紅林美帆/ヘアメイク=野澤幸雄/擬闘=栗原直樹/振付=佐野あい/演出助手=大河内直子、藤田俊太郎、塩原由香理、前原麻希、日置浩輔/舞台監督=平井徹/主催・制作=公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団/制作協力=ホリプロ/企画=彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピア企画委員会/出演=さいたまネクスト・シアター、さいたまゴールド・シアター

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第三回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞のお知らせ

公益財団法人 早川清文学振興財団と株式会社 早川書房は2013年1月に『ハヤカワ「悲劇喜劇」賞』を創設しました。この賞は選考委員と批評・評論家の劇評意欲を最も奮い立たせる優秀な演劇作品を顕彰するものです。
これまで第一回は『野田(NODA)地図(MAP) 第18回公演「MIWA」』が、第二回は『二兎社第39回公演「鴎外の怪談」』がそれぞれ受賞されました。
ひきつづき、2015年に上演された現代演劇を対象に、第三回『ハヤカワ「悲劇喜劇」賞』の選考、贈賞を行います。2016年1月に選考会を行い、受賞作を決定します。

主催
公益財団法人 早川清文学振興財団
株式会社 早川書房
 
 
今村 忠純(日本近代文学 大妻女子大学教授)
選考委員
鹿島  茂(フランス文学者 明治大学教授)
 
小藤田千栄子(映画演劇評論家)
 
高橋  豊(演劇評論家)
辻原  登(小説家)
 
 
問い合わせ先
公益財団法人 早川清文学振興財団 事務局
〒101-0042 東京都千代田区神田東松下町46-5
電話(03)3252-3111   FAX(03)3252-3115
e-mail:info@hayakawa-foundation.or.jp
 
 
 
株式会社 早川書房 広報室
〒1010-0046 東京都千代田区神田多町2-2
電話(03)3252-3111   Fax.03-3252-3115
e-mail:yorimitsu@hayakawa-online.co.jp


    
 

 

 

 

 

※一部日本語環境で表記できないため、「鴎」を新字で表記しています。

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第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞贈賞式を開催

2015年3月27日、演劇関係者、評論家など多くの方々にご臨席いただき、第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の贈賞式と祝賀会を明治記念館で開催しました。
受賞作のハイライトシーンが会場の大型スクリーンに映し出されるなか贈賞式が華やかに開会しました。

第二回受賞作となった『二兎社第39回公演「鴎外の怪談」』を代表して永井愛様に、当財団代表理事早川浩より正賞の楯と副賞100万円が贈られました。



永井様の受賞のご挨拶に続き、出演者の金田明夫様、水崎綾女様、佐藤祐基様、高柳絢子様、大方斐紗子様も登壇され、それぞれ上演のご苦労や受賞の喜びなどを話されました。



また贈賞に先立ち、「批評家の劇評意欲を奮い立たせる最も刺激的な作品を顕彰し、演劇と演劇批評文化の発展と振興を目的とする」という本賞の設立趣旨に沿って、選考委員五氏がそれぞれの劇評を述べられました。(選考委員の批評文は当サイトに別途掲載しています)

※一部日本語環境で表記できないため、「鴎」を新字で表記しています。

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第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員批評文

演劇界は将来有望

鹿島茂(フランス文学)

 二〇一四年の演劇界で突出していたのは、蜷川幸雄演出の舞台でしょう。まるで、かつてのプログラム・ピクチャーのように、毎月、エネルギッシュな蜷川幸雄の芝居がどこかの劇場にかかっていました。その迸るようなエネルギーには脱帽せざるをえません。
  もちろん、あざとさが感じられる蜷川演出に違和感を覚える人がかなり存在することは承知していますが、私はスペクタクル性というのも演劇の重要な要素だと 認識していますので、蜷川演出を否定しません。個人的にはストレート・プレイを好みますが、けれん味たっぷりのスペクタクル的演出も演劇の一方の極として 全面的に肯定されるべきものと考えています。
 とはいえ、蜷川演出も年間に一〇本近くを数えるとあって、出来不出来があったことは確かです。
 たとえば、前川知大作の『太陽2068』(Bunkamura)。ご贔屓の前川知大と蜷川幸雄が組んだということで、大いなる期待をもって観ましたが、残念ながら不発でした。なぜなのだろうと考えてみたのですが、主たる原因は劇場にあるようです。
  前川知大の劇団「イキウメ」の芝居は青山円形劇場のような無機質的な空間にこそよく似合います。パラレル・ワールド的、近未来SF的な状況設定が青山円形 劇場のようなフラットで何の装置もない舞台に乗ると、観客は目の前に存在しないものを逆によく見ることができるようになるのです。不可視が可視的になるた めです。これが「イキウメ」の芝居の醍醐味なのですが、蜷川幸雄の東京における主たる舞台であるシアターコクーンの舞台装置では、この「不可視が可視的」 になる瞬間に立ち会うことはついにできませんでした。
 もう一つの原因はセリフにあります。「イキウメ」の芝居は、一見、平凡に思えるセリフが、 前川劇をよく理解した劇団員同士の絶妙な掛け合いによって次第に興奮の度合を高めていき、最後は次元が違うアナザー・ワールドが現れるところに面白さがあ るのですが、『太陽2068』では、役者相互の呼吸があっておらず、各人が順番にセリフを吐くというレベルにとどまりました。シアターコクーンの音響効果 が悪くて、セリフが聞き取りにくいということもあったかもしれません。通常の蜷川演出では、セリフが聞きとれなくても別にかまわないのですが、この作品に 限ってはうまくいっていないという印象を受けました。
 これと逆なのが、古川日出男作『冬眠する熊に添い寝してごらん』で、劇場は同じシアターコ クーン。しかも、セリフは『太陽2068』よりもさらに聞き取りにくく、ほとんど、何を言っているのかわからなかったというのが正直な感想です。ところ が、つまらなかったかというと、そうではなく、なかなか面白かったといえます。芝居というものは、セリフが理解できなくとも、芝居である限りにおいて理解 可能だという芝居のパラドックスを象徴しているような作品でした。
 そして、これにより、蜷川演出が海外でも好評である理由がよくわかりました。そう、話されている言葉が外国語であっても、蜷川演出なら、理解可能なのです。これこそが、蜷川幸雄演出の真骨頂ではないでしょうか?
  では、蜷川演出はストレート・プレーは向いていないのかというと、そんなことはない。と見事に主張したのが、クリストファー・ハンプトン『皆既食』 (Bunkamura)です。これもシアターコクーンでしたが、このときは巧みな俳優揃いだったためかセリフもすべて聞き取れました。しかし、この作品で 素晴らしかったのは、ランボー役の岡田将生。日本人にランボーは演じられるかという懸念を一瞬に吹っ飛ばしてくれた快演でした。この芝居は、一にも二にも ランボー役の俳優にかかっていて、ミス・キャストだったら、他が完璧でもすべてダメというように書かれています。その点、岡田将生が出現するまで待ち続け た蜷川幸雄の目は確かでした。
 では、岡田将生ランボーで何がよかったかというと、「個対絶対の一元的基軸」という橋川文三の言葉を連想させるよ うな「詩的テロリストの倦怠と憂愁」が肉体から滲みだしているように感じたからです。これは得難い資質です。ただ、ランボーの詩というのが青春という特権 的な期間に「限定」された詩であるように、ランボーを演じられるという能力も期間限定のそれですので、岡田将生は今後、自分というものを正しく分析して進 むべき道を考えなければならないでしょう。次回作が楽しみな大型俳優の誕生です。
 また、ヴェルレーヌ役の生瀬勝久も好演でした。実際のヴェルレーヌはもっと幼児性丸出しのダメ人間なのですが、ランボーに比べればはるかに人間臭いことは確かで、生瀬勝久はその人間臭さを巧みに演じていました。
 いずれにしろ、蜷川演出の多様性に驚いた一年でした。

  前川知大と「イキウメ」のことが先に出ましたが、前川知大作『関数ドミノ』は完成度からいえば、今年のベスト・ワンと言ってもいいかもしれません。二〇〇 五年が初演、二〇〇九年が再演ですから、三演ですが、錬成度では劇団「イキウメ」の最高作となっています。とにかく無駄なセリフはゼロで、すべてが数式の ように組み合わされてラストに向かっています。よく数学で最も合理的な解法のことを「エレガント」と形容しますが、私は『関数ドミノ』にこうした意味での エレガンスを感じました。
 ただ、前回の選考会からの議論で、候補作は、再演、三演でもかまわないが、十年、二十年というタイム・スパンがあったほうがいいということになっていましたので、残念ながら、候補作を二つに絞る段階で、『関数ドミノ』は外れる結果になりました。
 これに対して、劇団「イキウメ」の『新しい祝日』は前川知大の新作ということで大いに期待しましたが、いまひとつ乗ることができませんでした。
 なぜなのでしょう?
  一つは、アナザー・ワールドに入り込み、半信半疑ながら徐々にアナザー・ワールドの現実を信じていくときの主人公の意識の分裂が観客席にまで伝わってこな かったからではないかと思います。不思議な夢を見たと話している人の話に入っていけないときのもどかしさが最後まで消えませんでした。初演ゆえの練り上げ 不足もあるでしょうが、アナザー・ワールドものの不気味さと居心地の悪さがもっと感じられるようにすべきだったのではないでしょうか?
 永井愛作・演出『鴎外の怪談』は、じつを言うとあまり期待を持っていなかったのですが、最初の場面から「もしかして、これはいけるかも」という思いに変わり、最後はスタンディング・オベイションで終わりました。
 どこが優れているのかといえば、それは、主人公のはずの鴎外をあえて一種の「虚」として扱ったことです。この意味で、鴎外を演じた金田明夫は損な役回りでしたが、そこをうまく抑えて巧みに演じています。
  ではなぜ、鴎外を「虚」とする必要があったのでしょうか? 妻、母、弟子(永井荷風)、若い友人(平出修)、軍医の友人(賀古鶴所)などが鴎外に対して抱 いている愛情のベクトルが異なっていることをうまく使って、それぞれの愛情のベクトルが最後にすべて鴎外という一点に集まるように演出したからだと思いま す。
 これは、俳優が入れ替わり立ち替わり一つの同じ舞台に出てくるという演劇の本質に根差した演出であり、他のジャンル、たとえば映画でも、また小説でも不可能なことです。この複数の愛情ベクトルの集積のために鴎外は「虚」でなければならなかったのです。
  もう一つ、舞台にはついぞ登場しないにもかかわらず、劇の「虚」の中心となっているのが山縣有朋です。作品の解釈に従えば、大逆事件は山縣有朋が明治国家 を守るために行ったフレーム・アップであり、鴎外はそれがフレーム・アップであることを知っていたために大いに悩んだということになっています。その悩み がドラマツルギーを生む構造になっているのです。
 したがって、作品においては、鴎外を明治国家の枠組みの中に止まるよう説得する論理が強力であ ればあるほど、ドラマツルギーは強くなるように出来ていますが、この重要な役割を担っているのが友人の元軍医・賀古鶴所で、この人物がうまく造形できてい るかが、作品のポイントとなります。この難役を若松武史は素晴らしい演技で演じきり、作品に奥行きを与えるのに成功しています。もし、賀古鶴所が欠けてい たら、作品は明治という時代を射程に入れることに成功しなかったかもしれません。
 同じく、家庭における明治帝国の論理を象徴しているのが鴎外の母で、これまた大方斐紗子が圧倒的な演技で、最大のクライマックスである「薙刀による外出阻止」の場面を演じ、明治の母の強靭な論理を体現してみせました。
  この二人に比べて、個としての鴎外を支えるはずの永井荷風と平出修はいささか弱体ですが、その軽さを補うかたちになっているのが妻・しげのウルトラ個人主 義(ワガママ)です。鴎外はおそらく、自分の公的な側面は国家に捧げたのだから、せめてプライヴェートな側面では、美人で自我の強い女性を妻に持ちたい と、我を通したのですが、水崎綾女は、そのワガママぶりの演技によって、人間・鴎外の一番弱い点(美人好き)をうまく衝き、ドラマツルギーのバランスを 保っています。
 とにかく、観ているうちに舞台にどんどん引き込まれていくという希有な体験をすることができた舞台でした。
 四人の選考委員が推すという、満票に近いかたちでの受賞もしごく順当と思えるほどの出来栄えでした。
 さて、ここの作品の講評は以上にして、今後の演劇界の展望に移りたいと思います。
 ズバリ、直感を申し上げると、演劇界は将来有望です。なぜなら、人間の活動がバーチャルになればなるほど、人間は生身の存在との出会いを欲するからです。
 その意味で、生身の俳優が舞台にいるということが重要な演劇は時代の要請に答えています。
 しかし、その割には、日本の演劇界は層が薄いという印象を否むことができません。こちらがトロール網的に観劇をしていないからなのかもしれませんが、その俳優が出ているだけで観にいきたいと思うような俳優は数えるほどしかいませんし、演出家もまたしかりです。
 演劇界は裾野を広げるための地道な努力、たとえば、コミケに似たような、演劇マーケットの開催のようなものが必要なのではないでしょうか?

 


「鴎外の怪談」三つのポイント 

小藤田千栄子(映画・演劇評論)

  森鴎外は、言うまでもなく明治の文豪。これだけではなく、日本屈指のインテリでもある。この人の家庭を背景に、ホーム・ドラマの外枠を持ちながら、『舞 姫』がらみの西洋の女性との関わり、さらには大逆事件(一九一〇年)裁判に関する森鴎外の、実に危うい立場などを描いている。この三つが「鴎外の怪談」の ポイントである。

まずはホーム・ドラマの面白さ

 公演パンフレットの裏表紙に、森鴎外の家=観潮楼の平面図が載ってい る。開演前に、まずはこの平面図を見て、さすが森鴎外の家って広いなあと、見入ってしまった。もちろん有名な観潮楼だし、来客も多いだろうから、これくら いの広さは、必要なのかも知れないが、それにしても広いし、部屋数も多い。六畳とか四畳半の部屋が、十くらいはある。
 別枠で、二階の平面図があり、洋間十二畳、女中部屋八畳、物置六畳とある。そして芝居が始まってみると、主舞台は、二階の洋間十二畳であることが分かった。ここに森鴎外の家族が出入りし、さらには若き日の永井荷風などが姿を見せる。
  まず登場するのは、森鴎外の再婚の妻しげ(水崎綾女)。洋書でいっぱいの鴎外の本棚を見ながら、かなり辛口の感想など。この導入部で、人柄の一部が分か る。すでに娘が二人いるが、いま妊娠中で、まずはこの人の食欲描写で笑いを呼ぶ。新入りの女中さんを使って、お鍋に入ったご飯を運ばせているのだ。
 そこに登場するのが、鴎外の母・峰(大方斐紗子)。すべて承知の姑ぶりが、さらに笑わせてくれる。大方(斐紗子)さんだと、ああ、そうかやっぱりと、すぐに納得し、いかにもありそうな現実感が漂って、これはもう配役の勝利だった。
 同時に、鴎外の嫁・しげを演じる水崎綾女も、とても良かった。知らない女優さんだったが、キャスト紹介によれば、ホリプロ所属で、映像の仕事が多かったらしい。いかにも現代の女の子みたいな作り方が、うまいと思った。
  鴎外が、復活の第一作で『半日』を書けば、こっそりと自作の小説『一日』を書いてしまう面白さ。史実かどうかは、私は分からないのだが、『半日』に対し て、すぐさま『一日』だなんて、もう笑うしかないだろう。森鴎外の再婚の妻は、こういう人だったという作者の描き方が、笑わせてくれるのだ。
 観潮楼の二階洋間に現われる来客は三人。まず平出修(内田朝陽)は、雑誌『スバル』の発行人。鴎外の作品を掲載するだけではなく、大逆事件の弁護人のひとりでもある。
 そして永井荷風(佐藤祐基)は、『三田文学』の編集長として登場する。すでに花柳界の人気者だったような描写もある。
そしてもうひとりが、賀古鶴所(若松武史)。森鴎外の親友で、当時五十五歳。この時代=鴎外=四十八歳なので、やや年上の友人である。耳鼻科医とのことだが、この芝居では、山縣有朋と親しいとか、鴎外周辺の政治的な側面を背負って登場する。
 もうひとり新入りの女中さんスエ(髙柳絢子)がいる。この人は、オリジナルのキャラクターだそうだが、出身=和歌山に設定したところが鋭い。大逆事件といえば和歌山だし、しかも事件の、被告のひとりと知りあいだったという設定が、ドラマ性を高めている。
 そして主人公=森林太郎(鴎外)は、もちろん作家であり、当時、陸軍軍医総監、陸軍省医務局長。つまり官界の大物でもあるのだ。鴎外は、まずは仕事帰りの軍服で登場するのだが、かなり来客の多い家であることが分かる。そして同時に、当時の検閲の問題なども語られる。
 こういう人の家庭描写が中心であり、セリフで、幼少の二人の娘のことが語られると、見ている私たちは、ああ、森茉莉と、小堀杏奴のことだなと思い当たり、当時、何歳だったのかしらなどと、関係ないことにまで、頭がまわってしまうのだった。
  当時(一九一〇年=明治四十三年)にしては珍しいなあと思ったのは、森鴎外家が、クリスマスを祝うことだった。クリスマス・ツリーがあり、その飾り付けの シーンもあるのだ。やっぱり森鴎外は、ドイツ留学していたので、西洋の風習を早くも取り入れていたのか、などと教えられたりもした。
 鴎外夫人と、鴎外・母との間に、いささかの距離があったとしても、一応、家族はまとまっている。そんな中にあって、鴎外ひとりが、やや腰が引けているという感じあり。いや、ホーム・ドラマというのは、本来、こういうものなのかも知れない。

『舞姫』=西洋女性との関わり

  二つ目のポイントは、森鴎外と『舞姫』のヒロイン=エリスとの関わりである。『舞姫』は、映画でも見たことがある。篠田正浩監督『舞姫』(一九八九年作品 /西ドイツとの合作/主演=郷ひろみ)。当時の面影が残っているとのことで、東ドイツ・ロケでの撮影だったが、古典的な都市の映像が、なかなかに見事で、 かなり堪能できる作品だった。もちろん内容は、軍医として留学中の森鴎外が、踊り子エリスと恋に落ちる。だが、ドイツに来た友人に説得されて、恋よりも国 家を選んでしまう話である。いわば悲恋物語なのだが、別に捨てなくてもいいのにと、私など思ってしまったのは確かである。
 西洋人が、日本女性を捨てると、よく人種差別などと言われるが、日本人が、西洋の女性を捨てると、人種差別にはならないのだなあ、などとも思ったものである。
『舞 姫』は、宝塚歌劇でもミュージカルになっている。二〇〇八年三月=日本青年館。脚色・演出=植田景子。物語は、ほとんど、いじってはいない。陸軍のエリー ト官僚(愛音羽麗)が、ドイツに留学し、エリス(野々すみ花)と恋に落ちる。だがベルリンに来た大学同期の友人に説得されて、結局は、国家を選んでしまう 話である。
 宝塚なので、男役スターに気を使った作り方ではあったが、主人公の屈折した思いなどが、大コーラスを交えて歌われると、なかなかの迫力であった。その大コーラスは、国家のエリートの、宿命のようなものさえ感じさせてしまったのだった。作曲=甲斐正人。
 映画の場合も、ミュージカルの場合も、私は、森鴎外って、かなりヒドイなあという感想を持った。その思いが出ているのが「鴎外の怪談」にもあった。鴎外の母・峰が、ふと思い出したように、往時を回想して語るシーンである。
「二十年も前のことだが、留学から帰ったあの子を、ドイツ娘が追いかけてきたとき……」
「一族総がかりで二人を別れさせ、林太郎には、すぐ赤松男爵の御令嬢をめとらせた。でも、一年足らずで離婚だよ。於菟が生まれたとたん、長男ができたからもういいだろうとばかりに林太郎は家を出て……」(本誌=二〇一四年十一月号/以下、セリフの引用は同誌より)。
  はっきり言って、森鴎外はエリスを裏切ったのだ。この裏切りが、いま現在の森鴎外をも捉えているのが、とてもよく分かるシーンがあった。妻しげが、家族で 食事に出かけましょうというシーンである。娘二人と、鴎外と、一家四人で出かけることになっていた。ところが鴎外に用事が出来て、行けなくなってしまっ た。すると妻しげは「あんなに前から約束したじゃないですか」と糾弾し、ついに〈裏切り者〉と叫んでしまうのである。
 この一言が、鴎外には効いた。「裏切り者」のひと言が、鴎外には、ドイツ語で聞こえてしまうのだ。その言葉に捉えられて、ほとんど動けない鴎外。そうなのか。森鴎外自身も、そんなに気にしていたのかという思いが、客席に伝わる。ここで暗転になるうまさに感嘆した。

大逆事件/軍医としての森鴎外

  大逆事件との関わりは、ひとつには、親友の耳鼻科医=賀古鶴所との付き合いから生まれている。この人は、山縣有朋の側近のようで、さらに森鴎外と山縣有朋 を近づけようとする。だが森鴎外は、いささか腰が引けていて、実は「軍医になどなりたくなかった。研究室で、顕微鏡を覗いていたかった。町医者として父の ように生きてもよかった。あのとき、母上とお前が軍医になれと勧めなかったら……」と、つぶやいてしまうのだ。
 すると賀古鶴所は「森家の長男と して、ほかに選ぶ道があったか? 軍医にならずにドイツに留学できたと思うか?」と、たたみかけてくるのだ。さらに賀古鶴所は、こうも言う。「軍医になっ たら、お前は出世を望んだじゃないか。どうしても陸軍軍医の最高の地位につきたいと、俺に相談を持ちかけてきた。それには山縣公のお引き立てに与かるしか ないと、二人して計画を進めたんだ。それを忘れてもらっちゃ困る」
 そうだったのか。森鴎外って、こういう考え、あるいは行動もしていたのかと、私など、教えられることが多かった。やっぱり、ただの文豪ではないのだ。そしてこの作品は、森鴎外の、こういう面に斬りこんだところが、さらに面白い。
  同時に、賀古鶴所は〈キング・メーカー〉でもあり、森鴎外を、さらなる高みに押しあげようとさえする。「お前を男爵にしたかった。貴族院議員になる姿を見 たかった」とさえ言い放つのである。これにはなんと森鴎外、ほんの少しだが、反応してしまうところが、鋭い。鴎外は「男爵……貴族院議員……」と、つぶや いてしまうのである。ああ、やっぱり、男って……の感じあり。森鴎外にして、そうだったのか、と。
 そして、もうひとつは、新入りの女中さん=ス エを,和歌山出身に設定したことだ。このオリジナル・キャラクターは、戯曲自体の、とても鋭い一面となっている。芝居の前半で、賀古鶴所が「生まれは紀州 のどこ?」と問うたとき、「新宮です」と答え、私たちをハッとさせる。「このたびの陰謀事件の、ドクトル大石の拠点じゃないか。ドクトル大石を知ってるだ ろう?」と問われて「いえ……」と答えるので、私たちは、ひとまずホッとする。
 さらにクリスマスのシーンで、スエがシチウを作るシーンがある。 「西洋料理が出来るのか!」と驚く鴎外。やがてスエは、ドクトル大石がやっていた太平洋食堂なるところで、西洋料理の講習会に出たことなどを話していくの である。そしてドクトル大石には、とても世話になったこと。新宮では、貧乏な人も、みんなドクトル大石に診てもらったことなどを語り、さらに大逆事件で捕 まっているドクトルを助けて下さいとも言うのである。スエは、森鴎外が、裁判と関わっていることを察しているのだ。
 そして戯曲として素晴らしいのは、このスエの訴えのあと、鴎外には、かつての、迫害されたキリシタンの祈る声が聞こえてくることだ。鴎外の慚愧の思い。それでいながら、大逆事件には、関わっているようで、実のところは、何も出来ていないことを漂わせてしまう見事さ。
 多くのことを詰め込みながら、文豪=鴎外の真実のようなもの。これを漂わせているのが『鴎外の怪談』の、いちばん優れているところだと思っている。
  キャラクターとして花を添えているのは、『スバル』編集・発行人の平出修で、大逆事件の弁護士のひとりを兼ねている。そして、もうひとりは、言うまでもな く永井荷風である。永井荷風って、わりと晩年の写真を見ることが多く、最初から〈ジイサン〉というイメージが強いが、もちろん若いときもあったわけで、そ れを二枚目の佐藤祐基が演じている。ゆえに、これなら永井荷風もモテたに違いないなどとも思ってしまうのだった。
 女優さん三人の達者さに対して、男優さん四人の、それぞれの個性の作り方が出色であったことも、この作品の魅力を高めていた。
 森鴎外=金田明夫は、タイトル・ロールの主役でありながら、周囲に翻弄されてしまうところが、この芝居のポイントでもあり、ああ、そうだったのか、森鴎外って、そういう人だったのかと、教えられもしたのだった。
 個性いちばんは、やはり賀古鶴所=若松武史だった。どんな芝居でも、この人が出てくると、ただでは引っ込まないという印象を、私は持っているのだが、今回も、ちょっと不可解な、だが裏では相当な実力者であることを、さりげに示してしまうところが見事だった。
  若い男優二人=平出修(内田朝陽)と、永井荷風(佐藤祐基)は、この芝居に、爽やかな風を吹かせたところが見事だった。前者は編集者でありながら弁護士、 後者は編集者でありながら作家という二面性を持ち、それぞれ優れた人たちでありながらも、わりと普通感覚を持っているのが、この芝居に普遍性を持たせたと 思う。
 ところでタイトルの『鴎外の怪談』の〈怪談〉とは何のことだろうか。私は、鴎外の二面性、あるいは多面性と解釈し、それは結局〈不思議さ〉に通じているように思っている。

『酒と涙とジキルとハイド』

  今年の「悲劇喜劇賞」は『鴎外の怪談』に決まったが、「悲劇」と「喜劇」に分けたら、これはどちらなのだろうか。私は「悲喜劇」のような気がするのだが、 全くもって完全喜劇なのが『酒と涙とジキルとハイド』であった。作・演出=三谷幸喜。私は、次点という感じで『酒と涙とジキルとハイド』を推した。
 これは、ひと言でいえば、いくら薬を飲んでも、ハイド氏になれないジキル博士の話である。こんなことって、あり? の世界なのだが、なんと〈あり〉なのであった。
 薬を飲んだら、次はハイド氏になる。これが『ジキル博士とハイド氏』のお約束である。映画にも、芝居にも、何度も登場しているが、いつだって、ジキル博士は、薬を飲んだらハイド氏になるのだ。
 無声映画版を見たことがあるが、まだ映画技術が発達していない時代だったので、なんと俳優の演技だけで、ジキル博士はハイド氏になってしまうのだった。ジョン・バリモアって、やっぱり名優でしたよ。
 最近のミュージカルでは『ジキル&ハイド』(東宝)がある。初演は鹿賀丈史、再演は石丸幹二で、ともに元四季の二枚目テノールが演じたが、これなんか一曲歌っているうちに、ジキル博士は、ハイド氏になってしまいましたからね。
  ところが三谷幸喜版のジキル博士は、いくら薬を飲んでもハイド氏にならないのだ。仕方なく、ハイド氏役として、シェイクスピア俳優を雇うという展開だった が、こんなことを思いついたのは、おそらく世界でも三谷幸喜くらいのものであろう。ニール・サイモンも、アラン・エイクボーンも思いつかないことであろ う。やっぱり三谷幸喜は、スゴイなあと思わせる芝居だった。


劇の言葉を磨く

今村忠純(日本近代文学)

『新・明暗』(二〇〇二)に始まり、『書く女』(二〇〇六)につづいて、二〇一四年に二兎社が上演したのは『鴎外の怪談』でした。
 夏目漱石の未完小説『明暗』のそのつづきまでを追いながら、これをあらためて劇空間に仕立て直し評判になった、再演も果たしました。それが『新・明暗』でした。『書く女』は、樋口一葉と周囲の人々の生き生きとした交流、とくにもの書く女性へのオマージュとして永く記憶される劇でした。
 山本郁子のお延に寺島しのぶの樋口一葉の好演も逸することができなかった。
 漱石と一葉と鴎外、といっても劇の形式は題名から見当がつくのですがともにことなります。しかし劇は、どれも日本近代を代表する三人の作家(作品)に対する入念な調査・研究が前提になっていました。
『鴎外の怪談』は、小説家森鴎外のはじめての口語体小説「半日」による復活、つづく「ヰタ・セクスアリス」「沈黙の塔」「食堂」などの小説、また評論「ファスチェス」に永井愛さんは、くまなく目をとおしています。とくに鴎外小説の言葉を次々と劇の言葉に生かし磨きあげていく、これにはほんとうに感心しました。
 その結果どのようなことが起こってくるか。小説家森鴎外の復活、第二の出発がどのようにおこなわれたのか、これを劇のかたち、つまり登場人物のせりふをかりて論じてみせてくれた、といってもいい。たとえば「沈黙の塔」の結末をわざと口ごもらせて女中のスエに読ませたり、「沈黙の塔」はもとより、「食堂」について峰やしげが賀古、とくに荷風に問いかけ、これらの作品をめぐっての対話から鴎外の思想を観客に熱意をもって伝えていこうとするプロットにすっかり感心してしまったのです。
「沈黙の塔」「食堂」のこの二つの作品をあげれば、明敏な読者はただちに『鴎外の怪談』には、大逆事件の影が落ちているのではないかと見当をつけられるかもしれません。たしかにそのとおりなのですが、そこにはやはり永井愛一流のアイロニイ、というよりも公人と私人とのあいだで激しく動揺する、しかし愛すべき鴎外像がつくられているのです。
 そこであらためて『鴎外の怪談』のプロットを検討しなおしてみたいと思います。
『鴎外の怪談』は、一幕五場の劇です。一九一〇(明治四十三)年十月下旬に幕が揚がり、そのあくる年一九一一(明治四十四)年二月下旬に幕が降ります。
 森鴎外の居宅観潮楼二階が舞台になっており、演劇内時間は、一場ごとに一カ月が、つまり五カ月が経過していきます。上演時間は、ほぼ二時間半でした。
「好イ年ヲシテ少々美術品ラシキ妻ヲ相迎ヘ」と四十になった鴎外が、いささか照れくさそうに、しかしほんとうに心からうれしそうに、年上で終生の盟友であった賀古鶴所に報告した手紙がのこされていました。大審院判事荒木博臣の二十二の長女しげと再婚した鴎外は、わずか三カ月足らずの小倉でのまちがいなく至福であった新婚生活を送り、帰京します。一九〇二(明治三十五)年三月、この二人を観潮楼に待ちうけていたのが母峰でした。
 つまりこの劇の幕が揚がるのは、それから八年目の一九一〇年ということなのです。鴎外はしげとのあいだに長女茉莉、二女に杏奴をもうけているし、鴎外その人はといえば、一九〇七(明治四十)年に陸軍軍医総監となり、陸軍省軍医局長に就任していました。
 さらにこの劇に深くかかわり、いちばんに知っておきたいことはやはり山縣有朋の輪廓ではないでしょうか。山縣有朋と森鴎外との関係についてならば、賀古鶴所や峰、と鴎外の劇中の言葉(対話)によって十分すぎるほど十分に理解することができると思われます。
 一九〇九(明治四十二)年十一月十八日付の東京朝日新聞を引用しておきます。「山縣枢相となる」がそれです。
枢相親任式 十七日午前十一時、宮中に於て親任式を行はせられ、桂首相参列の上山縣公、牧野伸顕男を御召の上、左の辞令を御配授あらせられたり。
枢密顧問官元帥陸軍大将正二位大勲位功一級公爵 山縣有朋
 山縣有朋の上奏で西園寺公望の後継首班に指名されたのが桂太郎。第二次桂内閣は、無政府主義・社会主義の取締りを一層強化していくことになります。
 山縣有朋は、はやくには徴兵令の制定のみならず、また教育勅語の渙発の国民教化(第一次山縣内閣)などもふくめ、帝国陸軍の軍制の理念を確立し、やがて陸軍(省)の最長老、元老として官政界はもとより、貴族院、枢密院、そして宮中に対して目を光らせ絶大な権勢をふるうことになった代表的な藩閥政治家として知られています。山縣有朋の構想した国家と軍部の青写真に、鴎外の陸軍軍医総監というポストも担保されていたのです。ひいては今日の、現代国家防衛をかたちづくる大本の思想が、山縣有朋の思想に見通せるといってもけっして過言ではありません。
 さてこの劇は、しげのいま書いている口語体小説の言葉を、しげ自身が口に出しているところから始まります。
 劇中の峰の言葉をかりれば「林太郎の真似をして小説を書き出した」という、そのしげのいま書いているのは「一日」という小説です。もっといえば、この「一日」は鴎外のはじめての口語体小説「半日」のむこうをはってつけられていた題名でしたからほんとうにおかしくて笑ってしまいました。峰としげ、つまり姑と嫁の対立は「半日」に知られているとおりですし、さらに鴎外には前妻とのあいだにもうけた於菟がいました。この劇に於菟は姿を現しませんが、於菟にも心をくばり、しげと峰を気遣う鴎外にまで永井愛の目がとどいているのです。
 この劇が見事だったのは、さらに大成功をおさめたのは、このしげの(独語といっていい)言葉から始まっていたことにあります。
 そして「一日」というしげの小説が、書かれざる小説になってしまったというそのてんまつこそがこの劇の結構になっていたのにほかなりません。
 しげの書かれざる小説「一日」が、鴎外の人生の後半生を決めたことになる、結果としては、これが永井愛の着想でした。しげのせりふをかりれば「富子の夫が山縣公のもとへ行かなかった」、だから「一日」は焼き捨てられたのでした。
 長くなりますが、やはりこのしげのいちばんはじめのせりふ(独語)、「一日」の草稿を引用します。ト書は省略します。

 富子の夫は、先生だの博士だのとの世の尊敬を集めているが、その実、金とは縁が薄い。それなのに、ほとんど病気ででもあるかのように、西洋の書物を買い入れる。そして、「芸者に注ぎ込むよりマシだろう」などと澄ましている。富子も仕方なく、「そうですね」なんぞと言っている。
 ところが最近ある方面の人たちが、「西洋の書物は危険だ」と言い出した。ついには、ある新聞が「危険なる洋書」という連載まで始めた。これによれば、夫が半生をかけて集めた洋書のほとんどは、危険なる思想に毒されているらしい。
 イプセンは健全なる家庭生活を破壊する。モーパッサンは人々を色欲に狂わせる。ゾラは人間の醜さのみを描き、ニイチェは道徳を否定し、ベルレーヌは堕落してもよいのだと囁く。そこに吹き込むのは、「政府は転覆せよ」と煽るロシアの風だ。ことにトルストイ、ツルゲーネフ、ゴーリキーなぞは、社会主義、共産主義、無政府主義などの恐ろしき革命思想を、さもよいもののように宣伝する、文芸の皮をかぶった狼なのだとか。
 富子はこの連載を愛読した。そして、危険だと言われれば言われるほど、読みたくてたまらなくなった。ついにイプセンに手を出した。今では、「妻である前に、まず人間でありたい」なんぞと思うようになっている。ああ、恐ろしや、恐ろしや……

 鴎外が「半日」に書いていたように「此家に来たのは、あなたの妻になりに来たので、あの人の子になりに来たのではない」としげは鴎外にいいはなっていたのにちがいありません。
 もししげの書いた小説集(『あだ花』)を読み、「半日」を読んでいる観客(読者)ならば、なるほどしげは、このような小説(「一日」)を書いていたであろうと膝をうち、合点します。いや「半日」の読者であるだけで、永井愛のしげ像にも十分納得がいくと思います。そしてもちろん峰像についても。
 しげは、鴎外の月給がそのまま峰の手にわたるのも、がまんならなかったばかりではなく、峰との同席をいやがり食事も別間でとっていたのです。女中のスエにこっそり食事を運ばせるというのも、そういうしげのふるまいのあらわれとして理解できます。
 第一場で平出修と賀古鶴所のこの二人が観潮楼に姿を現わします。平出修は大逆事件の弁護団の一人に選任されましたから、くわしくこれの内容を知るところとなっています。
 これの善後策を鴎外に仰ぐとともに以後は平出修の口をとおして、逐一秘密裁判の推移を知ることになります。私たちも劇場の観客席からこれを見守りつづけます。
 いっぽうのもう一人が森鴎外にもたらすのは、椿山荘で秘密裡のうちに開催される元老・山縣有朋をかこんでの懇談会・永?会の日程でした。いうまでもなくそのもう一人とは賀古鶴所のことです。ここで協議されることが、大逆事件問題終息にむけての工作であることを、また私たちも知らされるのです。
 こうしてこの劇の第一場が、一九一〇(明治四十三)年十月下旬に始まるのにも、以後の劇展開を周到にみきわめた上でのことであるということを理解しなければなりません。
(永井愛)の劇の骨組を読みながら劇は批評されるべきであって、思ったこと感じたことを外野席で得手勝手にはやすのは、劇評でもなにものでもありません。
 さて第二場では、永井荷風が姿を見せます。森鴎外の推薦で、慶應義塾の先生におさまった荷風を通じて、荷風その人のことはもとより「三田文学」や「早稲田文学」、また一九〇九(明治四十二)年に旗揚げした小山内薫の自由劇場のことが話題になるなど、文学・演劇の同時代の語られているのが第二場です。もとよりそれにとどまらない。文学・演劇の同時代を語るということは文学者、演劇人としての鴎外の顔がおのずとそこに見えてくることを意味します。さらに大事なことは、同時代の文学者たちの、いわば大逆事件認識についての問題も明らかにしている、判決以後の文学者の動向も伝えているのです。
 第三場は、十二月二十四日の夕方、つまりクリスマス・イヴ、大きな樅ノ木を運んで来たのは永井荷風、日本では禁止されてきたキリシタンのお祭りが、いつの間にか日本の暦になっているというのです。新しい思想が古い思想を更新するという鴎外の論理をこのキリシタンのお祭りに重ねあわせるようにして危険思想といわれている無政府主義の思想のありかたを説いてみせてくれるのが、この第三場なのです。鴎外には津和野の乙女峠でのキリシタン弾圧の記憶がよみがえっています。
 第四場は一九一一(明治四十四)年一月十八日夜、大逆事件の判決のくだされたその日の夜、荷風にこの裁判のカラクリを説く役まわりを演じさせ、鴎外を山縣有朋のもとに出かける決意をうながします。荷風、そして賀古と鴎外とのあいだにかわされる必死の言葉にこそ、劇の言葉の論理に命をけずる永井愛の本領が発揮されていたことは、あらためてことわるまでもありません。
 しかもこの一部始終を丸窓の障子のむこうで聞き耳をたてていたしげが、とつぜん出現するとは、一体だれが想像していたでしょうか。さらに薙刀をふりかざし、白装束の峰までがここに現れるとは。そればかりではありませんでした。峰は、懐剣をとりだし、自分の命にかえても、これから山縣有朋のもとにむかおうとしている鴎外の前にたちふさがるのですから。
 しかし「歴史」を書きかえることはできません。すこぶる上機嫌に声をはずませ鴎外を送り出そうとしていたしげもいたし、そのような鴎外を立ちどまらせた峰もいた、つまりそのようにそれぞれの人知れず思い屈した気持を伝えることこそ劇のちからであること、そのことを教えられる、そこにかくれた詩と真実があるのです。
 第五場は、一九一一(明治四十四)年二月下旬、しげに待望の男子が誕生します。類が生まれました。不律を生後間もなく亡くしていますからしげにとっては二番目の男子の出生なのですが、そのことが森家にどれほどのしあわせをもたらしたかということをこのエピローグは語りかけています。
 二十年前にベルリンで買ったボタンが身になじんでいた、そのボタンの一つをどこかでなくしてしまった、そのなくしてしまったボタンと重ねあわせるようにうたっていたのが「こがね髪ゆらぎし少女/はや老いにけん/死にもやしけん」というよく知られた「うた日記」の「扣鈕」でした。「少女」に、「舞姫」のエリスとの記憶を結びつけ、いってしまえば「半日」のお嬢さん育ちの奥さんとの関係に結着をつけようと試みる、そこに『鴎外の怪談』が成立していたのかもしれません。
 またいわずもがなのことなのですが、エリスと太田豊太郎、豊太郎と天方伯、豊太郎と親友相沢謙吉の関係(「舞姫」)も「歴史」は、大多数の読者の知らぬところとなっています。しかし、太田豊太郎とその母の関係(「舞姫」)と、文学博士高山峻蔵と母君の関係(「半日」)からきれいに割り出された鴎外と峰とであってみれば、かたぐるしい「歴史」(事実)にしばられることのない、たのしい批評でありたいと私は切に思っています。鴎外は「歴史其儘」と「歴史離れ」の、その是非をはたして問題にしていたか、けっして問題にしてはいなかったとおもいます。くもった眼鏡をはずし、「歴史」とは何かを問うところから始めなければならない、そのように『鴎外の怪談』を観ながら考えました。
 大方斐紗子の峰はもとより、金田明夫の森鴎外、若松武史の賀古鶴所の、それぞれの役どころの急所をおさえた、緩急自在な演技に舌をまきました。水崎綾女のしげには、身を投げ出すような放胆さがあり、内田朝陽の平出修には、書生っぽの弁護士の真直さがあり、佐藤祐基の永井荷風には、いいかげんな、しかしおやと思わせるような芯の強さが見つかりました。「聞こえてまへん。聞こえてもわかってまへん」といっていた髙柳絢子のスエが、ドクトル大石から教えてもらったシチウをつくり、鴎外にドクトル大石の命ごいをする言葉が忘れがたいものになりました。劇とはスエのような進行係が生きてたちまち劇の筋道が見えてきます。スエは森家のすべてを知っています。


「菜が居合い」が鮮やかに斬った鴎外と時代の心

高橋豊(演劇評論)

「永井愛」とはどんな劇作家・演出家か。登場人物や時代・社会への「長い愛」を持つ人と捕らえるのが、一般的だろうが、「菜が居合い」と読めないか。
  瞬間に相手をきる「居合い」の武器が、剣ではなくゴボウや大根、ニンジンなど、ごく日常の食卓の菜っ葉であることに驚きがある。その覚悟を持って、時代を 社会を、きっちり鮮やかに見直していく。日々の暮らし、生活へ深い目を注いでいるからこそ、永井の作品は私たちの心を打つ。
 長く永井の舞台を観続けた者の一人として、まず彼女の軌跡を簡略にたどりたい。
 一九八一年に結成された二兎社は、永井ら兎年生まれの女優二人の劇団で、互いに創作を行って出演、早替わりが面白い「カズオ」など、話題を呼んだけれど、九一年に永井が単独で主宰するようになってファンとしては正直、先行きがどうなるか心配だった。
 九四年、「時の物置」を皮切りとする「戦後生活史劇三部作」が二兎社と永井に対する注目度を飛躍的に高める。
  第一作は、テレビなど家庭に物質文明が流れ込んだ昭和三十年代を、次作「パパのデモクラシー」は敗戦直後の都市生活者の生態を描き、最終作「僕の東京日 記」が七〇年安保闘争の挫折から個に分裂していく人たちの生活を活写した。時代の転換期に立つ人々を丹念に造形し、生活感のある群像劇となっていた。
 九七年、永井は二兎社以外の劇団のため新作を書く。
 青年座へは祖母をモデルにした明治時代の女子師範学校が舞台の「見よ、飛行機の高く飛べるを」である。秀作。若い女優がたくさん出て、大いに華やいだ。
  テアトル・エコーには、「ら抜きの殺意」を書き下ろした。こちらは現代も現代。いい大人まで「ら抜き言葉」を使ってしまう現実を見据えながら、永井は「男 言葉」と「女言葉」を区分けしようとする日本語特有の現象に切り込んでみせた。本作で永井は第一回の鶴屋南北戯曲賞を受賞したのだけれど、表彰式で当時、 日本劇作家協会会長だった井上ひさしの辛口の挨拶が、今も忘れられない。井上は「永井さんが受賞後にどんな作品を発表するかが決め手で、ずっと問われる。 その成否によって、南北賞の価値も評価されるだろう」。
 同賞の選考委員は、東京演劇記者会所属の現役の新聞記者たちが務め、私もその一員だった けれど、井上の迫力ある一言に度肝を抜かれた。実は井上の新作も候補作の一つに挙がっていたのだが、永井作品の評価の方がずっと高かった。今になれば、井 上の〝直言〟がよく分かる。笑いを交えながら社会の真実を突く「ポスト井上ひさし」を永井に託すため、敢えて厳しい注文を井上は付けたのだろう。
 もう少し、永井のこれまでの軌跡をたどる。
  男女間の「本音」と「建て前」にさらにメスを入れた作品が、二〇〇〇年初演の二兎社「萩家の三姉妹」である。舞台は現在の日本だけれど、チェーホフの「三 人姉妹」を根底にしながら、長女はフェミニズムの研究家の大学助教授で、次女は専業主婦だが、不倫に走り、三女は未だに自立できない。日本の「男社会」の 欺瞞性を、笑いと共に徹底的に暴き出している。
 翌〇一年に初演の「こんにちは、母さん」が、永井の家庭劇の傑作だと思う。七十歳を過ぎた母親の 老いらくの恋が中心のようだが、実は中年の息子の心模様に焦点を当てる。彼は会社でリストラ担当を命ぜられ、家庭は離婚寸前で、ストレスはたまるばかり。 二年ぶりに母親が一人で住む実家に戻ったけれど、会話が続かない。母と子が心を開き、真にもう一度、新たに出会えるまでを丁寧に描き出している。
 永井は政治的な社会問題からも決して逃げない。
  代表が〇五年初演の「歌わせたい男たち」だ。ある高校の卒業式で「君が代」を歌わせたい校長と、それに反対する教師とのドラマが中軸である。単なる論争劇 でなく、校長がピアノ演奏のために売れないシャンソン歌手を音楽担当して雇ったり、反対側の教師にもさまざまな屈折があるなど、しっかり笑いを盛り込んで いるのが、永井らしい。今の教育現場における「国旗」「国歌」の問題に真正面から取り組んだ舞台だった。
 一〇年には、新作「かたりの椅子」を発表、アートの世界でも免れない日本の「官僚主義」を喜劇として提示してみせた。公立劇場の運営をめぐり、永井が体験した不条理のおかしさを反映させた作品だった。
  硬派のイメージが強くなった永井だが、〇四年に女優三人のグループる・ばるに書き下ろした「片づけたい女たち」のようなリラックスして楽しめる舞台もあ る。片づけることが苦手で、モノが散乱し、埋め尽くした部屋で、中年期末の女性三人が「まだやり直せる」「まだ勝負は終わっていない」と言い合う切なさ、 おかしさ。
 以上、劇作家・永井の作品は、やわらかなユーモアに包まれたウェルメードの劇でありながら、きっちり現代日本社会の問題の「本質」をあぶりだしてみせる。
 
 さて、今回の二兎社の二年ぶりの新作「鴎外の怪談」(永井作・演出)である。斬新な喜劇が基調で、客席からは笑いがよく起きた。
 森鴎外(林太郎)は、明治・大正期を代表する文豪として精力的な文学活動を展開した一方、陸軍軍医総監・陸軍省医務局長と軍医としての最高ポストに上りつめた。
 あの時代には珍しく、フェミニズムに理解を示し、子供たちにも優しかった。文学者と軍職者と「二つの頭脳」を持つ鴎外が、最も危ういバランスを生きた時期に、永井は焦点を当てた。
 一九一〇(明治四十三)年、社会主義者の幸徳秋水らが明治天皇の暗殺を企てたとする「大逆事件」が報じられたころの、鴎外の住居「観潮楼」が舞台だ。下手に階段がある二階の設定なのだけれど、〝鴎外の階段〟と思えるほど、さまざまな人がこの部屋に出入りする。
 まさしくサロン。右の超保守派から左の革新・進歩派まで多様な人の訪れを鴎外は決して断らない。ドイツ留学を経た彼による、当時の日本としては、大変リベラルな環境が生まれたのだけれど、生来の人間嫌いが時に出てきたりもする。
「鴎外の怪談」は、冒頭、鴎外(金田明夫)宅の主導権をめぐって、後妻・しげ(水崎綾女)と母・峰(大方斐紗子)の壮絶な言葉によるバトルで始まる。鴎外は妻に対しては「良い夫」、母に対しては「良い息子」としてふるまい、危ういバランスを取っていた。
「大 逆事件」で逮捕された被告人の弁護人を引き受けた文学者・平出修(内田朝陽)は『スバル』の編集・発行人だけれど、ヨーロッパの社会主義・無政府主義に造 詣の深かった鴎外からレクチャーを受けにやってくる。鴎外を慕う作家・永井荷風(佐藤祐基)も、この事件に関心は深い。
 観潮楼には、平出らとは 全く立場の違う人物が頻繁に訪れた。鴎外の親友で、同じく帝国陸軍の医局に所属する賀古鶴所(若松武史)らだ。鴎外も賀古も、時の大権力者・山縣有朋の私 的諮問機関「永錫会」のメンバーであり、社会主義者の徹底的な取り締まりを目的とした極秘の話し合いを行っていた。
 登場人物七人のうち、実在し なかったのは、お手伝いのスエ(髙柳絢子)だけである。和歌山県出身の彼女は、「大逆事件」で処刑される医師・大石誠之助が営んでいた太平洋食堂で西洋料 理を習い、シチュー料理など習得していた。鴎外の〝サロン〟の第三者、私たちに最も近い庶民の「観察者」と言えるかもしれない。作者の永井は絶妙なタイミ ングでスエを登場させ、「二つの頭脳」を持つ鴎外の右往左往の目撃者となる。
 本作の魅力の一つは、鴎外や賀古、平出や荷風とのやり取りで「大逆事件」の実相が伝わってくることだろう。
  親友同士だが、鴎外は賀古へ「この秘密裁判の言い分が通用するのは日本国内だけだ。すでに欧米各国は疑いの目を向けている」と批判する。賀古は「国家には 秘密にしなければならないことがある。わが国及びわが国民の安全の確保のために、保護しなければならない秘密はどうしたって出てくる」と切り返す。
 特定秘密保護法を含め、現在の政治状況の問題をリアルに考えさせるのだ。反対勢力を「圧殺」することを国はためらいもしない。
  本作の魅力の二点目は、妻しげと母の峰が実に生き生きと描かれていることである。特に後妻のしげは悪妻の評があったけれど、フェミニズムに理解を示す夫・ 鴎外との良好な夫婦関係がよく分かる。夫を子供たちと一緒に「パッパ」と呼び、新聞が「危険なる洋書」などで夫の愛する欧米書を追放する動きを嘆く。鴎外 が書いた「半日」に対抗して「一日」を執筆したいと思っている。
 鴎外のデビュー作「舞姫」での、ドイツ人女性エリスへの思い出もちゃんと登場する。「恋人を捨てる罪の意識を、日本で初めてちゃんと描いたのは鴎外だったのではないか」と、しげは夫へきっちり言うのである。夫の思いに対する再評価とも言えるかもしれない。
 二兎社は、作・演出の永井単独の劇団だから、キャストは公演のたびに変わる。今回は全員が二兎社へ初参加である。それにしても見事なアンサンブル。
  ベテランの金田、若松の演技の確かさに目が行ってしまうのだけれど、とりわけ、母・峰役の大方には大きな拍手を送りたい。頑固な姑のようでありながら、鴎 外への理解を示しつつ、終盤、「大逆事件」で山縣公へ〝直訴”に行こうとする息子を、白装束に鉢巻、薙刀姿でおし留めるのだ。実際にはありえなかったこと だけれど、舞台として観る限り、とてもおかしい。
「鴎外の怪談」は、なぜか今年度、他の演劇賞と全く無縁だった。
 永井はかつて「打率十割」と言われるほど、毎年、さまざまな演劇賞に輝いていた。その結果、彼女への授賞レベルが高くなってしまったことが一因かもしれない。
 もう一つ、「評伝劇」の宿命だろうが、鴎外、荷風ら高名な作家を取り上げると、外野席がやたらとうるさい。
「こんなことはありえない」など、いろいろ注文が出てくるけれど、永井の創造の世界だから、現実と違ってもいいではないか。さらに言えば、明治末期の話とみせて、永井は今の平成日本を描いているのではないか。
 永井の心の中には現状に対する「危機感」がある。このままの日本では、どこへ行ってしまうのか。「大逆事件」前後の明治は、決して他人事ではない。
 わきの話かもしれないが、本作が二兎社と公立劇場の共同制作だったことも記しておきたい。画期的なことで、公立劇場を中心に全国公演が行われたのだ。
 永井愛のここ数年の久しぶりのスマッシュヒット。ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の受賞作として何一つ文句はない。
     *     *
 悲劇喜劇賞の候補として、私は「鴎外の怪談」と共に、「冬眠する熊に添い寝してごらん」(Bunkamura)を挙げた。実はこちらが第一候補のつもりだったから、紙面で少しばかり語りたい。
「冬眠する熊に添い寝してごらん」は、年初め、東京・シアターコクーンで上演された。四十代若手の小説家・古川日出男の書き下ろし戯曲を、もう八十に手が届きそうな蜷川幸雄が演出した。戯曲が文芸雑誌『新潮』に掲載されたことも珍しかった。
  台本を一読、時空を奔放に行き来するなど、奔放な想像力に驚かされて、「これは作者から蜷川への挑戦状だ」と思ってしまった。詳細なト書きがあるのだけれ ど、どうやって舞台化するのか、ごく普通の演出家なら頭を抱えるはずだ。例えば〈ふいに舞台上に出現する「場面」。七人の老婆たちと仏壇=大仏壇をステー ジにとどめ置きながら、大胆に横切る一頭の犬〉〈これは民話にいう人と犬の結婚なのか〉〈吹雪、七人の老婆たちが「般若心経」を唱和する〉などの詳細なト 書きの後に、不意に現在の回転寿司の店内が指示されるのだ。
 主軸となるのは、伝説の熊猟師を先祖に持つ兄弟の話である。兄(井上芳雄)はライフル競技でオリンピック競技に選ばれた名手だが、商社員の弟(上田竜也)の恋人の女詩人(鈴木杏)と激しい恋に落ちる。
 その場所が北陸の回転寿司店なのである。コクーンの舞台から客席の通路を一周して巨大なコンベヤーが登場して、観客をアッと言わせた。劇作家のト書きはきちんと守るという蜷川の覚悟が伝わってくるようだった。
 芝居の縦軸は、伝説の熊猟師と熊、そして犬をめぐるサーガ(年代記的な物語)だ。人は熊を「山の神」とあがめつつ、射殺し、「熊の肝」を求める。
 明治時代に隆盛を迎えた新潟県の石油村にも触れられる。大正期に入ると衰退を始め、日本は新たなエネルギーを求めて、ロシア革命後のシベリアへ無謀な出兵を試みて、多数の死傷者を出した。
 かつて製油所の本社があった新潟県柏崎市は、一九六〇年代、原子力発電所の誘致を決めた──。
 ともかくスケールの大きな物語だ。巨大な大仏像が反転して、犬の顔の「犬仏像」となるなどの仕掛けを含め、古川の蜷川に対する挑戦=遊びが楽しい。
 古川は福島県生まれ。「3・11」の東日本大震災の後、清水邦夫作・蜷川演出の「血の婚礼」(Bunkamura)を観劇。この際、蜷川に「ホンを書きませんか」と誘われたという。
 もともと古川は、清水の作品に強い影響を受けていて、蜷川に戯曲を書くことを約束した。
  今回の舞台設定は、新潟県出身の清水に敬意を表してのものだろう。タイトルも、清水の例えば「ぼくらが非情の大河をくだる時」など長い表題を意識している のだろう。清水・蜷川のコンビ(現代人劇場・櫻社)が疾駆した六〇年代末から七〇年代の小劇場運動(当時アングラと言われた)演劇へ捧げた古川のオマー ジュといえるかもしれない。
 美術の中越司、演出補の井上尊晶らスタッフの協力をもとに、蜷川が演出力をフル回転させた。古川のト書きの難題を解決していくたびに、蜷川はひそかな喜びを感じたのではないか。
 蜷川は一四年、再演を含めて十本を越える作品を演出した。なんというエネルギー。その源は年初の「冬眠する熊に添い寝してごらん」との格闘にあったと思うのだ。


第二回ハヤカワ『悲劇喜劇』賞選評 

辻原登(作家)

  ハヤカワ『悲劇喜劇』賞の選考に今回の第二回から加わることになったが、なぜ私にお鉢が回ってきたのか分からない。分からないままにあれこれ想像するに、 やはりこの賞の仕掛人のお一人、矢野誠一さんの存在がクローズアップされる。矢野さんが委員に私を推薦されたとすると、二つの機縁が考えられる。
 私が以前、『圓朝芝居噺 夫婦幽霊』という小説を書いた時、落語という話芸の中にある強烈な演劇性と小説性という視点から、矢野さんがあたたかなエールを送って下さったことがあった。
 また、矢野さんと私がかつて神田駿河台にあった文化学院の先輩と後輩であること。
 この二つの機縁が揃えば、それで説明がつくかと言うともちろんそんなことはない。
  矢野さんは、第一回の賞の発表号(『悲劇喜劇』二〇一四年五月号)の巻頭に、早川浩氏の「創業者の想い」という文と共に、「新しい賞の意義」という文章を 書いておられる。そこで矢野さんが強調されているのは「演劇批評」の復権、あるいは確立ということだ。つまり「賞」そのものが、あるいは選考がそのまま批 評性を持つということ。早川浩氏の「創業者の想い」と矢野さんの文を併せ読むと、お二人の演劇への並々ならぬ愛情と情熱がうかがえる。
「批評」が 機能するには、外部からの視点が必要だ。それで、『圓朝芝居噺』を書いた私に選考委員に加われということなのか、というふうに考えたのだが、小説の世界で も演劇同様、いやそれ以上に「批評」は衰退しているのである。その嘆きを、小説家たる私に演劇にも投げかけてみよ、との仰せなのかもしれないと勝手な想像 をふくらませた。畏れ多いことではあるが、先に選考委員に就いている鹿島茂氏の次のようなコメントに出会って、及ばずながらとお引受けすることにした。

  私は自分の体験したことのないことを依頼された場合には例外なくこれを引き受けるのを原則にしていますので、ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の選考委員も、(少し 考えてからですが)引き受けることにしました。これまで、観劇を習慣とすることもなかったし、いわんや劇評というものもほとんど書いたことはなかったの で、いさぎよく原則に従ったというわけです。(『悲劇喜劇』二〇一四年五月号)

 私が昨年、観る機会を得た舞台は以下の通りである。
「アルトナの幽閉者」(二月 新国立劇場小劇場)
「マニラ瑞穂記」(四月 新国立劇場小劇場)
「わたしを離さないで」(五月 ホリプロ、彩の国さいたま芸術劇場大ホール)
「永遠の一瞬」(七月 新国立劇場小劇場)
「兄おとうと」(八月 こまつ座、紀伊國屋サザンシアター)
「炎 アンサンディ」(十月 世田谷パブリックシアター、シアタートラム)
「鴎外の怪談」(十月 二兎社、東京芸術劇場シアターウエスト)
「皆既食」(十一月 Bunkamura、シアターコクーン)
「鼬」(十二月 シス・カンパニー、世田谷パブリックシアター)
 番外「War Horse~戦火の馬~」(八月 シアターオーブ)

 いかにも少ない。だがこれが精一杯だった。そして、ある劇場では讃嘆、ある劇場では失望を味わった。
 見ごたえのあったのは二つの舞台、「マニラ瑞穂記」(新国立劇場)と「鼬」(シス・カンパニー)である。
  新作ものと翻訳劇には余り興が乗らなかった。俳優の演技や演出、衣裳・音響ではなく、戯曲そのものに張りがない。演出家や俳優は何とか舞台で、ドラマに張 りを与えよう、生みだそうとしているのだが……。──張り、だって? それって一体批評? という声も聞こえてくるが──。
 その典型は「アルトナの幽閉者」だった。サルトルの作劇術には何ら見るべきところはない。人間造形も浅い。そんなことはないという人もいるだろうが、彼の紋切型の人間観(実存主義)にこちらは少し食傷気味なのだ。
  人間が運命に翻弄される、といえば劇的と思えるかもしれないが、それは本当は神々だけが成しうることで、一介の人間、それがたとえ劇作家であろうと許され ることではない。人間の運命を弄ぶ悪しき作者になるかならないか、「炎 アンサンディ」の作者はきわめて無邪気にその道を選んだようだ。「ギリシャ悲劇」 においても「古事記」の世界にしても、人間は本当に神々、神の声(神託)を聞いている。物理的に聞こえていたのである。
 神々の声を失なった私たちが、神々になり変わって、人間の運命を描くにはどうすればよいのか。
「鴎 外の怪談」「マニラ瑞穂記」「鼬」は、作者に人間の運命を弄ぼうという考えは微塵もない。シェイクスピアにもチェホフにもカミュにもない。人間の理解の手 の届かない世界を魂の奥底にひそめながら、運命を弄ぼうとする誘惑に打ち克った者だけが、本物の劇的空間を実現することができるのだ。
「マニラ瑞穂記」と「鼬」はまさにその好例だ。「マニラ瑞穂記」では舞台をぐるりと客席が取り囲む。男たち女たちが渦を巻くように動きはじめ、いつしか観客をもその渦巻きの中に吸い込んでゆく。
「鼬」 では、舞台を上下左右一杯に大きなだるま屋の内部が占める。まるで鯨の腹の中のようだ。仄暗い闇が水のようにみちている。人物が出入りするごとに開けられ る戸口からわずかな外の光が差し込む。その光が、私には四月に観た「マニラ瑞穂記」の南方から差す光のように思えた。事実、萬三郎は南方から帰って来る。
「鼬」の幕間でのこと。すぐうしろの中年女性三人が、美女が一生懸命悪女を演じようとしてるわね、とクスクス笑いながら言い交わしていたが、それでいいじゃないか、それこそ芝居だし、鈴木京香はみごと「おとり」を演じ切った。
 受賞は「鴎外の怪談」に決まった。私は受賞に賛成したが、私にとって神様である鴎外や荷風が、生身の人間の姿となって動き回るのを見るのは、正直言って少し辛いものがあった。

※一部日本語環境で表記できないため、「鴎」を新字で表記しています。

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第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考結果

2015年1月15日(木)、第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の選考会が、今村忠純、鹿島茂、小藤田千栄子、高橋豊、辻原登の5氏により行われ、『鴎外の怪談』に決定しました。
本賞は選考委員と批評・評論家の劇評意欲を最も奮い立たせる優秀な演劇作品を顕彰するもので、受賞作はその年のなかから1作品にあたえられます。受賞作には正賞として演劇雑誌「悲劇喜劇」に因んだ賞牌、副賞100万円が贈られます。3月27日(金)に東京・信濃町の明治記念会館にて贈賞式を行います。
詳しい選考経過、選考委員がそれぞれ推薦する作品の劇評は当ホームページおよび「悲劇喜劇」5月号(4月7日発売、早川書房刊)に掲載されます。
 

作・演出=永井愛/美術=大田創/照明=中川隆一/音響=市来邦比古/衣裳=竹原典子/ヘアメイク=清水美穂/演出助手=鈴木修/舞台監督=増田裕幸/出演=金田明夫、水崎綾女、内田朝陽、佐藤祐基、髙柳絢子、大方斐紗子、若松武史
 

※一部日本語環境で表記できないため、「鴎」を新字で表記しています。

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第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の贈賞式を開催

2014年3月28日、明治記念館において、第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の贈賞式と祝賀会を開催しました。

演劇関係者、評論家など多くの方々にご臨席いただき、第一回受賞作となった『野田地図(NODA・MAP) 第18回公演「MIWA」』を代表して野田秀樹様に、当財団代表理事早川浩より正賞の楯と副賞100万円が贈られました。

演劇および演劇批評文化の発展と振興に寄与することを目的とし、「批評家の劇評意欲を奮い立たせる最も刺激的な作品を顕彰する」という本賞の設立趣旨に沿って、贈賞式では選考委員四氏からそれぞれ劇評が述べられました。

式 の冒頭では舞台のハイライト映像が流され、また「MIWA」からキャスト、スタッフ50名近くが出席されたこともあって、新しい賞の始まりにふさわしい華 やいだ雰囲気の贈賞式となりました。さらには、この作品のモデルである美輪明宏様ご本人が、多忙なスケジュールの合間を縫ってお祝いに駆けつけてくださる というサプライズもあり、会場は終始歓声と拍手に包まれていました。

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第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考委員批評文

「個と共同体」

   鹿島茂(フランス文学)

  私は自分の体験したことのないことを依頼された場合には例外なくこれを引き受けるのを原則にしていますので、ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の選考委員も、(少し考えてからですが)引き受けることにしました。これまで、観劇を習慣とすることもなかったし、いわんや劇評というものもほとんど書いたことはなかったので、いさぎよく原則に従ったというわけです。しかし、他のジャンルの経験から行くと、どんなジャンルであれ作品に対して評価を下すには、ある程度のカンというものが働かなければなりません。日本で上演されているすべての舞台芸術を見ることはできない以上、「選択」をしなければならないからです。ところで選択にはカンが不可欠です。しかし、カンは数をこなさないと身につかないという真理がありますから、選考委員会に臨むにあたっては大きな不安が残りました。自分はまだ数を自慢できるほど多くの演劇を見てはいないと感じていたからです。しかし、どうやらそれは杞憂だったようです。他の選考委員の方々が出してきた候補作と私のそれに大きなズレは感じられず、選考に入る前からある種の共通理解のようなものができあがっているのがわかりました。

 候補作として推したのは『冒した者』と『木の上の軍隊』の二つですが、その選考理由を語るまえに、三、四十年ぶりに演劇シーンの中に放りこまれた浦島太郎の感想を一言述べておきたいと思います。

  まず驚いたのは女性観客の多さです。三、四十年前の新劇の観客といえば、明日は舞台に立ってやろうという野心を抱いた演劇青年・演劇少女ばかりでしたが、 いまはみな「純粋観客」に徹した女性が客席の大半を占めています。男性客はランチ時のフレンチやイタリアンのような居心地の悪さを感じざるをえません。

  しかし、勘違いされては困りますが、私はこれがいけないといっているのではありません。慣れてくるにしたがって、女性客中心の観客がなかなかの見巧者であることがわかってきたからです。やはり、数をこなしているうちに自ずから鑑賞眼が備わるのでしょうか、面白かった舞台とそうでない舞台では、アンコールの拍手にはっきりとした強弱が感じられます。観客のレベルは思っているよりもはるかに高いし、女性客に人気のある劇団や劇作家・演出家はそれなりのレベルを保っています。

  しかし、そうした点は認めた上で、女性客の多さが良くも悪しくも今日の演劇シーンの決定要因となっていることは指摘しておかなければなりません。つまり、今日の演劇は、観客の大半は女性であるという大前提から出発し、脚本作りから、キャスティング、制作、演出、広報、劇場選び、日程その他すべてを、この前提に沿うかたちで進めなければならないのです。そして、そうした努力がまたこのトレンドを一段と加速させているのです。

  したがって、候補作を選ぶ場合にも、この前提というものをある程度は考慮に入れざるをえないということです。つまり、前提を「受け入れた」作品に一票を投じるのか、それとも前提に「反した」舞台づくりをしている作品を選ぶのかという選択です。ただ、そうはいっても、演劇もまた商業的に成立しなければならない以上、100%「反した」作品は存在しません。ただし、どちらの方向を目指すのか、そのベクトルの割合くらいは明らかになっていなくてはいけないと思います。

  私は候補作を選ぶに当たって一つの基準にしようと考えたのは、前提を「受け入れた」割合40%以下であって「反した」の割合60%以上という配分です。現状を全面的に肯定したり追認したりするところからは時代を更新するような画期的な作品は生まれてこないからです。しかし、前提を無視した舞台づくりをすれば、いくら玄人筋に受けても「次がない」のは自明ですから、「反した」の割合が大きくなり過ぎるのもまた考えものです。ほどよい割合の良質な作品を選ぶのが最も賢明ではないかと思いました。

  もう一つの基準は、その作品が「古典」足りうるか、ということです。演劇はすべてのライブ芸術と同じく、「一回性」を基本としています。スタッフ全員の力が最高度に結集したときにのみ傑作が生まれるのですが、しかし、その一方では、小説と違って、将来においてそれを上演しようと志す人に向かって「開かれて」いなければならないという性格ももっています。傑作の上演に立ち会った人の記憶が、あるいは逆に、自分なら別の舞台づくりをするぞという反発の感情が、再演、再々演の情熱をかきたてるのですが、いずれにしろ、そうした再演、再々演の情熱を生み出す作品のみが「古典」として生き残っていくことになります。

  こうした基準を設定すると、おのずから、候補作は搾られてくることになりますが、私は、今回、これらに加えてプライベートな第三の基準として「個と共同体」というものを勝手に想定しました。というのも、これこそが現代日本が直面している最大の問題ではないかと思っているからです。つまり、日本の伝統的共同体の基本である直系家族(親が子どものうちの一人を跡継ぎとして、親・子・孫の三代の家族が同一空間に住む)が完全に崩壊してしまった現代において新しい共同体の有り様を模索することが最も喫緊の課題となっているからです。演劇は、最も敏感に同時代の問題意識と同調する芸術ジャンルである以上、こうした新しい共同体の模索を大きなテーマにした作品が出現しないはずはないと思います。

私の選んだ二つの候補作は、以上の三つの基準をクリアーしている作品です。

  まず、葛河思潮社『冒した者』。これは、戦後の住宅難のために東京郊外の大きな屋敷に共同生活を営まざるをえなくなった九人の「強いられた共同体」をテーマに、三好十郎が「個と共同体」の関係を正面から問うたという作品ですが、私は原爆や敗戦、冷戦下でアメリカの核の傘の元での独立といった当時の時代状況と切り離しても、この作品には十分に現代の本質に迫るものがあると感じました。というのも、直系家族どころかその後に来た核家族さえ崩壊した後、いまや、 漂流する個の共同体としてシェア・ハウスというものが現れてきていますが、『冒した者』はこうしたシェア・ハウスに含まれる問題をすべて先取りするかたちで扱っていると思ったからです。

  すなわち、日常レベルでは多少の自己犠牲を払いつつなんとか共同体を維持していた人たちが、須永という闖入者の出現によって、自我のぶつけ合いから「万人の万人に対する闘い」へと至るという構成は、「面倒くさいこと」は嫌いで、「やりたいこと」をやるという現代日本人の心性から必然的に派生するであろう共同体の危機を見事に浮き彫りにしています。椅子だけを舞台に置いて、それぞれの出演者に、自分とかかわりのない場面では、いてもいないふりをさせるという 長塚圭史の演出もこうした現代日本の人間関係を象徴するのに成功していると感じました。殺人という「非日常」に入りこんだ須永が一番まともな人間に見えてくるという劇のパラドクサルな勘所も的確に押さえられています。

  もう一つの候補作であるこまつ座&ホリプロの『木の上の軍隊』も「強いられた共同体」という点において通底したものを含んでいます。というのも、沖縄に進攻したアメリカ軍から逃れるために木の上で二年間の潜伏生活を余儀なくされた二人の日本兵を扱ったこの作品を見ているうちに、私は、沖縄問題や戦後処理といった主題よりも、ゆくりなくも柳田國男が『山の人生』で描いた日本先住民たる山人の生活を想起したからです。海や平地からの侵入者に対して山の奥に逃げ 込まざるをえなかった日本先住民はそこで必然的に平地にいたときとは違った共同体をつくりあげることになりましたが、しかし、やがて彼らが山を降りて平地人と交わるにしたがって、その共同体も崩壊せざるをえなくなります。

『木の上の軍隊』はたった二人の兵隊からなる隔絶された共同体を描いているにもかかわらず、こうした日本先住民が征服者に同化してゆかざるをえなかった過程を私に連想させました。そして、その過程はまさに沖縄という土地の宿命だったにちがいありません。というのも、「山の人生」と並ぶもう柳田國男のもう一つの代表作である「島の人生」に描かれたように、沖縄こそが本土の山地とならんで日本の古層を成しているからです。

 そして、このように考えると、藤原竜也の沖縄人新兵と山西惇の本土人上官という「共同体の成員」の構成も大きな意味をもってくることになります。というのも、日本人のルーツはまさしく、この二人の共同体の成員の融合から生み出されたものにほかならないからです。

 ミクロの状況を扱いながらマクロの状況を想起させるという演劇の原点に回帰した見事な作品だということができるでしょう。

 

「個と共同体」の問題にからむものとしては、候補作に推薦はしませんでしたが、劇団イキウメの『片鱗』をとても興味深く観ました。ある地方都市の住宅街の一角に父と娘の一家が引っ越してきて、住人たちのホームパーティーに招待されたことがきっかけとなって、住人相互に曰く言い難い齟齬が生まれ、最後は家族同士が「絶対に許さないからね」と激しくいがみ合うようになるという不気味な設定の芝居ですが、それを田の字形の四つの正方形の行き来だけで処理するという演出も冴えていました。人は、その本質からして共同体を形成せざるをえないが、どんな共同体であれ、それが成立したと同時に外部の人間を排除しはじめ、また内部の人間相互も監視しあうようになるという共同体特有の不都合な真実が否応のない説得力で迫ってきます。前川知大のイキウメはいま一番注目に値いする劇団かもしれません。

  この「個と共同体」というキー・ワードに照らすと、意外な側面が見えてくると思われるのが受賞作のNODA・MAp『MIWA』です。というのも、 『MIWA』は美輪明宏という「個」の中に潜む多重人格の集合体を一つの共同体(なんと一人共同体! 24人のビリー・ミリガンならぬMIWA=九人の美輪明宏)と捉え、その共同体のそれぞれのペルソナを「外化」してつくりだしたキャラクターたちの集団劇だからです。したがって、たんにMIWA(宮沢りえ)と安藤牛乳(古田新太)が鏡像関係にあって入れ替え可能であるばかりでなく、それぞれの登場人物が他の登場人物と同じように鏡像関係にあって入れ替え可能だということになります。この意味で、『MIWA』は万華鏡(カレイドスコープ)の原理にもとづいてつくられているものと見なすことができます。

  ところで、カレイドスコープというのは、すべての壁面が鏡であることを原理としますが、もう一つ、真ん中が空虚になっていなければなりません。そうでなければ、互いの鏡面が反射しあわないわけですが、しかし、そうなると、この中空の鏡面体はじつになにかに似ていることにならないでしょうか? そう、戦後、天皇を象徴にして作られた日本の共同体、真ん中がすっぽりと抜け落ちている戦後版天皇制共同体によく似たものなのです。MIWAとは、美輪明宏の象徴であると同時に、戦後日本の象徴でもあるのです。

  もちろん、『MIWA』は、表面的に眺めれば、そのような深層構造は観客には気づかれないような「楽しい」構成になっていますから、今日の演劇の「前提」を侵犯するものではありません。しかし、一見、迎合しているように見せかけて、その実、舌を出してみせる作者・演出家のしたたかさがはっきりと感じられましたので、自身のあげた候補作ではないにもかかわらず敢えて一票を投じた次第です。

  というように、選評という概念からは少しずれた文章を書き連ね、自分が勝手に持ち出した「個と共同体」の問題に引き寄せてそれぞれの作品を深読み的に論じてきました。しかし、考えてみると、演劇の醍醐味というものは、舞台の上で血肉を備えて俳優たちが演ずる「現実」の彼方に、それとは別の「象徴的現実」、 つまりある種の「彼岸」が出現したときにのみ傑作となりうるのですから、こうした私のプライベートな観方もあながち的外れではないのではないかと思いまし た。いずれにしろ、作者や演出家の意識とは関係なくこちらの心に届いてくる無意識的な「なにか」があるのを感じたとき初めて観客は劇場に頻繁に足を運ぶようになるのではないでしょうか?

 つまり、演劇というのは、エンターテイメントという要素のほかに、やはり、観た者に対して、たとえ無意識のレベルであっても、何らかの問題提起を行うという姿勢が感じられなくてはならないということです。

  その問題提起というのは基本的になんであってもかまいません。しかし、劇作家と演出家それに出演者たちが自己表現という当然のファクターのほかに自分たちが生きるこの現代とどうつながっているのかその点について考えを巡らしていないと、劇の核になるようなものは生まれないのではないでしょうか。

 演劇の世界とは無縁の人間がこんな生意気なことを言うのはおこがましいかと思いますが、女性客が客席の大半を占めるという前提に「反した」ドラマツルギーを包含した作品がもっと出現してきてもいいのではないかと思った一年でした。


二〇一三年は『MIWA』で決まりだった

小藤田千栄子(映画・演劇評論)

『悲劇喜劇』賞の選考委員四名は、各人二本ずつ候補作品をあげた。私は、富山県の公共劇場が製作したミュージカル『ハロー・ドーリー!』と、劇団民藝の『八月の鯨』を推薦したのだが、いちばん驚いたのは、四名があげた計八本の作品に、全くダブリがなかったことである。

 ということは、とても良い作品がたくさんあったと言うことも出来るし、あるいはまた、どの人も推薦したくなる作品、つまり、もう、これしかないでしょうという決定的な作品がなかったとも言えるのだ。

 もちろん私は、ミュージカルなら『ハロー・ドーリー!』、ストレート・プレイなら『八月の鯨』を強硬に押すつもりでいたのだが、選考委員・高橋(豊)さんの、さりげない〈ひとこと〉で、あっさりと転んだ。高橋さんは、二〇一三年を代表する演劇は『MIWA』でしょうと言いきったのである。

 ああ、そうなのか。演劇賞の選考とは、時代そのものと密接な関係があるのかと、私は初めて気がついたのである。いつもはミュージカルを中心に取材し、演劇賞のことなど、ほとんど考えたことがなかったので、ここで初めて教えられたのだ。

 となると、『ハロー・ドーリー!』が、いかに素晴らしい仕上がりであり、日本初演の快挙と言っても、かのブロードウェイでは、なんと一九六〇年代の作品なのである。

 そして『八月の鯨』は、民藝のスタッフ・演技陣が素晴らしく、とても感動的な舞台ではあったけれど、日本初演ではないし、一九八〇年代には、映画版が大評判だった作品でもある。昨年も再上映があり、いまだに岩波ホールの、看板映画でもあるのだ。

 というようなわけで、二本とも、二〇一三年を象徴する作品とは言い難く、高橋さんの発言に賛成して、あっさりと転んだわけである。

 だが推薦した責任というのはあり、『MIWA』にふれる前に、『ハロー・ドーリー!』と、『八月の鯨』について、少々、記させていただく。

 

『ハロー・ドーリー!』の快挙

 このミュージカルのブロードウェイ初演は、一九六四年。トニー賞では主要部門をほぼ独占。時代を代表するミュージカルとなった。よく知られているように、原作はソーントン・ワイルダーの『結婚仲介人』。日本では、新劇系のレパートリーだった。

 これがミュージカルになって、ブロードウェイで大評判という話が伝わってきた。だが、この頃はまだ、普通の人が、ツアーでニューヨークに行くなんて時代ではなかったので、「見たいわねえ」という、大それた夢さえ抱くことはなかった。

 そしたらなんと、来日公演が発表されたのである。一九六五年九月。なんと東京宝塚劇場で、ほぼ一カ月の公演。さらに主演女優は、メリー・マーチンというではないか。

 ブロードウェイのオリジナルは、キャロル・チャニングだったが、メリー・マーチンは、『南太平洋』や『サウンド・オブ・ミュージック』のオリジナル・キャストであり、私たちミュージカル・ファンは、ブロードウェイのオリジナル・キャスト盤を、ずっと聞いてきた、そういう人なのである。

 そういう人が来日して、東京宝塚劇場で、ほぼ一カ月公演するという。もう私たちは、舞い上がってしまい、通いつめたものだが、それは素晴らしい舞台だった。そして、かのブロードウェイとは、こういう舞台を、いろいろな劇場で、毎日、上演しているのかと思うと、もう想像を絶する世界だった。

 だがこの来日公演には、いくつかの裏話があったようなのだ。いずれも記者発表されたことではないので、話半分で受け取ってもらいたいのだが、まず日本の製作会社が、翻訳上演の許可申請をした。そしたら「いや、日本語ではやらなくていい。こちらから行きますから」という返事があり、それが来日公演に結びついたというのだ。

 その来日公演のパンフレットには、〈アメリカ国務省派遣文化使節団〉と記され、さらに〈東宝ミュージカル国際公演〉と記されている。文化使節とか、国際公演とかは、なんともカッコいい言い方だが、私は当時から〈国務省派遣〉が気になっていた。もしかしたらこれは、ベトナム慰問が本命ではないのか、と。

 なぜそんなことを気にしたのかというと、当時、私は、映画雑誌のバック・ナンバーをよく読んでいて、朝鮮戦争のとき、ハリウッド・スターが何人も、戦場慰問に行っていたことを知っていたからである。だから今回も、と思ったのだ。

 だが『ハロー・ドーリー!』の来日公演が、ベトナム慰問と関係があったとは、いまもってどこにも発表はされていない。だが、いろいろな人に聞いてみると、やっぱりベトナム慰問が本命であったようだ。

 まあ、それはともかく、このような作品が、ずっと翻訳上演されることなく、バーブラ・ストライサンド主演の、映画版DVDが、ときに話題になるくらいだった。

 だが、このような作品を、なんと富山県の公共劇場オーバード・ホール(富山市芸術文化ホール)が、日本で初めて翻訳上演をしたのである。初演は、二〇一二年二月。あまりの評判に、二〇一三年八月に再演。富山に続いて、東京でも上演した。会場は東京芸術劇場・プレイハウス。

 富山のオーバード・ホールは、五年計画で、ミュージカル上演を企画していて、『回転木馬』『ハロー・ドーリー!』『ミー&マイガール』、そして『ハロー・ドーリー!』の再演と続いてきているわけだが、いつも仕上がりの良さで、注目を集めている。

『ハロー・ドーリー!』に関して言えば、やはり主演に、地元出身の元宝塚スター=剣幸を配したことが、いちばんの成果。宝塚時代よりも、さらにうまくなっていることに驚く。

 共演者は、ほとんどオーディションで、地元出身の俳優も参加している。そして圧巻だったのは、パレードのシーンで、地元高校の吹奏楽部が出演したこと。ホリゾントの奥から、高校生たちが大挙して登場したときは、それはもう大喝采だった。公共劇場だからこそ出来るのだと思ったことだった。

 振付・演出=ロジャー・カステヤーノは、ダンサー出身で、日本での仕事も多いらしい。訳詞・演出=寺崎秀臣は、東宝系の人だが、この両者の、演出上の役割分担が、とてもうまくいっているように見えた。

 さらに意欲的な作りと思えたのは、劇場に銀橋を設定したことだ。この作品は、ブロードウェイでも銀橋ありの演出なのだが、客席を百席くらいか、犠牲にしての銀橋作り。公共劇場だからこそ出来る作りであった。宝塚ほど派手ではないけれど、ミュージカルの華やかさを盛り上げたのだった。

 

民藝『八月の鯨』さすがプロの仕事

 作=デイヴィッド・ベリー/訳・演出=丹野郁弓で見せた劇団民藝『八月の鯨』は、私には、いくつもの発見があった舞台だった。

 よく知られているようにこの作品は、もう若くはない姉妹が、アメリカ・メイン州沿岸の島で、ひと夏を過ごす話である。毎年八月には鯨が来るので、それを見ましょうという設定である。

 姉のリビー=奈良岡朋子、妹サラ=日色ともゑ。姉は目が不自由で、いつも、いらつき気味。よって姉妹の夏の暮らしは、妹のほうがリーダー・シップを取るという、そんな暮らしである。妹の友人(船坂博子)と、修理工(稲垣隆史)が出入りする。

 そんな暮らしのなかに、ロシアからの亡命貴族とかいう老人マラノフ(篠田三郎)が登場することで、ほんの少しドラマが動く。物語といえば、これだけなのだが、やはりポイントは、老人マラノフの素性に、姉のリビーが疑惑を持つところだろう。

 実に端正な舞台作り。動きひとつにも目が行きとどいている演出。奈良岡朋子・日色ともゑほか、民藝演技陣の確かさ。プロの仕事だなあと、つくづく思ったものである。

 そして客演の篠田三郎が、まさに適役だった。亡命貴族って、多分、こういう人なのだろうと、ふと思わせる存在の確かさ。気品さえあって、二枚目サンとはいいものだなあと、あらためて思ったことである。

『八月の鯨』は、ひと言でいえば、まさにプロの仕事であった。素人の新鮮さも、ときにはいいが、やはり舞台は、プロに作ってもらいたいものである。

 

『MIWA』の奥の深さについて

 野田秀樹の舞台を見て、すっきりと理解できたことなど、ほとんどない。いつも、あれって何だったのだろうと、多くの疑問符を持ちながら見ていて、それでも見ているときは面白いので、ついつい見入ってしまう。私の場合は、この繰り返しだった。そして分からないときは、いつも思う。野田秀樹は、演劇の世界で、多分、いちばん頭のいい人なのだから、分からないのは私がバカ。ほとんどこれで決着がついてしまうのであった。

 もちろん、いつもどおりでもいいのだが、『MIWA』の場合は、少し違っていた。それは多分、モデルになっている美輪明宏に関心があったからだと思う。

 美輪明宏のことを最初に知ったのは、もう大むかしになるが、中原淳一が編集していた雑誌『ジュニアそれいゆ』に出ていたからである。一九五〇年代の中ごろだったと思う。銀巴里でシャンソンを歌っている美少年という紹介だった。そのときの名前が〈丸山明宏〉だったのか、あるいは〈丸山臣吾〉だったのか、それは記憶にないのだが、とにかくきれいな人で、学校でも「きれいな人ねえ」と、みんなで見とれたものであった。

 ついでながら記すと、当時の中学生や高校生にとって、中原淳一の雑誌『ジュニアそれいゆ』を読むことは、それ自体が、とてもオシャレなことであった。

 そして何年かたち、銀巴里で丸山明宏のシャンソンを聞いたことがある。雑誌で見たとおりの、細身で、きれいな人だったが、歌うときの声の強さにビックリしたのを憶えている。

 以後『メケメケ』や『ヨイトマケの唄』などのヒット曲、舞台でのいくつもの名演などのことは知っていたが、こういう人を舞台で語るなんて、いったいどうするのだろうと、大いに関心を持った。野田秀樹なので、普通の評伝劇には、しないであろう。では、どんなふうに。ほとんどの人が、この点に大きな関心を持って、劇場に行ったと思う。

 物語展開を、何も知らないで見に行ったので、颯爽MIWAとして、宮沢りえが登場したときは、ああ、そうだったのかと、早くも感心した。その美しさ。デザインされたブルーの学生服の、着こなしのよさに見とれたのである。〈美少女は、美少年に似ている〉という言い方があるそうだが、まさに美少年であった。

 そして、もっと驚いたのは、いま現在の美輪明宏にそっくりな、もうひとりのMIWAが登場したときである。金髪=古田新太の、怪異な名演。予習ナシで見に行ったので、〈二人一役〉にはビックリし、もうこれで、この芝居は成功と思ったほどである。

 しかも生まれついての両性具有ということらしく、アンドロギュヌスは、近所の商店の名前=安藤牛乳として登場するのだ。古田新太は、ホンモノの美輪明宏よりも、さらに濃いめのキャラクターとなっていて、これがまた私たちを引きつける。〈二人一役〉の、あまりの違いに、引きつけられてしまうのだ。

 もうこのあたりで、ほとんどの観客は、野田秀樹の、作戦の巧みさに引き込まれ、ただただ見とれるしかない状態に追い込まれる。長崎生まれの宿命、長崎での少年時代、遊郭との関わり、そして長崎原爆。

 野田秀樹=長崎生まれ=長崎原爆=『パンドラの鐘』などが、私たち観客のアタマの中で渦まいていくが、作劇および見せ方の抽象性で引きつけておきながらも、美輪明宏の実録的な面も、巧みに挿入していくのが、この芝居の面白いところだった。

 それは二つに絞られる。まず第一は、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』を思わせる店に集約される。実在した『銀巴里』とは、私が知る限り、かなり違うのだが、美輪明宏=銀巴里の、総体としてのイメージなのであろう。ここで野田秀樹が、作家〈オスカワアイドル〉として登場する。このネーミングには、もう笑うしかない。これを思いついたときの野田秀樹も、さぞや嬉しかったことであろう。

 もうひとつは、日活の青春スターだった赤木圭一郎との関係である。美輪明宏と赤木圭一郎との関係は、知る人ぞ知るの世界だったらしいのだが、撮影所の時代性、あるいは、この青春スターの事故死の描写などから、古い映画ファンなら誰だって、モデルは誰なのかが分かるようになっている。赤木圭一郎の事故死は、当時の映画界の、とても大きな事件だったのだから。

 選考委員会で、高橋さんに教わったのだが、タイトルの『MIWA』には〈M〉と〈W〉が入っていることがポイントだそうである。〈MAN〉と〈WOMAN〉。両性具有。私など、単に美輪明宏だから〈MIWA〉だと思っていたのだ。高橋さん、深い。

 というようなわけで、いくぶんかは私自身の、往時のなつかしさもあって、見入ってしまった舞台だったのだが、見終わると野田秀樹とは、やはり〈長崎〉なのだと思えてくる。原爆の描写の、抽象的でありながらも、あのしつこさ。繰り返しての描写。神話性をおびての、こだわり。長崎生まれの宿命をさえ感じた舞台だった。

 そして長崎生まれの宿命は、美輪明宏にも重なっていく。かつて美輪明宏は、天草四郎の生まれ変わりと言っていたような気がするが、長崎へのこだわりは、野田秀樹と共通するのではないかと思う。

 そして最後に、美輪明宏自身の、声の魅力を記しておきたい。細身のわりには(昔は、ホントに痩せた人だった)声の強い人だなあと、ずっと思っていたのだが、いつのまにか貫禄アリの人となり、だが声の強さは、そのままだった。

 その声を、この舞台では、実にうまく使い、声が聞こえてくると、MIWA=美輪明宏になるのが見事だった。美輪明宏コンサートのときのような、華やかな舞台装置ではないので、さらに声自体が際立つのだった。

野田秀樹の新たな転換を『MIWA』は予告する

高橋豊(演劇評論)

 表題の『MIWA』のアルファベット四文字の中に、すべてが入っている。「M」(MAN)でもなく「W」(WOMAN)でもない(あるいは「M」であり「W」である)生を選び、「A、I」(愛)を求め続けた。「聖なる怪物」美輪明宏の軌跡そのものではないか。

 二〇一三年は、美輪「再発見」の年として記憶されるだろう。前年の大晦日にNHKの紅白歌合戦に“初出場”、「ヨイトマケの唄」を歌い上げ、大きな反響を呼んだのが、いわば皮切りだった。

 春から美輪は江戸川乱歩原作、三島由紀夫脚本の『黒蜥蜴』を再演、主演して全国を回ったが、NHKはその稽古の様子を含め、半年間も追い、特別番組「真夏の夜の美輪明宏スペシャル」を放送した。

 秋のコンサート「美輪明宏/ロマンティック音楽会2013」で、美輪は「今、世の中は、あの忌まわしい第二次世界大戦の前あたりに似てきています」と、第一部で長らく歌わなかった自作の反戦歌を主軸として構成、第二部で平和の有難さを感じる愛の歌を特集した。

 フランス人監督パスカル=アレックス・ヴァンサンによるドキュメンタリー映画「美輪明宏ドキュメンタリー~黒蜥蜴を探して~」が、日本公開された。美輪本人によく密着取材していて、愛と闘いの記録を明らかにしている。

 そして、大トリとして登場したのが、NODA・MAPの舞台『MIWA』である。野田秀樹の作・演出。野田が現存する人物をモチーフに新作を発表するのは、初めてのことだった。

 同じ長崎県出身だが、美輪が戦前の一九三五年生まれ、野田が戦後の五五年生まれ、と二十歳の違いがある。野田は、美輪をモチーフとすることで、被爆体験など「昭和」と向き合い、同性愛者への差別に屈しない「愛」と「人生」を描き出すことができた。これまで、野田が作品で真っ向から取り上げなかったテーマに挑んでいる。果敢な「越境者」美輪の軌跡が、野田を大いに触発したのだ。

 もちろん、野田は美輪の半生をそのままなぞってはいず、オリジナルなMIWAなのだけれど、美輪の自叙伝『紫の履歴書』からは大きく外れてはいない。その上で、野田らしい自在な発想(妄想といってもいい)が至るところで見受けられる。

 冒頭、「前世」での性別決定の場面から始まる。手塚治虫の少女漫画の傑作『リボンの騎士』の出だしを連想させるが、野田は「踏絵」を選び、長崎の隠れキリシタンの受難史までつながらせている。

 「男でも女でもない」性を選びたいMIWA(宮沢りえ)は、「男であり女である」アンドロギュヌスの安藤牛乳(古田新太)と共に、地上へ落下した。

「聖なる怪物」美輪の聖性、ピュアな部分を演じるのが宮沢で、現在の金髪の美輪と容姿が近い安藤牛乳を演じるのが古田だ。怪物はMIWAの心に棲み、随時、出現する。

 二人の俳優が「MIWA」を担う設定が面白く、彼が幼いころから抱いたジェンダーの違和感をうまく表現している。 宮沢の優しい「安藤牛乳!」の呼びかけに、古田が野太い男声で言葉を返す。

 夢の遊眠社時代のように、軽やかに物語りは展開し、時空は複雑に交錯する。最も圧巻なのは、戦後の銀座のソドミアンバーのショータイムで、お客のアメリカ兵たちが、いつの間にか、飛行機の操縦席のように集まって来て、長崎への原爆投下シーンを再現する場面だ。

 十歳のMIWAは、浦上天主堂から家に忘れ物を取りに帰っていた。堀尾幸男の簡素な舞台装置で被爆の瞬間が描かれる。世界中の光を集めたような白い光と轟音の中で、薄く大きい布が日常生活の人々を覆っていく。そして一瞬にしてキノコ雲の形になる。静かな怒りを込めた被爆直後の長崎の街の描写。

「この爆弾は、日本人への天罰だ」と言い放つアメリカ人新聞記者に、MIWAはこう反論する。

「ここは隠れキリシタンの街だった。命がけであなたたちの神様を愛した街だ。それでもその日は天主堂で懺悔をしていた。懺悔室の前に二十人の人たちが並んでいた。その真上にピカドーンだ」

 長崎出身の野田が、原爆のことに触れたのは、NODA・MAP『パンドラの鐘』(九九年初演)が最初だった。太平洋戦争開戦前の長崎と古代王国を意図的に交錯させながら、核エネルギーという「パンドラの箱」を開けた現代人を批判して、二〇世紀の総括とも言える傑作である。「鐘」は長崎に投下されたファットマンがモデルで、美術の堀尾は、中に大量に照明を仕込み、閃光を放たせた。

 〇三年初演の『オイル』は、原爆を投下された日本人の視点から書かれた『パンドラの鐘』の続編とも言え、投下したアメリカ側の勝者の歴史に強烈な異議申し立てを行った。

 今回の『MIWA』は、両作品に比べると、原爆の比重は決して大きくはないが、静謐で心に染みる場面となっている。被爆直後の街でMIWAはつぶやく。「紙は華氏451度、布は華氏764度、神様は、いったい、華氏何度で自然発火するんだろう? 神様が自然に燃えていた。それで、これ幸いと、ここには悪魔ばかりが集まってくる。ここもまだ僕の妄想の海の底ひ?」。痛切な問い掛けで、実在の美輪の徹底した反戦・平和への思いの原点はここにある。

「愛」に生きる物語なのに、「死」が身近に迫る作品でもある。

 MIWAの中に怪物・安藤牛乳が棲んでいることに気付いた人に、恋人となる若手映画スター赤絃繋一郎(瑛太)がいる。繋一郎はMIWAに「君は、いつも二つの声を持っているね」「僕には聞こえる。男でもあり女でもある過剰な激しい、うっとうしいまでの声。それとは別の、男でもなければ女でもない、消えてしまいそうなはかない声」と音楽で生きることを勧めた。宮沢が美少年・美青年を演じているから、恋が違和感なく、受け入れられる。その繋一郎が交通事故死してしまうのだ。

 同じように、MIWAの中のアンドロギュヌスに気付いた人に、戦後文学界のアイドル、オスカワアイドル(野田秀樹)がいる。実は彼も内部にアンドロギュヌスが存在し、MIWAに「君と僕は同じ海の底で暮らしているからさ」と告げる。MIWAが継母のことを歌った「ヨイトマケの唄」で歌声が復活したころ、オスカワアイドルが別れにやってきた。「三島由紀夫」と名乗り、「オスカワアイドルは僕の中の化け物だった」と語り、東京・市ヶ谷の方に去っていく。三島が自衛隊東部方面総監部に乱入し、割腹自殺したニュースがラジオから流れた。

 肝心の安藤牛乳も、路上で亡くなっていたのが見つかった。彼は、大好きな母親に「男を愛していることをなじられて首を絞めて殺害」、逃走していたのだ。MIWAは「私がアンドロギュヌスになってやる」と扮装を始める。幕切れは、開幕した舞台で歌う宮沢のMIWAの後姿に美輪の「愛の讃歌」の歌声が重なる。

 これまでラストシーンで、野田はさらに観客に謎を投げかけるか、安易な感情移入を拒否するか、一筋縄でいかない終わり方が多かった。ところが、今回は、素直に美輪へのオマージュとなっている。そのことが逆に新鮮で、野田がこれからさらに変貌していく分岐点となる舞台ではなかったのかと思わせる。〝転換〟を予感させるのだ。

 野田は今年のNODA・MAPの年賀状で、昨年の年賀状が親友の中村勘三郎の急逝にショックを受け、「日本一元気のない年賀状」を出したことを詫びた後、『MIWA』という作品で、「見ている人々を楽しませることが、日本一好きだった男」=勘三郎へのオマージュとなったと思うと記している。「そして、そのことで私の創作に対する態度も変わることができた気がします」。

 野田は、美輪を通して、エンターテイメントとして舞台に力を注ぎ、決して観客の期待を裏切らなかった歌舞伎役者、勘三郎へもオマージュを送っていたのだ。

 〇一年に、野田は歌舞伎座で初めての歌舞伎作品『野田版 研辰の討たれ』を脚本、演出。歌舞伎では珍しい観客からのスタンディングオベーションという大反響を受けた。以後も勘三郎と新作歌舞伎を手掛けている。

 もちろん『MIWA』は、第一義的に美輪へのオマージュである。自分の愛や思いを裏切らず、道を切り拓いていった彼の生き方への共感がある。エディット・ピアフの「愛の讃歌」は、勘三郎が愛していた曲だったというが、本作では「ヨイトマケの唄」など美輪の歌もたっぷりと楽しめる。

 野田の前作『エッグ』が戦前の東京オリンピックと細菌ワクチンの「七三一部隊」を扱い、そのまた前の『ザ・キャラクター』が地下鉄サリン事件を生んだ若者たちの心風景の奥底へ迫っていたのに比べると、テーマが弱いとの声も聞くが、だれもが知っている怪物・美輪を取り上げて、ここまで深く人間像に切り込んだ野田を大いに評価したい。

 ほとんど出ずっぱりの宮沢の瑞々しい演技が光る。現実の美輪を追いかけるのでなく、野田の劇世界の「MIWA」を造形している。直前に唐十郎作、蜷川幸雄演出『盲導犬』に出演したが、特記すべきは、三谷幸喜作・演出の『おのれナポレオン』で病気のため降板した天海祐希の代役を、わずか二日間の稽古で見事にこなしたことだ。「男気」のような芝居への情熱が感じられる女優なのだ。野田作品では『透明人間の蒸気』、『ロープ』など演劇賞を獲得した舞台が続いていて、今、日本現代劇のミューズと言えそうだ。

 古田は、前出『盲導犬』で宮沢と共演したばかり。ともすれば「怪演」の評が付いて回るけれど、今回の安藤牛乳は、金髪の装いの派手さとは別に、心に傷を持ち、予想外の行動を取る辛抱役をじっくりと見せた。美しい宮沢とタッグを組んだことで、MIWAの世界が大きく広がった。

 銀座のシャンソン喫茶の店主、半・陰陽など演じる池田成志がいい。時間軸が自在に飛び、劇中劇もあるなど、複雑な劇構造の中で、複数役を演じて、しっかりと芯を通して見せてくれる。

 女性なのに美少年クラブに勤めていた「負け女」役の青木さやかが面白い。人生に負け続けても挫けず、なお先を見詰めていて、「キューバに行こう」が口癖の女を生き生きと演じていた。

 MIWAの心を射止める人気スター役の瑛太も好演。特記すべきは、アンサンブルの俳優たちの見事な動きで、ショータイムだったのが、いつか米軍機の操縦席に代わり、原爆を投下、日常生活を営んでいた市民たちが犠牲となっていく。機敏な身体表現で、最小限の小道具で展開してみせる。

 野田の近作『ザ・キャラクター』や『エッグ』を含め、モッブ・シーンで演出の冴えを感じる。

 スタッフでは、堀尾の美術にはすでに触れたが、小川幾雄の照明に鋭さがあり、ひびのこづえの衣裳が、宮沢のスレンダーな学生服が大人の女のドレスに代わっていくなど、変化を楽しめる。高都幸男の選曲・効果で、美輪の歌が最大限、生かされた。木佐貫邦子の振付も的確である。

    *     *

 悲劇喜劇賞の候補として『MIWA』の次に挙げた、さいたまゴールド・シアターの『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』について、少しだけ書きたい。

 作・清水邦夫、演出・蜷川幸雄のタッグで初演されたのが一九七一年。劇団現代人劇場の最後の舞台である。

 手製爆弾を投げたとして青年が裁かれている法廷に、老女たちが爆弾を手に乗り込んで占拠。裁判官や検察官を逆に裁き、孫の青年まで「期待に応えなかった」と処刑してしまう。「政治の季節」にふさわしい過激な異議申し立ての芝居だった。

 初演は、若い俳優たちが老女を演じた。蜷川は台本通り、高齢者で舞台を作りたいと願った。〇六年に中高齢者の演劇集団「さいたまゴールド・シアター」が発足、蜷川は試演を経て、一三年、「鴉よ――」を本公演した。平均年齢七十四歳のメンバーが演じることで、初演にあった不自然な誇張は消えた。清水が病気療養中のため、蜷川が台本に手を入れ、きちんとあの時代を総括できるような舞台とした。

 演劇集団はパリで初の海外公演も果たした。演出の蜷川は、美輪と同じ三五年生まれで七十八歳。その旺盛な活躍ぶりに心から拍手を送る。

「正論」で、いこう

今村忠純(日本近代文学)

筋金入りの「正論」

「正論」で、いこう。筋金入りの「正論」で、いこう。それは深い洞察と思索、叡知あっての「正論」である。それが私の「正論」でもありたい。賢者はほんとうに「正論」をいわないのだろうか。人を説得するのには、これが「正論」と思わせないことが大事なのだろうか。しかしやはり「正論」で、いこう。「正論」は、ゆるぎない真理を導く、と信じたい。

 第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の候補作品を選ぶのに際して、私は文字どおりこの「正論」を論点にして、次の二つの科白劇を選考会に示した。

 「長い墓標の列」(新国立劇場)

 「兄帰る」(二兎社)

 福田善之の「長い墓標の列」から考えていく。

 まずいちばんに山名庄策の「正論」をかき消してしまったあの「ひどい時代」のあったことが明らかになる。村田雄浩の演じた山名庄策の知性と情熱が圧殺される。かつて大学の山名の講座に学び、くもりない目をもついまは新聞記者の千葉順(北川響)は、その山名に対して声をふりしぼるようにいっていた。

 

─先生。知識階級は、たしかに暴力の前には無力でした。しかしその正論は、あくまで、正しかったのです。

 

 あくまで、正しかったという、その「正論」とは、そして山名庄策とは、何者だったのか。劇場で観ただけでは片づかない劇がある。「長い墓標の列」は、そのような「正論」の劇である。そこから始めなければならない。

「長い墓標の列」は、東京帝大経済学部教授河合栄治郎の粛学事件を劇化したものとして広く知られている。

 およそ三百八十枚のこれの初稿が『新日本文学』の昭和三十二年七月号と八月号とに分載された当初から、この事件を知る関係者ばかりではなく、大学内外における派閥抗争もからみ、実態がそれと思い出させ、あらためて興味をひくことにもなっていった。この初稿がこの年ただちに早大劇研で上演されている。上演時間五時間半。改稿版の上演は、後述するようにあくる年の昭和三十三年。

 劇で河合栄治郎に準えられる山名庄策は、「問題を特定して(マルキストと)の提携は可能」であり、「日本の社会主義勢力は、この時代に一致してファシズムにあたるべきでしょう」と説いていた。いっぽう山名の講座に学ぶ学生の一人にはこうもいわせていた。「甘えさ山名イズムは、人格主義的理想主義的社会主義なんて。しかし、マルクシズムの崩壊したあとのおれたちにとって、これを信ずるしか道はねえな」。

 昭和十四年、理想主義的リベラリストの大学教授山名庄策は自説をゆずらず、大学では文部省からの勧告を受けて山名を休職処分とし、その著書も発売禁止になる。しかし屈せずに山名は研究に没頭する。が、昭和十九年二月、自己の「思想体系」の確立の途上で病に倒れる、というのがこの劇のプロットである。

 大学側は対外的な(当局への)配慮から山名に辞表の提出をもとめ、辞職すれば出版法違反の起訴も取り下げて家族の生活も保障しようと交換条件を出す。ところが山名は「私は、弱いことはそれだけで罪悪だと思っています。弱さは責められなければなりません。なぜなら、弱さを認めることは人間の進歩を否定することだからです。歴史の否定だからです。思想の否定です」といいきるのだ。山名の講座に学んだ城崎啓と花里文雄、この二人も大学の自治の危機に抗議し、辞表を提出するものの、大学側の慰留をうけて翻意、山名と城崎の師弟は対立する。「失礼は承知のうえで申しあげています」と城崎は山名にことわっている。ことわったうえで、城崎は山名を論破するのだ。藩閥政府のつくりあげた国家に「近代」日本のデモクラシーはない、「資本主義が、社会主義か、そんなことばっかりいっているインテリ」「現実は、そういうインテリ共の手の届かないところにある」「日本の暗黒は、大きい」と。古川耕史の演じる城崎の厳格な自省が、その転向や戦後民主主義のありかたを示唆している。

 つっぷしてすでにまったく動かなくなってしまった山名にむかって城崎は次のようにいう。「先生、私は、ですから自分が、犯人であることを、その責任を、回避しようとは思いません。私が、犯人であるとすれば、私は、自分が犯人であることを、自分で引きうけて生きよう、と思うだけです。(長い間)私は歩きつづけなければ」。

「長い墓標の列」という劇でいちばん大事にしたい城崎のこの言葉から私がすぐに想起したのは、木下順二の「風浪」の佐山健次の造型だった。西南戦争前夜の熊本で佐山健次は、さまざまな思想的遍歴をへて明治政府の「暴力」に異をとなえ、西郷軍に身を投じる決意をかため、そこでようやく「道の開くるか、絶ゆるか、そらァその時の話たい」といっていたのである。城崎のように悩みに悩みぬき、「歴史」が人を殺し、自分が「犯人であること」を表明していたのが、じつは(「風浪」の)逆説的な意味においては佐山でもあったのだ。山名は、城崎に「明治維新の歪みは、私もつねに問題として来たところです」といっていたではないか。

『新日本文学』版(初稿)の第四幕(エピローグ)には、改稿版の城崎啓にあたる小河原啓はもはや登場しない。したがって「犯人であることを、自分で引きうけて生きよう」という小河原(城崎)のせりふもない。新屋信三の「出征を送る宴」で、新聞記者の千葉がいわば窓口になり、山名の講座から戦地に送られた学生たちの「長い墓標の列」がレポートされているのが初稿であり山名の「同行二人」の御詠歌がつづく。花里にいたっては「大学に帰つたものの小河原・葦原ラインに邪魔されて東北大に飛ばされちゃったじゃないか……仙台で貰つた女房がヒステリーで悩まされてるらしいですよ」というのだ。花里とともに山名の講座の助手だった新屋信三は、改稿、斧鍼の過程で初稿から姿をけした人物だった。

 木下順二が「風浪」の初稿を完成させたのは昭和十四年であり、河合事件が問題化した年にあたる。改稿に改稿を重ねたこの「風浪」のぶどうの会上演は昭和二十八年。このときに岡倉士朗の演出助手をつとめたのが竹内敏晴である。この竹内敏晴こそが、昭和三十三年のぶどうの会上演の改稿版「長い墓標の列」の演出家だったのにほかならない。そしてこの三百八十枚から二百三十枚への福田の改稿は竹内の助言に従ってのものであった。この改稿版が新国立劇場上演台本になっている。

 当初は自らの思想と学問に殉じたヒロイックな山名と、大学復帰を明言し「現実」を生きようとする小河原とが対照される、そしてこの二人が「ひどい時代」のそれぞれの「インテリ」を代表するものだったとすれば、改稿されたこの劇は、小河原から城崎にただ名前があらためられただけではすまなかった。そこに自分が「犯人であること」を認め、あらあらしく生きぬこうとする、または死地におもむく(「風浪」の)佐山が投影されていたのである。

 はたして宮田慶子演出の新国立劇場の「長い墓標の列」は、そのような「伝説」を背負って上演されていたのにちがいなかった。明治維新からの「近代」日本の「歪み」、その決着が河合事件なのだった。

 けれんをおさえ、ひたおしに「正論」でいく劇、にふさわしい空気が小劇場にはりつめており、光の射さない研究室、書斎と本棚の高い壁とが山名の「叡知」を担保する。さらに舞台正面の奥に上手から下手にくだる山名家へ通じる長い坂道は、そのまま長い墓標の列を表象する。

 山名庄策の講座に学ぶ(あるいは、学んだ)助手、学生たちに新国立劇場の演劇研修所の修了生たちを起用した機知も忘れないでおきたい。城崎啓、新聞記者の千葉順、花里文雄(遠山悠介)など。山名と山名の講座に学ぶ学生群像は、そっくり研修所のスタッフと研修生との関係にも見えてきたのだった。

 すぐれた劇は、観る人にさまざまな想像(創造)を喚起する。六〇年安保前夜に上演された、そのような時代の区切りにこの劇をおいてみることで、日本の現代演劇地図を読みなおすことも可能である。

 初稿(第三幕、第四幕)の発表された『新日本文学』の昭和三十二年八月号に、開高健の「パニック」が掲載されていたことも付言しておく。

 

「兄帰る」まっしぐらの「正論」

 横領した二千万円もの会社の金をギャンブルで使い果たし行方をくらましていた兄が、十六年ぶりにとつぜん姿を現した。みるもあわれなホームレスの服装をして帰ってきた。「今度こそやり直します、今度こそ、今度こそ……」という、心をあらためてまじめにはたらくというのだ。そこで兄の職さがしが始まる、しかし話がなかなか先にすすまない、というのが永井愛(演出も)の「兄帰る」(二兎社)である。初演は一九九九年、岸田國士戯曲賞。

 兄の幸介(鶴見辰吾)が居据ったのは、弟の保(堀部圭亮)とその妻真弓(草刈民代)のいかにも快適なモダンライフを思わせる新築一戸建、真弓は小学校五年の息子を、夏休みを利用してオーストラリアでのファームステイ(農場、牧場体験)、語学留学に出したばかり。

 どうも幸介はうさんくさい、何か魂胆があるのではないかと、真弓はうすうす感じているのか。保が真弓と結婚したのは幸介が家を出てからのこと、だからこれが幸介との初対面。にわかにこの家の、中村家の家族問題、家族関係が透けて見える。幸介の出現がリトマス紙になる。

 姉の百合子は、はなから幸介を信用せず、さっさと追いだしにかかろうとするし、幸介の就職の世話をもちかけられた叔父も叔母も、いってしまえばうすよごれた私利私欲と保身、それのかけひきに身をすりへらしている。こそこそとたちまわり、ちいさなウソでとりつくろい、首尾よく取引先の食肉問屋に幸介を押しこんでしまおうというのが、ダンボール屋の重役におさまっている叔父の中村昭三である。「そうかそうか、うん、そうかぁ」と、空とぼけていて、いつもぬけめない。

 しかし真弓にとって、そんなかけひきはまったく無用である。真弓はけっして何事もつくろわず、「正論」と「本音」でまっすぐに事をすすめていく、それが真弓の理屈のすべてなのだった。だからPTA仲間のシングルマザー、金井塚みさ子の気づかいも真弓にとっては余計なお世話ということになる。菅平での野球部合宿の世話係であってもそこに息子は参加しないのだから、手伝いはいらないというのが真弓であり、金井塚は自分の息子が参加しなくても手伝いに行くといいはるのだ。真弓には妥協がない。

 しかし、そんな真弓の言葉と心と行動にハレーションが起きる。真弓のまっしぐらの「正論」がゆらぐ。

 百円ショップを開店する、三千万円のその資金を調達するのには連帯保証人の印鑑証明書と実印が必要である(百円ショップと三千万円の借金というとりあわせが、どことなく切なくおかしい)、そこで幸介はこっそりと、堂々(!)とホームレスの服装(扮装)で保の家の玄関のチャイムを押したのだった。

 はじめからしまいまでの幸介のこの自作自演にまきこまれ、家族一人一人の本性があぶりだされる。幸介はそれを観察しながら印鑑証明書発行カードをしまっている場所を血まなこでさがしていた。それがとうとう真弓にバレてしまったのだ。

 このかけひきと顛末が幸介を自縄自縛に陥らせる、真弓はフリーライター、といってもエステサロンの体験取材やケーキのおいしいあの店この店、といった広く顧客をつかむための広告文案を書いているのにすぎない。しかし真弓の「正論」は、クライアントの希望にかなうおもねりや、いいなりをけっして許さない、幸介はそんな真弓にこういいはなつのだ。

 

――その程度の正論で、偉そうに説教するんじゃねえよ!

――嘘つきがどれだけ努力してるか知ってるか? 嘘つきは、絶え間なく技術を研いている。ひ弱な正論吐くだけじゃ、立ち向かえはしないんだ……

――能なしの物書きが、借りモンの正論で気取りやがって。この部屋は何だい。人の作ったもん飾り立てて、そこで自分のつもりかよ。お前こそペテン師だ。どこまでも借物だ。本当に正論を通したことなんか、一度だってないんだろう!

 

 にわかに幸介はいなおり、雄弁になる。「正論」に自らを追いこんだ真弓が幸介の恫喝にひるみ、身ぶるいする。これはしかし「正論」の是非を問うのではなかった。問題は「正論」のまかりならぬ世の中にある。草刈民代には、きっぱりと気持ちのいい真弓の「正論」がとても似合っていた。

 自分の隠しごとがこれでバレずにすむと知ったあとの小沢正春の「周りが真面目な人ばっかりだと、ハメ外したくなるんじゃないですか? いい人だったけど、やっぱり甘やかされていたんですよ……」と幸介を評する分け知りの小心の言葉がとてもつらい。

 多くの現代の劇が、批評が、あるいは世論が、「借りモンの正論」をふりかざしていないかどうか、そしてとくにあの三・一一以降において――と思わず知らず私が書いてしまったのはけっして「借りモンの正論」ゆえではない。

 この劇をいっそ分かりやすくいってしまえば最上質のブールヷール。それは日本の現代演劇が永いあいだもつことのできなかったソフィスティケイトされた風俗喜劇のおもしろさである。ブールヷールに必要なものは諷刺、皮肉であり、陽気であること、人間通であること。そこに永井愛の苦くシンラツな批評眼が光る。おそらくこれほど手のこんだブールヷールを本場にもすぐに思いだせない。この劇を推賞したゆえんである。

 道楽で借金を重ね、女をつくり、妻と子供三人を残して家を出た宗太郎が二十年ぶりで帰ってきた、これが菊池寛の「父帰る」だった。観るものに(親子の)情愛を訴え、同情心を起こさせること、それを「人生第一」にしたのが「父帰る」。これの反歌が「兄帰る」である。

 

「MIWA」「正論」は、一つではない

 さてそこで、第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の野田秀樹(演出も)「MIWA」(NODA・MAP)である。一言でいってしまえば「正論」とは何かを根底からうたがわせる劇、それがこの劇である。吉本隆明にならえば、異端と正系のかたわらで、これをいかにみきわめるかということにもなる。

 人には未生以前の物語がある。赤子は泣きながら厳粛に生まれてくる。劇の言葉もまたおなじである。測りがたいその人の気持が言葉とかたちになる。

 美少女のような美少年、宮沢りえのMIWAと古田新太のアンドロギュヌス/安藤牛乳の二人一役の発見を、この未生以前から視覚化してみせたところにこの劇の答えは決していると私は思った。MIWAとアンドロギュヌスの二人は、一人であって、別のもう一人ではない。つまり「正論」は、一つではない。そこでマリアと踏絵(男女の性別は踏絵を踏むか踏まぬかによって決定する)を奇想する畏るべき野田秀樹の融通無碍のチャンネルから、神の子イエスならぬ神の子MIWAが降臨する。

 そうか、MIWAは神の子だったのかと納得すると、この「MIWA」は、イエス(MIWA)とその弟子たち、幼恋繋一郎/赤木圭一郎、オスカワアイドル/オスカー・ワイルド/三島由紀夫と、そして天草四郎時貞から被爆地長崎をへて、こんにちにいたる、つまり戦前・戦中・戦後の受難の歴史物語だったのかとあらためて私は知ることになる。「正論」のまかりならぬ世の中とたたかうこと、それが生きることの別言である。さらに長崎の言葉がほんとうに心地よく美しい。MIWAのうたうシャンソンがいつのまにか讃美歌になっている。

 

翻案劇・原案

 青木豪の「鉈切り丸」いのうえひでのり演出(パルコ・東京グローブ座)は、「リチャード三世」のあざやかな翻案劇であり、その可能性を実験的に試みて、現代演劇のジャンルの拡大に有力なヒントを与えてくれた。ただし、かつていのうえその人の演出したことのある井上ひさしの「天保十二年のシェイクスピア」のように、井上シェイクスピアと呼ぶよりほかはない、つまり翻案劇の通念をあっさりとくつがえした井上劇のあったことを思いださざるをえなかった。蜷川幸雄演出の二〇〇五年版「天保十二年のシェイクスピア」以降、翻案劇のハードルは高くなっていると思う。

 その井上ひさし原案の蓬莱竜太作・栗山民也演出は「木の上の軍隊」(こまつ座・ホリプロ)だった。琉球処分から琉球藩へ、藩を廃して沖縄県、さらにくだってアメリカ統治をへての日本復帰のその年、一九七二年に井上ひさしのニュースソングがあった。「沖縄名所は 守礼の門/基地そのままの 守米の門/核かくし持つ 守核の門/本土の企業の 守銭の門/アニマル商社の 守益の門/暴力団流れ込む 守暴の門/いつの日か成る 守礼の門/ああ! 沖縄! 守悲の門!」。沖縄人と大和人の木の上の軍隊の二人の口から、つまり沖縄の言葉と大和口(標準語)によって、歴史のねじれをさらに語ってもらいたかったと私はつよく思ったのだが、また沖縄問題はどうしても一筋縄ではいかないのだが、巨大な榕樹のはなつ霊気は劇場内を十分につつんでいたのだった。

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第二回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞のお知らせ

公 益財団法人 早川清文学振興財団と株式会社 早川書房は2013年1月に『ハヤカワ「悲劇喜劇」賞』を創設しました。この賞は選考委員と批評・評論家の劇評意欲を最も奮い立たせる優秀な演劇作品を顕 彰するものです。第1回表彰作品の選考と発表は2014年1月末に行い、3月28日に明治記念館で贈賞式を開催します。
ひきつづき、2014年に上演された現代演劇を対象に、第二回『ハヤカワ「悲劇喜劇」賞』の選考、贈賞を行います。本年より新たに小説家の 辻原 登氏 が選考委員に就任されました。2015年1月末に選考会を行い、受賞作を決定します。

主催      公益財団法人 早川清文学振興財団
         株式会社 早川書房

主催代表  早川 浩

選考委員  今村 忠純(日本近代文学 大妻女子大学教授)
         鹿島  茂(フランス文学者 明治大学教授)
         小藤田千栄子(映画演劇評論家)
         高橋  豊(演劇評論家)
         辻原  登(小説家)

問合わせ先 公益財団法人 早川清文学振興財団 事務局
         〒101-0046 東京都千代田区神田東松下町46-5
                Tel.03-3252-3111   Fax.03-3252-3115
                E-mail:info@hayakawa-foundation.or.jp

         株式会社 早川書房 広報室
         〒1010-0046 東京都千代田区神田多町2-2
         Tel.03-3252-3111   Fax.03-3252-3115
                E-mail:yorimitsu@hayakawa-online.co.jp

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第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞選考結果

2014年1月30日(木)、第一回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞の選考会が、今村忠純、鹿島茂、高橋豊、小藤田千栄子氏の4氏によって行われ、『野田(NODA)地図(MAP) 第18回公演「MIWA」』が受賞作に決定しました。

本賞は選考委員と批評・評論家の劇評意欲を最も奮い立たせる優秀な演劇作品を顕彰するものです。受賞作には正賞として演劇雑誌「悲劇喜劇」に因んだ賞牌、副賞100万円が送られます。3月28日(金)に東京・信濃町の明治記念会館にて贈賞式を行います。

詳しい選考経過、選考委員がそれぞれ推薦する作品の劇評は「悲劇喜劇」(早川書房刊)5月号(4月7日発売)に掲載されます。

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ハヤカワ悲劇喜劇賞創設のお知らせ

公益財団法人 早川清文学振興財団は株式会社 早川書房との共催で、2013 年1月に『ハヤカワ「悲劇喜劇」賞』を創設します。
演劇月刊雑誌「悲劇喜劇」は、早川書房創業者の早川清が1947年11月に創刊し、今年で65周年を迎えます。「悲劇喜劇」をはじめ演劇書の出版を志した早川清は、日本と海外の劇評文化の発展と振興にも心血を注ぎました。この度の『ハヤカワ「悲劇喜劇」賞』は選考委員と批評・評論家の劇評意欲を最も奮い立たせる優秀な演劇作品を顕彰するものです。
毎年1月1日から12月31日までの間に日本で上演された現代演劇が賞の対象で、翌年1月に選考を行い、受賞作を決定します。
受賞作品に直接関わったキャスト、スタッフへ正賞として「悲劇喜劇」創刊号をデザインした盾を、副賞として100万円を授与します。
選考の結果は、「悲劇喜劇」誌上および当財団と早川書房のホームページで発表、併せて各選考委員による演劇批評も掲載いたします。
第一回は2013年1月1日から1年間の上演作品が対象となり、2014年3月に贈賞式を行います。


主    催   株式会社 早川書房
          公益財団法人 早川清文学振興財団

主催代表  早川 浩
       
選考委員  今村 忠純(日本近代文学 大妻女子大学教授)
        鹿島    茂(フランス文学者 明治大学教授)
        小藤田千栄子(映画演劇評論家)
        高橋   豊(演劇評論家)         

問合わせ先  公益財団法人 早川清文学振興財団 事務局
             〒101-0046     東京都千代田区神田多町2-2
                                            早川書房内
             Tel.03-3252-3111    Fax.03-3252-3115
                      E-mail:info@hayakawa-foundation.or.jp

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